蟲
祜虚誰仮
第1話 駆除隊二人 必要悪。
もう二度と開かない瞼を眺めている、絶対にこちらを向いてはくれない頬を撫でている。もう決して笑わないその唇に指をあてがって、閉じることのない手の平を握る。まだ体温がある身体を抱きしめている。
だれでもないだれかを大切に想っていたかった。
胎内に育つ何かさえ愛おしい。孵化する前のおぞましい蟲よ。
後から降ってきた泣き声を聞かなかったことにして歩く。涙が髪に当たって、声は遠くで響いていた。光る空に目を瞑って、折り畳み傘をさして家路をたどる。貴方の長い髪の艶やかさを覚えている。貴方の歌声と会話は録音している。瞳の独特な色合いは焼き付いて離れない。手に絡みついてくる石の連なりを無視してポケットに手を入れた。
ドアを開けると、いつも漂っていた良い香りはしなかった。この間言われたばかりの小言を思い出して手を洗う。お湯を沸かして、一人買ってきたうどんに注いだ。待っている間曲をかけて、何が好きだったかを考える。
がちゃりとまたドアが開いて、いつもの貴方が帰ってきた。
「あー、僕が知らない間に美味しそうな物食べようとしてる。ずるいなあ、それ僕にもちょうだい」
夜が馴染む長い髪、春の朝みたいに澄んだ目。厚手のカーディガンの上から雨合羽を着ている貴方が、雫を滴らせて玄関に立っていた。
「いいですよ。その代わり貴方が用意した晩御飯をくれるなら」
「えーやだ。じゃあ自分の食べよ。うどんは君が食べていいよ。僕はあったかいラーメン今から作るし」
ちょっと頬を膨らませて、合羽をハンガーにかけてから靴を揃えて洗面所に消える貴方は、酷い湿気だというのに何も変わっていない。時計の数字が足されていることに気づいて、箸を持って蓋を開けた。
「いただきます」
きつねうどんを啜って、火傷しそうになりながらさっき汲んでおいた水を呷る。どこかが汚れでもしていたのか、貴方はまだ帰ってこない。
「今台所空いてるねー。君は今日随分かっちりした服だし、僕より早いけど何かイベントでもあったの?」
がさがさと袋から冷凍のラーメンを取り出しながら、なんでもないことのように貴方は言った。深い赤色のタートルネックは細身な貴方によく似合う。髪を高く結んだ貴方が鍋を取り出すのを、うどんを食べながらじっと眺めて、こっちをきょとんとした顔で向いてくるから「本当に忘れてるんだな」と思い出して説明することにした。普段の記憶力は良いのに、興味のないことに関してこの人はとことん忘れっぽい。
「私はちゃんとお葬式に行ってくるって言ったじゃないですか。全く、殺した相手の葬式の日付くらい覚えてあげたらいいのに」
「えー、あー。だって死人のこととかどうでもいいし、興味ない。それより君さあ、その、ごめん外見忘れちゃったや。仲良かった?僕が殺した人間と」
わずかに赤くなった指を頬に添えてやや気まずそうに問うてくる。左下に逸らされた視線は鍋の方に向いているけど、こっちを気にかけているのは一目瞭然だった。
「いえ、顔も覚えていないようなただの遠い親戚ですよ。連絡が来たので行っただけです。周りの人の話を聞いてびっくりしました。貴方に老いた人間を狙う趣味があるなんて知らなかったので。わざわざ死体の側に花を置くなんて、貴方以外いないじゃないですか」
「じゃあ良かった。君が傷ついていないなら何よりだ。別に老人だから狙ったわけじゃないさ。ただ、美しいお嬢さんを皺が寄って垢だらけの手で触っていたからそれが不快でね。花はほら、尊いものに捧げるだろう?手っ取り早く敬意を示すにはぴったりなんだよ。いくら塵屑でも、死者は尊ぶべきだから」
にっこりと満月のように笑う貴方は、箸で中身をかき混ぜてからお椀にラーメンとスープを開ける。もうぬるくさせられたハムを数枚乗せて、私の前にお椀を置いた。混ぜていた箸はふちに乗せられて、彼は台所から水を汲んだコップを持ってきている。
「いただきます」
大人しく椅子に腰かけて、髪を結びなおしてから私と同じように麺を啜る。口いっぱいに頬張って、喉を鳴らして飲み込んだ貴方はそういえば私と違って熱いものが平気だったな。
醤油であろう良い香りをよそにして、最後の一口にとっておいたお揚げを口に入れる。出汁が染み出てきて美味しい。さっきまで赤かったあなたの手先は、もういつも通りに戻っていた。ほっそりとした綺麗な指、ピアノやヴァイオリンが似合う華奢な手だ。私とは違って、綺麗な手。
「そうやってすぐに殺してたらキリが無いですよ。ただでさえ殺せる人数は決まっているというのに。歩合制じゃないから、多く駆除したらその分殺せるわけでもないでしょう。コンビごとに決められてるんですから、先月みたいに私の分まで取らないでくださいね。あと二人しか殺せないんですよ貴方」
「えー良いじゃん。君より僕の方が駆除件数多いんだから、僕が多く殺したって。普段全然殺さないんだし、殺したって文句ないでしょ?会う前も、君は月一くらいでしか殺さないけど僕は週に一回くらい殺してたんだし」
「やる仕事は同じだから、権利も同じにすべきだと言っているんです。第一、貴方後処理がとんでもなく雑だから結局私が駆除しているのと同じじゃないですか。それで貴方の方が多いって、笑わせないでくださいよ」
世界が蟲と呼んでいる黒いヘドロ。どうしようもなく吐き出された塵から生まれるそれの駆除が私達の仕事だった。恨みつらみ、憎悪に絶望。殺人犯は常日頃から、被害者やその遺族の感情を浴びている。蟲を寄せ付けるにはぴったりの器だからこそ、国から殺人を認められ、その対価として人を汚染して喰らう蟲の駆除を任される。
後処理、というのは蟲に浸かれた人間の浄化だ。背中に貼り付いた蟲を剥がして、自分を浸けるか飲み込む。それを怠ると、どれだけ徹底的に潰した蟲でも、人間から養分を吸収して結局元通り復活してしまうから。
「駄目かな。だってほら、殺さないとまたおかしくなっちゃう。君もそうだよ。この仕事続けたいならもっと殺さないと正気じゃいられない。こんなんで足りるわけないんだよ。僕らはずっと浸け込まれて変異しちゃって」
どろり、と春色の目が黒く濁った。汚濁、ぽたりと眼窩から零れ落ちる黒いヘドロをティッシュで拭う。視界がやや暗くなる。目から溢れる蟲は死臭を鼻に運んできた。ウェットティッシュを瞑った目に押し付けて取り去ると、視界が明るくなるのがわかる。
貴方の目はもう元の色に戻っていたけれど、私の目は相変わらず蟲に浸かっているらしい。へにょ、と下がった眉が愛おしかった。
「あ、ついに戻んなくなっちゃいましたか。私達使い捨てですもんね。そろそろ買い替え時かもしれないですよ。貴方はちゃんと発散していましたから大丈夫でしょうけど、次のバディは楽だと良いですね」
蟲毒。大量に発生する蟲がなぜ蟲と呼ばれるかは、この一言に収束している。数多の虫に人が浸かって、その中で食い合い一匹だけが人に巣食うことを許される。その蟲毒に勝ち抜いた蟲を更に私達殺人犯が集めて飲み込む。
駆除隊と呼ばれる殺人鬼の集まりは、蟲毒を更に食い合わせた人殺し集団でしかない。蟲はそれより強い蟲でしか殺せず、他の影響を一切受けないがゆえに組織されたこの部隊は、代償として殺人事件を増やしてもなお十分な結果を残しているらしく蟲を根本的に排除する機構が完成しない限り続行されるだろう。毒を以て毒を制す、この世界の罪の象徴だ。
しかし、いつまでも強化されている蟲をため込んでおけるほど人は強固ではない。いずれ訪れる限界は必ずあり、その場合殺人鬼は蟲に浸け込まれておかしくなる。なり方はそれぞれだけど、私の場合は正しく犬死に。駆除隊に配属されるのは重犯罪者だけ。狂死したってかまわない国のお払い箱だ。「善良な市民」が蟲に浸け込まれて死なないための人柱が私達。実質的な死刑だがその扱いにさしたる不満はなく、私はむしろ感謝さえしているけど貴方はそう思わないのだろう。貴方は理不尽に怒る綺麗な人だ。
「……早く殺して」
「何故?貴方には関係の無い話でしょう。代わりが送られてくるだけだ」
また暗くなる。ぼたぼたと嫌気がさす感触が頬にのさばっているのがわかる。もう全部が溶けているような、卵の中にいるような。懐に忍ばせたナイフに自然と手が伸びる。自分の頸動脈を掻き切る様子が想像できる。成蟲に成ってしまう前に死なないと、この人まで殺してしまう。傷口になる予定の箇所に蟲がいるのを理解する。今にも這い出そうと大量の足を蠢かせて血管にしがみついている、大きな、百足。蛇を喰らって、鼠を殺してのさばる蟲毒の主。色味さえもありありと、黒と赤の警告ではなく、爪の増えた異形の足、遊色の紫。光の加減でてらてらと色味を変えるオーロラじみた醜い発色に、反対のような真っ黒の胴。
「いやだ。僕は君にいて欲しい。だから、早く殺してきてね。今からでも、明日でも良いから、すぐに殺して蟲を暴れさせてきて」
綺麗な顔で犯罪を推奨する貴方に、ふとため息がでた。正直な話、私がこうなるのは貴方のせいとしか言えない。貴方が私の分を殺すから。けれど、そんな顔をされたら聞かざるを得ないじゃないか。
「はいわかりましたよ。明日、家を留守にします。蟲の後処理、しっかり行ってくださいね」
「あれ吐きたくなるくらい不味いじゃん、よくあんなの飲めるよねー」
うげえ、と出された舌を指先で掴んだ。柔らかい。呂律が回らない貴方の声がどうにも面白かった。笑い声の隙間からでろでろになった蟲が出てくる。百足が全身を取り巻いて這いずっている。二十一対の足が体中を掻きまわして、黒く粘ついた辛酸が舌を包んだ。咄嗟に水を含んで、もう食べ終わった使い捨ての容器に吐き出す。涙が出るほど辛く、苦く、どうしようもない味のそれはまだ口の中に巣食っている。貴方に触れていた手を剥がす。喉が爛れている気がした矢先にせき込んで、手で押さえた中飛び出した欠片を見れば節くれだった足があった。二センチはくだらないその足は間違えるはずもない百足。顔から血の気が引いていくのがわかってしまう。つぷりと、首筋と骨が酷く痛んだ。暴れ狂う蟲が脊髄を這いまわっている。かりかりとその牙が狙いを定めている。頭蓋骨と背骨の隙間に足がある。呼び出せ、呼び出せ。ずろりと百足の頭を反対側に向ける。脊髄から右の首へ、首から肩へ。肩から、右手に。
飛び出した紫のそれは、形容しがたいほどに醜い物だった。ヘドロが飛び散って机を汚す。照明が緑や青に色を反射して異彩を放つ巨大な蟲。脚が皮膚をぐちゃぐちゃに穢す。尾だけが肩に埋まり切っている。椅子を蹴散らしてべたりと壁に貼り付いた。動く百足に自己などない。触角を左手で掴んで毟り取って、方向を見失って迷走する彼を汚れて爛れた胴体に乗せて頭を撫でる。大量のヘドロを残して実体を失った百足は右手に帰って、焦げのような黒い多足類の模様を全身に浸けて終わった。
「あ、終わった?良かったあ」
気が抜けた顔をして、リビングから離れた場所に避難していた貴方が顔を出した。恨み言の一つも言いたいところだけど、駆除隊同士の食い合いはご法度だ。私の蟲を収めようとすれば彼の蟲を出すしかなくなり、それでは必ずどちらかが死んでしまう。今まで食わせて強化してきた蟲を潰し会うのは得策とは言えず、こういった場合、保持者は狙いを定められないよう退避することを義務付けられているのだ。私は百足。彼の蟲は一度しか見たことが無いけれど、あれはまるで花のように美しく可憐な捕食者だった。限りある美しさを使って存分に楽しむ花蟷螂。薄桃色の蘭の花。その中央に陣取って待ち伏せする蟷螂は人間でさえ気が付けない。まあ今は食ってないから随分小型化しているようだけど。床に落ちたヘドロを息一つで回収して手の平の上に水球として集める。縮めてビーチボールほどの大きさになったそれを水に晒してビニール袋で覆い、口を結んでから輪ゴムで縛って疑わし気に見てくる貴方を安心させるためにゴミの袋に入れた。このヘドロは蟲のエネルギー源であるから下手な廃棄をするわけにはいかず、今は専門機関に回収させて駆除隊が飼っている蟲の養分にするか死体に入れて消すが関の山だ。解決策にならないのは明らかだけど、お茶を濁すかのように適性の無い人間が蟲に浸かるのは間違っている気がした。ごぼごぼと妙な音を立てている蛹の中身に浸かるのだ。人殺しだって怖いに決まっているのに。
まあいいんだ。私達はゴミ箱なのだから。この病んだ世界に産み落とされて壊れてしまった器擬きは、ゴミを溜め込むくらいしかできることが無い。
「わかっているんですよ。私達が求められていないことくらい」
癖で飛び出した独り言は、どうやら貴方には聞こえなかったみたいだ。安心しながら息を吐いて、また吸おうとする。水が鼻に入った感覚を思い出す。後頭部を抑えられて、水垢が付いた洗面所の排水溝がちらちら踊った。わけもないのに窒息が蘇る。まずいと思って息をさらに吐きだすと、泡が浮かぶ音が聞こえる気がする。音が酷く籠っている、目が水に触れていたかった。声の出し方を忘れたあの時、髪を弄ることさえ許されなくて、スプーンを持てば叱責された。黒だった髪は今染めているし、さっきまでちゃんと私は人間だった。
必要とされている、私達はこの世界に必要とされている。人殺しだとしても、ただの掃き溜めに過ぎなくても「これをやって欲しい」と言われたことが嬉しかった。行動を要求された、禁止されなかったことが救いだった。
嫌われたくなくて丁寧に言葉を紡いだ。怒られたくなくて素直に言うことを聞いた。良い人だと思われたくて倫理を学んだ。罪の重さは結局わからないけど、こんな立場に置かれた時点で悪い人だけれど、貴方が美しさを好むと知ったから私はそれを続けている。
「ねえなっちゃん。そんなうずくまっても楽しいことは無いと思うよ、お願いだから僕の方においで?君が何に苦しんでるか知らないけど、そういうのは明日一緒に殺してくれば良い」
すとんと、水を突き抜けて言葉が入って来る。あ、そうだった。殺してしまえば良かったのだ。私を攻撃した人間なんて、皆この毒で噛み殺してしまえばよかった。ずっと抑え込んでいたこの衝動を、わざわざ遠慮することなんか無かった。私をこうしたのはお前らだ。そいつが罰を受ければいい。罪を背負うべきは私達では無いはずだった。
「ありがとうございます、フユさん。明日家を空けるので、駆除や処理は一人できちんと行ってくださいね。私を殺したくないのなら」
久しぶりに口角を引き上げて、やっと戻ってきた眩しさに目を細める。あの濁った黒が抜けた私の色はさて何色だっただろうか。
「う、ごめんよ、できるだけ君の手を煩わせる事の無いよう努力しよう。君を失いたかったわけじゃないんだ」
珍しく真剣な顔で言ったフユさんの目が僅かに潤んでいるのを見て、少し反省せざるを得なかった。勝手に食べて溢れたのは私だというのに、これじゃあ彼が悪者だ。でも、浸かりすぎが良くないのは当然だが好き嫌いも大変に良くない。私達がヘドロを嫌うのとは真逆に、蟲はヘドロを喰って生きているからだ。どろどろに液化した成形前の幼体。形さえ定まらないその個性の薄さは、蟲にとって格好の養分だった。ある程度は食べないと蟲を保つことさえままならないのがあのヘドロ。駆除隊からすれば諸刃の強化アイテムだから、正直アレを逃す手は無いのだけど、それでも逃げ出すのが彼だ。まあ、蟲の特性を諸々含めているのは承知の上だけれど。
「わかってますよ。明日、よろしくお願いしますね。もう食べ終わったことですし、早く用事を済ませて寝てしまいましょう。お風呂、先に入ります?」
「君が先に入っておいで。僕なんか比じゃないくらい蟲がべっとりだ。早くしないと中々とれないよ」
苦笑して首を傾げる貴方を差し置いて、塵はゴミ箱へ。それならばと私は大人しく風呂場に消える。後ろの音はもう聞こえないから、あの人がどうしようが後の祭り。
肥太ったオーロラ色の百足。自然とはかけ離れている大きさに発色。蟲と呼ぶに相応しい強さ。びちゃびちゃと床を穢した液体に怖気がした。
手首に焼き付いた小さな鎌、蘭の葉を図案化した文様の上で獲物を待ち受ける蟲。臭いに当てられたのかこみ上げる吐き気を手で押さえて誤魔化すと、胃の奥から足が引っ掛かっていて手には薄ピンクの小さな蟷螂が乗っている。ぎょろりと、感情が読めない目で自分を見つめる蟷螂は美しい花を模した幼体だった。
花蟷螂の捕食能力は「花に成りすまして近づいてきたところ」を鎌で捕えることに特化している。幼体のうちは花に近い見た目をしているから簡単に獲物を狩れるけど、少し美しさが褪せてしまえば、成体になってしまえばその成功率は六割まで下がる。つまり、この蟲が使えるのはこいつが大人になるまで。
養分を喰い過ぎては成虫になってしまう。だから、僕はあのヘドロを食うわけにはいかなかった。それでも生き物は理屈で動きはしない。必死で子孫を残そうと奮闘するこの蟲を、いつまで押さえておけるか知れない。彼女には悪いけど、先に解消することになるのは僕かもしれないな、と自嘲する。蟲が成虫になればそれを宿す僕に価値は無い。花蟷螂を別の蟲に食わせて新たな蟲を扱えるようにしなければ駆除隊としての働きはできないからだ。
ポケットから捕獲した蟲を取り出す。ぐちゃぐちゃと液体を散らしながら、ヘドロに足をとられて上手く進めない飛蝗。透明なビニール袋の中で暴れている掌に満たないサイズのそいつでも、慣れていない一般人は容易に狂死を果たす。自死に周りを巻き込むタイプの自殺者や、会社に追い詰められて川に飛び込むタイプの自殺者は大体小さな蟲に浸かっている。もっと強大な蟲に浸かってしまうと、それこそ盛大な事故を起こしたり殺人事件を起こして僕らと同じように収容されたりするのだから、この世界は奇妙だ。
この飛蝗は、学校の屋上から飛び降りろと指示され、はやし立てられていた少年から回収したものだ。ぼろぼろと泣きながら帰路についていたその背中から出てきた頭から全身を抉り狩った。黒く浸かり切った目から、出した背中から、膿が溢れるみたく出てきた怨嗟に救われた。まだこの子は大丈夫だと思えた。取り払った蟲をその場で食べるわけにもいかず持って帰ってきたのだが、だれもいないこの場所ならいいだろう。良かった、この国で宝と言われる子供が死ななくて。彼と僕の命の価値は、どう足掻いても釣り合わないから。
一旦腕に避難してもらってから、両手で袋を開けた。黒い液体を散らして暴れる奴がいる袋に、彼女を入れる。黒いヘドロも、蟲本体も、全てが薄桃色に捕食されて、袋の中は透明に戻った。僅かに肥えた彼女を回収して袋をさっき出たヘドロと同じ袋に入れる。明日回収業者が来るから、そっちに任せてしまおう。彼女が食いつくしはしたけれど、それでもわずかに残っているから。わざわざ自分の口を介して飲まなくても、蟲を出しさえできれば蟲が食べる。気分によっては出てこないからその時は自分で食べるし、彼女のように強大な蟲の宿主になれば話は別だけど、大体の駆除者は蟲に食わせているはずだった。さっきの蟲はもう捕えてあるから僕の蟲でも食べるけど、普段はああいった狩りをすることは滅多にない。蟲に浸かった人間はそうと気づかないうちに意思を侵食されて、人間を操って自分より弱い蟲を食べることで力をつけようと無意識下に動く。真っ先に蘭を買おうとする客は大体花蟷螂を食べたくて購入した客だ。幼体の姿ですぐに食えると見せかけて、食べさせて帰って来るのを待つ。僕が現場で確認できないせいで処理が雑になるのは申し訳ないなと思うのだが、彼女が食べれる分しか食べないので仕方がない。明日はきちんと塵掃除に向かわなければと思うが、今日は気を緩めて良い。
いつの間にか登ってきていた蟷螂が僕の唇を鎌でつついた。あ、と大きく口を開けると遠慮も容赦もなく喉奥に彼女が潜り込む。反射で吐き出そうとするのを押しとどめて、広げて彼女が住まうことを認めておく。食道から、潜り込まれて焦げた匂いと血の味がした。喉が爛れて、移動して焼き付いた蘭の葉は左肩に咲く。
ああ今日も喉が痛い。
昨日もあれだけ泣いただろうに、私がだれかを殺すことを世界は嫌っているらしかった。ぽつぽつと涙が零れ落ちる、楽しくもない夕日色の傘をさして歩く。だれかが今日も蟲になる。貴方は今日花を咲かせる。私は、髪の色を染め直して脱色して、髪が痛むのは知ってるけどやめられないから。あの人が羨んで結った髪が嫌いになったから。絶対生え際が黒くならないようにだけ気をつけている。今日はアメンボが狂って水に浮いていた。上流は管轄外だから、仕置きを受けるのはフユさんでも私でもない。だれだっけ、私は百足、ハルさんは花蟷螂。アメンボを殺し損ねたのはだれ?昨日ハルさんが仕留めたのは飛蝗らしかった。今日、蜻蛉は飛ばないから安心して良い。
出るとしたら、蚊、蝿、ヤスデ、蜘蛛、百足あたりか。考えたくも食べたくもない一匹、Gも出やすいらしいけど今は出てくるまで無視しておこう。
骨が多いけど軽い傘は優秀だ。曇天。雨上がりでしけった天気は、正直な話都合が良い。持て余したエネルギーが脊椎に憑りついている。骨髄液があのヘドロに侵されそうな幻覚だけがある。右腕の関節につながる骨の隙間に、あの百足がべとりと足を浸け込んでいた。
だれでも良い、けれどそれが社会に害をなす人間ならもっと良い。
そう思って辺りをうろついていると、赤いランドセルの少女と黒いパーカーを着た男が見えた。キャンディ、ツインテール。フードにマスク。首を振る女の子の耳元で男が囁く。途端、耳をつんざく酷い音がした。防犯ブザー。
良かった。その救難信号があったなら、私は動くことができる。鳴り続けるブザーを止めようと咄嗟に伸ばした男の手を捻り上げて少女から引き離す。今日はもしかして運の良い日かもしれない。こんな早くに良いカモが見つかるなんて滅多にないのだから。
「あ?なんだお前。この子は俺の姪だよ。なんか文句あんのかおばさん」
ぎらついた視線が癪に障った。どこかで見たことのある視線だ。こちらのことを同じ生物とさえ思っていないような、邪魔な粗大ごみを見る目。いつのことだろう、今までも同じ目で見つめられたことがあったような。
「ならば何故防犯ブザーが聞こえたんですか?今時の子は賢いんですよ。ブザーは危ない時に鳴らすものだってきちんと教わっている。仮にあなたが彼女の親戚だったとしても、彼女を怖がらせるなら問題でしょう」
男の真偽がわからないから、震えている少女を見る。
「な、俺と君は親戚で仲良しだよね?間違えちゃっただけだよね?」
泣き出しそうな少女が、気づくか気づかないかの幅で小さく首を横に振った。歯を食いしばって、今にも零れそうな涙を堪えていた。
なるほど、この人は良くない子だ。早く、正してあげないと。私が罰されるのは間違っている。こういった悪人こそ苦しむべきだ。私は人殺しで、私は罪人だけど、それだってこうしたのはお前らだ。
「うん、大体事情はわかりました。それじゃお兄さん、私と一緒にお話ししましょう。ねえ貴方、私はこの人を連れて行くから、子供百十番、と書いてある家やお店に助けてもらってください。そこの交差点の生き辺りにあるはずです。わかりましたか?」
こくこくと何度も頷いて背を向けて走り去っていく子供から目を離して、凄まじい怒りの形相になっている男を見据えた。もう少し離れてもらった方が、少女の傷にはならないだろう。
「おい待ってくれよ。ねえ、せめて名前教えてくれ。出来心だったんだよ。ほら、お兄さんと仲よくしよう?家に来てくれたら山ほどお菓子があるのに」
「いい加減にしてください。警察なんてぬるいもの呼びませんからね私は。面倒になるだけなので」
「いや、ねえ戻っておいでよ!この間可愛い子猫を拾ったんだ。きっと君も気に入るはず……。あー逃げられちゃった。全部お前のせいだ。お前さえいなけりゃ上手くいったのに」
ぐだぐだと何を言っているんだ。ああそうか思い出した。この男の目は、私を疎んだもう忘れてしまっただれかの目。彫が深かったから、多分父の視線だろう。絡みついてくる見下した目。取るに足らない塵を見るような目の癖に妙に卑しい視線だった。なるほどつまり容赦は要らない人間の屑。私以上に信念すらない欲望のままで動く怪物。右腕にとどまった百足の触角が動いた。
「そうだお兄さん。貴方知らないかもしれないんですけど、駆除隊ってご存じですか?」
「そんぐらい知ってるよ。あれだろ、人殺しが蟲を喰う、社会の役に立てねえ屑の最終処分場。国公認の殺人鬼。ありゃ傑作だよなあ。塵のリサイクルになって、世界の屑が消えてくれる。俺たち善良な市民のために犠牲になる人殺しに乾杯ってね。ま、俺は会ったことないんだけど。いきなり持ち出してなんなわけ?せっかく狙ってたのに邪魔してきて。こっちは仕事クビになって自棄になってんだよ。くだんねえことで俺を邪魔したんなら痛い目見るぞ」
「貴方の命をもらう立場として、やはり名乗らないのは道理に反しているかと思いまして。ええ、いつもありがとうございます。蟲の駆除にご協力いただいて。『善良な市民』の皆様には感謝が尽きません。私達のような世界の掃き溜めにも、当然のように居場所と役割を与えてくださる」
全身が弾け飛ぶような心地がした。腕が痛い、全身が灼熱のように熱い。視界がゆったりと暗くなる。突き破って、反動でわずかに肩が後ろに行った。
醜い百足が男の上半身に纏わりついて離れない。もう体のどこにも接続されない、足先をヘドロに浸けた大百足。軽い身体が随分と快い。顎肢が男の首付近を熱心に回っている。ぐるぐると巻き付いて締め上げて、とっくに青白くなっている顔が奇妙で可笑しかった。ぎらぎらと鈍く光る体色は光が少ないからか昨日よりも大人しい。鮮やかな警告はもう気にならない。
私の体から離れた百足はもう無言の命令を聞いてくれない。四十二本の足が彼の全身を掴んで離さない。じたばたと暴れようともがくそれを取られないように大ぶりのナイフで出ているところから切りつけた。だれだって夢見たことくらいあるでしょう。嫌いな人間、憎い人。それの首を切り落として離れ離れになって転がり落ちた首を踏みつけて、椅子に座って倒れ込む寸前の体を支えて川に落とすの。どうせヘドロさえあれば蟲は再生するのだし、少しくらい壊したってかまわない。
もう食いちぎられそうなのが惜しいから、骨をめちゃめちゃに殴りつける。切り返した刃が髪を削いで、締め上げて折れた骨についた肉を破壊する算段をつける。這いずる蟲は何故だか離れて私の腹に縋った。追い返してもっと細かく、と命じれば、大腿骨を折り取ったようで既に脂肪を晒している肉から薄黄色の塊が突き出た。脂肪がぬめって不快なのかぎゅるんとこちらを向いた。
流石に空気が鬱陶しくなって、仕方が無しに右腕を差し出す。ばちゃんとヘドロを拡散させて、刺青のように毒々しい百足が焼き付いた。手首に巻きつくように陣取る彼に心の中で礼を言う。おかげで一人殺せました。
貴方が蘭を置くのと同じように、私は死体をヘドロに浸け込む。ぼたぼたと目頭から止まらない蟲の残骸を死体に吸わせると、死体はそのまま崩れて溶ける。ぼと、ぼた、どろりでろん。手首に熱を感じてみれば、百足がのたうちまわっていた。動いた後なのにエネルギーを得られないものだから飢えている。
私が保てる量は生憎百足の腹の虫を満たせないからもう少しだけ待ってもらおう。もうぐずぐずになって原型すらとどめていない、ヘドロが立ち消えた男の残りかすを片付けるのはもう私の仕事じゃないから、そのまま家路につくことにする。じわりと目から落ちたへドロを手首にこすり付ければ、さっきより大人しくなってヘドロをむさぼる百足が愛おしかった。
顔洗わないとなあ。
骨と肉の違いさえわからなくなった遺体で吐き気が込み上げることは無くなっていた。後輩が草むらに口を押さえて消えるのはもう何度目だろうか。懐かしい、私も新人の頃はああして上司に迷惑をかけていたものである。今となっては慣れてしまった光景に、自分が変容しつつあることを悟った。
この街に住んでいる駆除隊は二人。それぞれ呼び名は宿す蟲の名前に準ずる。カマキリとムカデ。
「そろそろ転職考えようかな……」
紛れもない泥の痕。蟲は見当たらないがどうせムカデの養分になったんだろう。彼女の担当になって早五年。一般的にはまず見ない形状の死体に慣れてしまった自分が恐ろしい。
今回の犠牲者は性別さえわからないが、どうも彼女は相当怒りを抱いたらしい。徹底した全身破壊に、明らかに蟲が噛む前から骨を粉砕するほどの威力で絞められたその姿は正しく泥のようだった。肉と骨と脂肪で作られた、粘土遊びにぴったりな泥。
この惨状を作り出したとは思えない彼女を思い出す。いつも敬語で丁寧で、冷たさを感じさせない柔い無表情の、カマキリ以外の干渉を許そうとしない素敵な桃色に髪を染めた少女。いつも蟲に濁る黒目は、本当は虎目石に似た綺麗な色。あの子が初めて蟲を使った時は、まだ何も知らない十一歳だったらしい。初めて担当官になって衝撃を受けた。駆除隊に配属される前から蟲に浸かっていて、収容された時には既に百足を支配下に置くことができていた、天才と言って差し支えない女性。対価が酷くなければ優秀な駆除者として表彰されてもいいくらいの働きなのだ。カマキリの雑さを上手くカバーしている。この十年、彼女は本当によくやってくれている。
私たちがそれに見合う報酬を与えられているかと言えば、全く話は別だけど。我々人間は蟲に抵抗する手段を持たない。蟲を殺せるのは現在蟲だけであり、そこには歴然とした食物連鎖が存在する。草食も肉食もないけれど、ショウリョウバッタはカマキリやクモに食われるのが運命だ。実際の虫と変わらない生態をしている蟲は、同じく蟲を使えば簡単に駆除できる。
その蟲を皆が扱えれば苦労しないのだ。皆が、彼らと同じく蟲を操ることができたなら。蟲は、強い感情を浴びせられている人間か、憎悪を抱いた人間か、とにかく強い負の感情を抱え込む人間との親和性が異常に高い存在である。殺人鬼は内に秘めるその狂気や遺族からの憎悪によって蟲を飼育し、他の駆除者はそこに流れつくまでの過去や今までの生活によって蟲を飼う。
一般人は蟲の養分である穢れとして溶かされるばかりで、巨大な蟲として暴れるばかりで、決して彼らに打ち勝ち制御できることはない。蟲を飼い馴らせたのは、今までの記録によると犯罪者のみである。
私たちがしているのは継続的な恨みを得るための殺人の許可と、彼らが一般社会に溶け込めるように生活基盤を整えるだけの二つだ。人が蟲に成る前に、人が溶かされて溺れる前に蟲だけを取り除けてくれる駆除者の存在は貴重だった。とはいえその特性ゆえに、一般人からはあからさまに迫害を受けることは無いにしろ遠巻きにされている。そもそも彼らに近づきたがる人間に碌な人間はいない。無論私もその一人だ。
駆除者はいずれ、自分が飼育する蟲の肥大に耐えきれず自壊するようになっている。駆除隊が全員重犯罪者で構成されているのは、犯罪者である方が蟲と相性が良いことと、「いざとなったら死んでも問題がない存在」であるからだ。結果的にそれは使い捨ての備品であり、実際人権など無いに等しい存在だ。今までの駆除者は皆殉職している。
いくら犯罪者とはいえ、体内で蟲を育ててその蟲に殺されるのは非道ではないだろうか。
まあ良い。特段役職も持たない人間が何か言ったところで無駄にしかならない。だったら一刻も早く後片付けをする方がマシだ。
やっと戻ってきた後輩に、あの肉塊を片付けることを告げると青い顔が土気色に変わった。
「成瀬さん、そのうち慣れるからあまり気負わなくて大丈夫です」
「……先輩、ムカデさんをもう少し抑えることって」
「君が交渉に行けばいい。ついていってあげるから」
もはやコピー用紙のような色になった成瀬の横を通り過ぎて、手袋とマスクをつけてから火ばさみを持った。この現場にはよくあることだ。ちなみに、本来の目的に準ずるなら職員が片付けるよりも遺族に直接見せる方が良いらしい。遺族へのダメージやその後を考え、我々が行うことになっているだけだ。
いつもよりがらついた声が鬱陶しくて、色んなハーブだとかエキスだとかが混じったのど飴を舐める。舌にピリピリとした刺激が来て、唾をのむと爽やかな清涼感が喉の粘膜らしき場所を揺らした。好きも嫌いもない、必要だから舐めている飴だけど、彼女が昨日買い足してくれたものだと思えば好きになれる気がしていた。彼女は僕に救われたと笑うけど、僕こそ貴方を光にしている。
もう良いんだって、最初から生まれてこなかったら良かったのに、なんで女の子じゃなかったの。男はもう十分だって。これじゃ嫁がせられない、どうしてくれるんだ。
「こいつ男なのに赤色のランドセルだ。服もひらひらしてて変だし、気持ちわりー「「スカート履いてるのにそっちで着替えるの?」「なんでお前だけプールで上着着てんだよ、ふこーへいだな」「ミハル、今日は習字とヴァイオリンのお稽古があるからきちんと行くのよ。寄り道も、外遊びも禁止ですからね」
わかってます、私が、私が悪いんでしょう。兄さんとは違うように振る舞えっていう、一緒に遊んじゃいけません。カードゲームがやりたかった、コマを回してみたかった、ブランコだって裾を気にせずに漕いでみたかったし泥を気にせずに砂場で遊びたかったし木の葉の中に隠れてみたかった。
恋愛小説より冒険小説や推理小説が好きだし、純文学は好きだけどライトノベルも読みたいよ。ヴァイオリンやピアノよりもギターをやりたいし、文化祭でステージに立ちたかった。字だってこんな綺麗な字じゃなくて、元々はもっと粗雑な文字だったはずなんだ。いつの間にか、どれだけ雑に書いても形は崩れないようになっていた。
ちゃんと、ちゃんと我慢しましたよ。全部、全部我慢して、これ以上何を。
二十歳、誕生日。珍しく誓わされなかったことが嬉しくて、家族で出かけた先で勧められるままにお酒を飲んで、だれも潰れるのを止めてくれなくて、意識を失って運ばれたらしい。
荒い呼吸と肩の重みと、強い酒の匂いと首に纏わりついた不快な感触で目を醒まして、自分の体にのしかかる重みに訳が分からなくなりながら逃げようとして、運動を制限されていたせいで思ったよりも弱かった力では振りほどけない。じっとりと汗ばんでいる皮膚が触れ合って、それが吐きそうになるほど嫌で、必死で目を逸らした先に、部屋でも飲んでいたのだろうウィスキーが入ったグラスと、砕かれた氷があった。氷があるならと探したその先にはちゃんと持ち手がこっちに向いたアイスピックがあって、それを見たらもう駄目だった。引き絞られていた弦がぶつりと嫌な音を立てて、もうそんなものはどこにも無い。
左肩が僅かに熱くなって、びりびりと痛みが遅れてやってくる。血が拭われては吸い出される感触。
ベッドのすぐそばに置かれたテーブルからそれを取ってそのうなじに突き刺した。当たり所が悪かったのか、血を流しながらすごい声を上げて、起き上がって拳を振り上げて、下ろす前に喉仏を突く。口笛のなり損ないみたいな音を立てるからそれが面白くて、殴られても構わずに何度も、何度も。拳が振り下ろされたならその内側を抉って、どこだって、もう死んでたってどうでも良かった。それから酒は苦手だ。まあ、もう飲める状況じゃないけど。美味しかったのになあ、もう飲めないんだ。瓶を見ただけで首筋に這うものを思い出すんだ、しばらく瘡蓋になってもう消えた噛み痕が痛むような気さえして、貴方よりはるかに恵まれていたはずなのに、僕はいつも泣きたいような気分でいる。必死で抑え込んできたはずなのに、自棄になって縛るもの全部を壊して、今では家の恥だった。
性別を気にしない貴方の姿は、僕にとっては眩しいもので、女性であるのにズボンをはいて、女性なのにヘドロ塗れで、女性なのに髪がショートで、働いて、自律して、だれにも管理されない貴方は正しく僕の救いだ。
思い出して、滲み出る涙におかしいな、と思って空を見上げる。綺麗な空色。僕が唯一着れた好きな色。売れなくて萎れてしまったけど綺麗な植物を選んで、水を吸わせた脱脂綿で切り花の根元を包んで輪ゴムで止める。包装紙はさて何が良いだろう。蘭は鉢植えにしているからまだしばらく持つだろう。蟲が食われないように左手に乗せて、ばちゃりとヘドロを残さないためにまた飲み込んだ。飴を巻き込まないように指示を出して、痛めた後にまた唾を飲み込む。もう少しでこの飴も溶けてしまうな。最初は楽だったのだけど、今は管理が少し面倒くさい。でも、受け入れられる量がそもそも少ないからどうしようもないか。
ごめんなさい、どうしようもなく流された先でも、こんな僕はたいして役に立てないから貴方の邪魔になったその時は、僕をきちんと見捨ててくれ。
今月殺せるのはあと二人。この萎れた花束は弔花にはなれないし、彼女にも悪いから今日はだれも殺さないでおこう。明日はわからないけど、蘭はまだしばらく持つだろうから。
蟲 祜虚誰仮 @shirahahumi
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