第7話 リスペクトゆえの

「……何ふざけたこと抜かしとんのや、おっさん!」


 怒声が充希みつきの口から溢れ出す。もう止めるつもりは無い。


「金額負けろ? 持ち帰らせぇ? 何言うてんねん。いくら大阪名物ちっさいおっさんや言うても、言うてええことと悪いことがあるわ。レジェンド池乃いけのめだか師匠に詫びてこんかい!」


「なっ……!」


 男性は驚き、目を白黒させている。充希は畳み掛けた。


「女がやっとるしけた店やて? そんな店でケチるお前は何やねん。しけしけのしけか? 女を下に見てでかい口叩くんやったら、ここにいてはるお客さまの払い全部持つぐらいの漢気見せんかい!」


 男性は顔を真っ赤にして、怒りに震えている。だから何だ。この「つきみ」をけなされただけならともかく、お客さまに不快な思いをさせたことは許せない。


 充希は男性を睨み付けた。すると男性は怒りのままに乱暴に立ち上がる。


「女のくせにわしにそんな口利いて、ただで済むと思うなや……!」


 ここが高級店であろうがしけたお店であろうが、こんなことを言う人間性の男性に、名誉も人徳もあったものでは無い。例えどこかの企業の社長であったとしても、これではたかが知れている。権力を振りかざす勘違い野郎はどこにでもいるものだが、これでは人は離れて行くだろう。


 充希は無言で男性を見下ろした。そこには軽蔑すらも含まれている。男性は充希がてこでも動かない、弁明もしないと察したのか、席を離れるとどかどかと歩いて、雑に開き戸を開けて出て行った。


 静まり返る店内。が、一瞬間を置いて沸き起こったのは、大きな歓声だった。


「やったー! 久々の女将のキレ芸やー!」


「相変わらずかっこええわぁ〜。素敵やわぁ〜」


「ほんまやなぁ。すかっとしたわ」


 兄さんまだおろおろしながら、それでも安堵の表情を見せる。充希はガッツポーズを見せつつも。


「お騒がせしました。ほんますいません」


 丁寧に頭を下げた。


「いやぁ、しっかし、久々に酷い客やったなぁ。ありゃあもう2度とここには来んやろ」


 アキさんの呆れ笑いを含んだせりふに、充希も「そうですね」と頷いた。


「しかし充希、お前やんちゃやった過去も無いのに、ようあんな言葉出てくるよなぁ」


「そりゃあ、新喜劇でやすえ姉さんのキレ芸見て育ってるもん。でもまだまだやすえ姉さんの域には届かんわ」


「いや、見とってもそう簡単に身に付くかい」


 みちえ姉さん、未知みちやすえさん。そして池乃めだか師匠は、吉本新喜劇の俳優さんである。充希は吉本新喜劇を見て育った。土曜日、学校から帰って来てお昼ごはんを食べたあと、テレビにかじりついて見たものだ。


 起承転結、しっかりとしたオチのあるお芝居の中で、俳優さんたちがこぞって持ちギャグを繰り広げるのだが、「わや」な様でしっかりとまとまっている。


 みちえ姉さんのキレ芸はそのひとつである。「何ぬかしとんじゃぁワレェ!」などの啖呵から始まり、「脳みそちゅうちゅう吸うたろか」で一呼吸、最後、急にぶりっこになって「怖かったぁ〜」で終わる。あれは芸術だと充希は思っている。


 池乃めだか師匠は身長145センチという小柄な男性で、その特徴を活かしたギャグやコミカルなお芝居をするのだ。それらから「ちっさいおっさん」とも呼ばれ、多くの人々に親しまれている。


「ほんまに失礼しました。あんなお客さま、1日にふたり以上来はる様なことは無いでしょうから。皆さまごゆっくりくつろいでくださいね」


 充希のキレ芸が出るのは頻繁では無い。あそこまでなお客さまはなかなかいない。充希とて、のべつまくなしにキレ芸を披露しているわけでは無いのだ。


 あくまで充希が怒髪天に至るのは、お客さまのため。お客さま、特にご常連は充希のキレ芸を歓迎してくれるので、成り立っているのである。


「あのお爺ちゃん、余計なことせんですかねぇ〜」


「大丈夫やろ。言うてもせいぜい近所への愚痴や。あれやと友だちがおるんかどうかも怪しいわ」


「そうそう。わしはともかく、一般的な年寄りには使いこなせるツールとか少ないからなぁ」


 そう言いつつ、万が一何かあっても「つきみ」は大丈夫なのだ。と言うのも。


「ま、何かあれば、俺が追い詰めるし」


 高塚たかつかさんは元ハッカーなのだ。学生時代も含め若い頃はいろいろとやらかしたと言っていた。今は足を洗って、デザイナーとしてパソコン技術を駆使している。センスもあったのだ。


「誹謗中傷や営業妨害が出たら、わしが力添えできると思うし」


 アキさんは警察官だった。大阪府警のサイバー犯罪捜査課の責任者だったのだ。高塚さんとはそのときに知り合い……正確に言えば検挙し、高塚さんの面倒を見たのがアキさんだった。


「あたしも黙ってませんし。追い詰めるお手伝い、できますし〜」


 佐貫さぬきさんは弁護士なのである。今は大手の法律事務所に勤めるイソベンだ。法律の専門家なのだ。


 もちろん狙ったわけでも図ったわけでも無い。そういうご常連、ご縁に恵まれた、そういうことだ。これは本当に吉兆だと思っている。


「皆さま、ありがとうございます。おかげさんで、うちは安心して営業ができます」


 充希は粛々と頭を下げる。


「ほんま、なんちゅうか、充希は強運やんなぁ。羨ましいわ」


 兄さんが屈託無く笑い、それが店内に穏やかに広がった。




「んー」


 「つきみ」の開店時間になり、のれんとボードを表に出した充希は、思いっきり伸びをした。


 6月、梅雨の季節になり、今日はその隙間の貴重な晴れ日だった。雨だとどうしても客足は遠のいてしまうが、今日は大丈夫そうだ。


 充希は支度中の木札を営業中に回転させた。その反動で木札が軽く揺れ、壁に当たってからんと小さな音を立てた。


「さ、今日もがんばりますかね!」


 充希は口角を上げると、颯爽と中へと戻って行った。

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大阪の小料理屋「つきみ」に何かが響き渡る 山いい奈 @e---na

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