【Web再録】月の石を拾う

伊野尾ちもず

月の石を拾う

 うちのクラスには、変な子がいる。

 今年の夏休み明けに転校してきて、第一声が「みんな!UFOっているよね⁉」だった女子だ。

 名前も名乗らず、前の学校名も言わず、何の前振りも無く、自信満々にあのセリフ。

 本人の興奮した顔に対して、うちのクラス——五年二組は冷たかった。つまり、彼女は転校早々このクラスの腫れ物と認定されたってことだ。

 そんなクラスの印象なんてどこ吹く風のあの子は、伝説を作り出していった。

「国旗掲揚の紐は雨の氷とクモの糸でできている」

「校庭に引いてる白いラインは月の砂」

「給食のグラタンはおばちゃんが火を吐いて焼いてる」

 などなど。

 ためらわずに意味不明な発言を繰り返すので、クラスの中では

「あいつは頭が悪いから仕方ない」

「優しくしてあげないとだね」

 と歳の離れた弟妹を見るような視線に変わっていった。あの子がおしゃれや恋バナに興味がなかったのも、弟妹扱いの理由だろう。

 ところが。あの子がテストで八十五点をとっていたと発覚し、クラス内の評価は「守ってあげないと可哀想な子」から一気に「嘘つき女の虚言癖」に変わった。頭が悪いのではなく、意図的に嘘をつく悪いやつだと見られたわけだ。

 かくいう私——結川くららもクラスの雰囲気に同意見。冗談なら、冗談だと言えば良い。知らないなら、本当はどうなんだろうと聞けば良い。どちらでも無いのは人を下に見ている感じで悪質だと思う。関わらないのが最善だ。

 だけど。

 どうしても、「嘘つき」だけで終わらない何かがあるような気がした。だって、あの子の、「谷野津紀」の嘘は誰も不幸にしていない。小一だって信じない嘘で保身は無理だし、信じたところでくだらない内容ばかり。

 なら、何なのだろう。

 嘘だけど、嘘じゃない。

 どちらかといえば……物語の一文だ。


 * * *


 放課後の図書室。

 私は文庫の棚の前で谷野津紀を待っていた。もしかしたら、あの子の発言が小説の引用かもしれないと思って、聞いてみたくなったからだ。

 不意に、ドアのすべる音がした。入り口でたたずむあの子がいたので、こっちこっちと手招きして呼び寄せる。

 目の前に来た彼女は、切りっぱなしの厚いおかっぱの下で、うさぎのような目を輝かせてこっちを見ていた。

「あたし、くららちゃんに何かしたっけ?」

 首を傾げる津紀に私は首を振った。

「もしかして、宮沢賢治好きかなって聞きたくて」

「クラムボンよりでんしんばしらの方がデンデンしてて好きかな。でも別に宮沢賢治が特別好きなわけじゃないよ」

「じゃあ、星新一は?」

「面白いなーとは思ったけど、ちょっと難しい話だよね」

 そこまで答えた津紀が、目と鼻の先まで詰まってくる。黒目がちで微笑む津紀の顔が怖くて、反射的に首をすくめてしまう。

「くららちゃん、何?図書委員会アンケート?書くんなら紙ちょーだい」

「違う……」

 呼び出したのは私。質問したいのも私。逃げるな私!

 細く息を吸い込む。

「津紀ちゃん、なんで最初の日に『UFOいる』って言ったの?」

「そんな事言ったっけ?」

 きょとん、の効果音がぴったりな津紀の顔に「言ってた」と念を押す。

「待って、ちょっと思い出してみる」

 眉間に皺を寄せ、顔をフェイシャルマッサージし、しばらく「む〜」とうなった後、津紀は唐突に「あれか!」と叫んだ。

「『最初の日』って、転校してきた日のことだよね?教室の後ろに習字の作品飾ってあったでしょ?『宇宙』って。それと、後ろの黒板に丸いUFOが四つくらい?落書きしてあったんだ。タコ型の宇宙人も。だから、UFOとか宇宙人とかクラスで流行ってるのかなって思って、とりあえず聞いちゃった」

 私の口から吐息のように「何それ」と声が出る。

「でしょ?あはは、失敗、失敗。あたし、気になると止められなくなっちゃうんだよねえ」

 頬をかきながら、津紀は豪快に笑った。

「じゃあ、校庭の白いラインが月の砂って言ってたのは」

「あの時ね、日が沈んでから学校の前を通ったらそう見えたんだ」

「どういうこと?」

 ふふっ、と秘密をこっそり打ち明ける時のように、口角を上げた津紀が南側の空を指さす。

「ちょうど、満月が空の中心で、その真下に白いラインが真っ直ぐに伸びていたから、なんか月から砂がサラサラ〜って落ちてきたら丁度こんな感じかなぁって思った」

 空中に指先で満月を描いて、下へ垂直な線を引っ張る津紀。

「月の光がすごく綺麗だったんだ。光が粉で、しんしん積もって白い粉になって、集めて地面に線を描くライン引きになるんだよ」

 どうやら、夜の校庭を見た時に、白い満月と手前から奥に伸びる白いラインが繋がっているような気がして感動した、ということらしい。

「月の砂は津紀ちゃんのイメージの中の話ってこと?」

 そう聞くと、津紀の顔が明らかに曇った。

「そうだけど……そうじゃないけど、そういうことにしとく!」

「そんな言い方じゃわかんない。嘘とどう違うのか説明して」

 投げやりな言い方に食い下がって津紀に詰め寄ると、心底嫌そうなしかめっ面で

「だって、あたしにはそう見えてたって言っても、わかんないでしょ?」

 と吐き捨てられた。

「あたしだって、ライン引きの粉がホタテパウダーとか石灰なの知ってるよ。だけど、良いじゃん。ライン引きが月の砂だったら、それだけでヤなことがキラキラに変わるでしょ?」

「キラキラって……」

 あきれて言い返そうとした私の目に、目元を赤くして口元をゆがめた津紀が映る。泣き出す一歩手前のその顔に、私の頭の中で何かがとろりと溶けた感覚がした。

 ああそうか。

 津紀の中では日常と空想は同じ価値があるんだ。

 物語も詩も紙の上だけのものじゃない、人の中から口をついて出てくることがあるんだ。

 自分の世界観を泣くほど大事にする人が目の前にいる。それが何よりの証拠だ。

 一つ、息を吸う。

「ごめん、津紀ちゃん……今なんかわかった。うまく言えないけど、津紀ちゃんみたいに日常を見るの、素敵だと思う」

「ほんと?」

 鼻水をすすり上げながら問う津紀に、私はしっかりと頷いた。

「本当。津紀ちゃんは嘘つきじゃない」

 じわ、と浮かびかけた涙を袖で力強くぬぐった津紀が不器用に笑う。

「くららちゃんさ、ちゃんと聞いてくれたね。誰も意味を聞かなかったのに」

 確かに、誰も津紀に発言の意味を聞き返さなかったな、と言われて思い出す。

 きっと、みんな悪者になりたくなかったのだろう。津紀の発言に戸惑って、変とも言えず、質問するのも変だと言っているのと同じだと思って、黙ったんだ。

 もしかしたら、それは、ひどく寂しいことかもしれない——と真面目に考えていると、津紀の気の抜けた能天気な声が聞こえてきた。

「てか、くららちゃんあたしの事好きでしょ?よくセリフ覚えてるよねぇ」

「んなっ……!別にそういうんじゃないし」

 こっちの意見なんてまるで聞いてない津紀は、もう私の手を握っている。

「ねぇねぇ、くーちゃんって呼んでい?くららちゃんのくーちゃん!あたしの事はつーちゃんって呼んで良いから!」

 そう言って握った手を振り回して「けって〜い!」の掛け声と同時に投げ上げる。

 呼び方とかどうでもいいけど、距離の詰め方おかしくない?早くない?

「ガマンしてたんだ!あたしのこと、嫌いじゃない人しか友達って呼びたくないもん」

 カーテン越しでも強い西日の中、さっきまで泣いていたのが白昼夢だったような、そんなまぶしい笑顔で津紀は言う。

 呆然としていた私がやっと声にできたのは「一つ聞かせて」だった。

「『給食のグラタンをおばちゃんが火を吐いて焼いてる』って言ってたのは何だったの?」

「全校生徒分のグラタンをいっぺんに作れるオーブンなんて無さそうだなって思って」

 うさぎのような目でそう言った津紀にため息が出る。

「……あるよ。一度に二百食くらい焼けるオーブン的な機械」

「うそだぁ。そんなジト〜っとした目で言わないでよ」

「だって給食室の見学に行ったことないの?説明されなかった?」

「給食のある学校初めてなんだ」

 堂々と言う津紀に「マジか」とつぶやくと「マジだよ」と余計に笑みを深めて返された。

 頭を抱える。なにかおかしいと思ったら、給食自体が初めてだったとは。

「ねぇ、普通に考えて、おばちゃんが吐いた火とか気持ち悪くない?それ津紀ちゃんの思うキラキラなの?」

 そう聞くと、津紀は視線を左目の端から右目の端へゆっくり弧を描いて進んでいき……そこでハッと目を見開いた。

「確かに。考えてみたらエーセー的に良くないね」

 衛生を心配する考えがちゃんとあることにホッとする。のも束の間、あっという間に津紀の腕と体温に包まれていた。

「やっぱりくーちゃん面白いね!私、くーちゃん大好きになっちゃった!もうシンユーってやつだね!」

 抱きついてぴょんぴょん跳ねようとするので「暑い‼」とひっぺがす。

 続けて「抱きつくな」と言いかけたところで、背後に圧を感じて呼吸が止まる。

 ゆっくり振り返ると、図書室の先生がカウンターからこちらをにらみつけて、鳥肌が立つような不機嫌さを放っていた。

「すみません、もう出ます!」

 棚の影に隠れようとする津紀の二の腕をつかんで小走りに図書室を後にする。その間も津紀は「そんなにうるさかったのかなぁ……きっとあの先生、今日は給食に苦手なものが出ただけだよ、明日は美味しいと良いね〜何好きかな煮込みハンバーグは皆んな好きだよねぇ」などとずっと独り言を続けていた。

「図書室で飛びはねたらうるさいでしょ、それと明日は麻婆豆腐」

 うっかりツッコミを入れてしまったが、津紀のマイペースに耐えられる気がしない……


 * * *

 

 金曜日の六時間目、今日は必修クラブの日。自然観察クラブの活動で小学校から程近い川辺をクラブのメンバーで訪れていた。

 すんだ青空は秋の気配を見せ始め、入道雲の子供は見当たらなくなっていた。

 気温も下がって、外で虫探しをするのに良い季節……とはいえ「隣で騒いでいる人がいなければ」の注意書き付きだが。

「ねぇねぇ、くーちゃん!くーちゃん!」

「何」

「あっちにすっごく高い木あるでしょ?あの木のてっぺんならゴクラクチョーの巣が作れると思う!ゴクラクチョーって知ってる?南の島にいるおっきな鳥だよ。あの木の上ならあったかいから、ゴクラクチョーも住めると思うんだぁ」

 あっちあっち、と津紀が指差す先には一本だけ場違いなほど背の高い木があった。

「コーチンの木だね」

「何それ?」

「うちのクラブの四年が言い始めて定着したんだよ。教科書に月をつかもうとして主人公のコーチンが木に登る話があったから、だってさ」

 へぇ、と気の抜けた声を出して津紀はコーチンの木をしげしげと観察する。

「コーチンの木……なんか、良いね!それ!ダサいやつかと思ったら意外と文学的!あたしもコーチンの木って呼ぶ!」

 根本見てくる!と宣言して走り出す津紀を見送り、足元の草むらに目を落とす。目的の虫はまだ見つからない。

 実のところ、津紀は学校にいる間はあまり私に声をかけない。私も津紀に話しかけない。必要最低限のやり取り、それでおしまい。

 それは私の弱さだと思う。津紀の評判で自分の評判が落ちる恐怖。嘘つきの仲間と言われる恐怖。私の方から津紀に歩み寄ったように見せて、中身は何もない。酷いやつ。

 津紀も多分察していて、必修クラブとか図書室とか、人がまばらな時に話しかけてくる。私はそれに寄りかかって良い人っぽく見せている。

 きったない。

 誰よりも、きったない。

 どかした石の下、しめった土の中をミミズが素早くもぐっていった。

「あんまりあったかくなさそうだったー」

「まだ極楽鳥の話してたの」

 戻ってきた津紀にあきれた視線を投げる。自分のことを棚に上げて。

「くーちゃん、探してた虫は見つかった?」

「いや、全然。葉っぱの食い跡はあるんだけど」

「そっかー。じゃあ、あたしも手伝う!」

 そう言って、津紀が四つんばいで草むらへ突進していこうとするので、あわてて服を引っ張って制止する。

「大きい音で虫が逃げるから、静かに近づいて。虫は敵が多いから、音とか気配に敏感なの」

「はあい」

 大人しく返事をして、地面をひっかき始める津紀にホッと胸をなで下ろす。

 それもつかの間、「そうだ!」と大きな声と共に草むらの中からいきなり立ち上がった。

「くーちゃん、あたしね、月に行く方法見つけちゃった!」

「新聞紙四十二回折るの?」

「違う違う、そうじゃ、そうじゃなぁい!もっとお手軽〜」

 ニヤ、と口角を上げた津紀が「見て見て!ここ!」と言いながらスマホのマップを見せてくる。指差す先は学校から程近い緑の山の中、地面が白くえぐれている場所。

「これ、ただの採石場だよ?てかスマホ使っていいの?」

「学校の外だから良いじゃ〜ん……てかさ、ここ、何作ってるか知ってる?」

 写真には見覚えがあった。どこで見たんだっけ、と思い出している時に社会の授業で地域の産業を説明する声がふと記憶の底から浮かび上がってきた。

「なんだっけ……石灰岩?だっけ」

「そう!それ!それでさぁ、校庭のライン引く粉って何でできてる?」

「ホタテパウダーでしょ」

「じゃなくて!」

「石灰?」

「ピンポン!つまり、この採石場は月に一番近いところなんだよ!」

 期待にあふれた津紀の顔に「何言ってんの」と返す。

「月は石灰でできてないよ」

「もぉ、くーちゃんは夢がない‼ライン引くやつが月から落ちてきた月の粉だったらすごくキラキラしててきれいじゃん?」

 自信たっぷりに更に笑みを深める津紀。純粋で揺らがないその瞳に真っ直ぐ見つめられるのは、少し怖かった。

「昨日、夜に行ってきた!思ったよりもツキツキしかったから、くーちゃんもこの後行こ!」

「夜なの?」

「昼間じゃフインキ出ないじゃん」

「なら無理。日が落ちてからなんて物騒だよ」

「くーちゃん、マジメねぇ」

「事件にあいたくないだけだよ」

 行くのは嫌、と手を振って断る。

「けどさぁ、あたし、くーちゃんと月の石、拾いに行きたいんだよなぁ」

 ぽつりと津紀がつぶやいた。

 あまりに静かな声だった。言いかけた「行かない」を思わず飲み込むくらいに。

「地面がさ、白くて銀色にキラキラしてて、だけど時々青くも見えて、少しひんやりしてるの。きっと月明かりには色んなものを青く染めて冷やすチカラがあるんだね」

 川の向こう、採石場がある方へ視線を向ける津紀。

「風に白い粉が飛んでるのは、青い光が懐かしくて月に帰りたがってるんだよ。でも帰れない。帰れないから寂しくってぎゅってかたまりになって、石になる。月の光の涼しさと、帰れない寂しさでひんやりしてるけど、きっと涙の分あったかい、そんな石」

 一瞬ふせられた津紀の目に、知らない感情がにじむ。愛しくて慈しむような、でも諦めるような、何か悲しい目をしていた。

「あたしも月には行けないけど。あの場所なら小学生でも、宇宙飛行士になれなくても、月に行ける。すっごく夢があると思わない?」

 秋の草を背にしてほほえむ津紀の目は、もうあの感情は映していない。それでも、あの目を見てしまったら、断る意思が急速にしぼんでしまった。

「……勝手に取ったら窃盗罪だから、見るだけなら」

 負けたような気がして、津紀のいないところへ向けてつぶやく。聞こえたらしい津紀の顔が、目の端でいっきに輝いた。

「ねぇ、今、見るだけって言った?言ったよね⁉」

「言ったよ」

「くーちゃん、一緒に来てくれるってこと⁉月世界見に行ってくれるの!?え、本当?夢みたい!夢じゃない?夢じゃない!ありがとう‼」

 飛び上がって私の手を握っては振り回す津紀を振り払って、落ち着け、と肩を叩く。しっかり津紀と目を合わせてから、大事なことなのでゆっくり語りかける。

「見るだけ。見るだけだよ?約束して、石は拾わないこと。窃盗罪になるんだから」

「セットーザイ?」

「泥棒したら警察に捕まるよ、ってこと」

「なぁんだ、そう言うこと!持ち帰らなければ良いんでしょ?」

「まぁ、そうなるけど」

「いえいっ!」

 くーちゃんが来ってくっれるぅ〜!と謎の歌を歌いながら踊り出す津紀。

 もう言っても仕方ない、とため息をつく。

 遠くから、小さなリー……リー……とひかえめな虫の声が聞こえ始めていた。


 * * *


 満天の星。星月夜。冴え冴えとした星光。

 白い大地を舞台に、ふわりとターンする津紀。広大な宇宙の中、星を引き連れワルツを踊るようなステップに、おかっぱの髪が空気をはらんで円を描く。

「月、来れたね!」

 曇りのない笑顔で振り向いた津紀は、更に下へと風のように走っていく。

 その背中を追いかける私は、もう腹をくくって全力で楽しんでやろうと息巻いていた。

 必修クラブの後、こっちこっちと津紀に手を引かれて行った先には自転車があった。河原の草むらにあらかじめ津紀が隠しておいた、少しサビた自転車。彼女の熱量に抵抗できず、不本意ながら荷ケツで採石場へ向かって、作業員が全員帰る頃にたどり着いた。時間は午後五時半の少し前。

 自転車を採石場の閉ざされた門の前に止め、二人分のランドセルを放置して、津紀に言われるまま、壊れている柵の隙間から侵入する。今日の服装がデニムとスニーカーで良かったと本気で思いつつ、草むらをかき分けて進む。

 足元が白っぽい砂利道に変わった瞬間、津紀が飛び出して「月に来れた」と宣言したのだった。

「すごいでしょーー‼」

「わかったから待ってーー‼」

 叫びながら軽やかに坂道を駆け降りていく背中に、思わず私まで絶叫する。

 削られて陥没した山肌は、まるで月のクレーター。石ころばかりで草も生えない道は、空気のない月の寒々しい光景によく似ている。

「ここでねーゴロゴロするの!」

 先にクレーターの底にたどり着いた津紀が砂利の広場に寝転ぶ。

「何やってんの、汚れるよ」

「くーちゃんもやればわかるから!ほら早く!」

 津紀が楽しそうに隣りの地面を叩くから、仕方なく言う通りに寝転んでみる。

「……背中痛い。石刺さるんだけど」

「ケンコーゾーニングのボツボツだと思えば痛くないよ」

「ツボ押しの板とか年寄りかよ。私ら小学生なんだけど」

「それよりさ、空見て、空!」

 津紀が指差す先、視界いっぱいに星空が広がっていた。

 街の光も、月も、人工物も、木も見えない。視界の縁に少しだけ採石場の削った崖が見えるだけ。余計な光のない真っ黒な背景に、小さくて白い星明かりが幾つも幾つもきらめいていた。

「きれいでしょ。あたし、星見るの好きなんだ。誰も一緒に来てくれないけど」

「……今は私がいる」

「そう、そうだね。今はくーちゃんがいる。あたしの隣にくーちゃんがいる」

 津紀の声は、さっきまではしゃいでいたのと対照的に静かだった。事実を確認して、噛んで含んで腹の底に入れるような、そんな静けさ。

 やめて、と言いたくなった。

 私の言葉にそんな意味はないんだから。

 星明かりを「きれい」なんて私思えてない。何億光年も離れたところからこの場所に光が届いている証拠、と知っているから。自分の存在も悩みも全部小さいのだと見せつけられるようで、生きることが馬鹿らしく思えてしまう自分が許せなくなるから。

「月の石はね、このままだと帰れないの」

「昼間の続き?」

 うん、と津紀は頷いた。

「帰るのに一旦粉になって、キレイにならないと、星空に負けないキラキラになれないの。だってほら、見て?この辺りに落ちてる石は灰色だよ。これで戻られたら月が星の光に負けちゃう。そんなの月が許してくれない」

 月にも自己中な理由があるんだな、と思いつつ星空を見つめる。帰りたいのに許されないとしたら、懐かしんでいる砂たちはずいぶんかわいそうだ。

「だからね、こう、あの機械?で採石してもらって、粉にして星に負けないキラキラにしてもらうんだよ」

 津紀が指差した先には巨大なすべり台のような建造物があった。

「ね、見に行こ!帰りたくてうずうずしてる月の砂!」

 はねるように立ち上がる津紀。その差し伸べられた手を取って、私たちは絶壁の上の白く染まった機械へ走り出した。

 近くで見ると、「月の砂」の山は白いのに夜の闇で青く見える。周りに生えている木は白く染まって薄紫の光を反射していた。

「青いねぇ、白くて粉だねぇ。これだけ白くてキレイになれたらもう帰るだけなのに、まだ帰れないのなんでだろう」

 きっと、と言いかけた津紀が突然口をつぐんだ。

「きっと、何?」

「……違う。あっち、誰かいる」

 津紀の顔に緊張が走る。その視線を追うと、白山と機械の向こうの事務棟の手前で強い光がゆらゆら揺れていた。

「この時間に従業員?」

 たぶん、と津紀がうなずく前に私は津紀の腕を握って走り出していた。さっと周囲を見回して、事務棟から見えない場所、休憩所の陰に二人で飛び込んだ。それから警戒しつつ事務棟の光を振り返る。あの人このまま帰ってくれないかな、なんて期待むなしく、光は大きくなっていく。こっちに来る。

 津紀を見れば鼻と口をしっかり押さえて小さく丸まっている。寄り添うように私も丸くなるけど、手が震えている。なんだか寒い。

「この辺で落としたのかなぁ」

 懐中電灯を持ったおじさんがつぶやきながら近づいてくる。こっちに気が付かないで。お願いだから……!

「なんだこの足跡……子供みたい?」

 足跡。そんな細かいこと今は気にしないでよ‼良いから早くあっち行って‼

 そう感情がたかぶったせいかもしれない。私の口からとんでもなく大きなくしゃみが出てしまったのは。

 即座におじさんの懐中電灯が向けられて、私たちは丸く白い光に包まれた。

「こ、子供⁉」

 おじさんの驚いた声なんて構わず、二人して合図もなしに走り出す。一目散に自転車めがけて。

「ねえ、津紀ちゃん!ここって出入り口いくつ⁉」

 走りながら隣の津紀に聞けば「ふたつ!」と返答が。

「じゃあさっきの人は別の入り口の人だね!自転車で振り切れる⁉」

「やる‼」

 草むらを突っ切って、柵をくぐり、ランドセルを拾って自転車に飛び乗る。

 下り坂。津紀がペダルをこぎ始めて数秒で加速が進み、砂利道も壊れたアスファルト舗装も知ったこっちゃないスピードへ。切るような寒い風。揺れるたびに痛いお尻。後ろではおじさんの怒声。

「ふは、あははっっ!」

 笑い出したのは津紀だった。

「なんかサイコーじゃん⁉青春してるーって感じ‼」

「青春とかいいからこいで!さっきのおっさんに捕まる!」

「あ〜わかった!月の砂が簡単に帰れないの、あのおじさんがいるからだ!帰ろうとするとヌオーッて出てきてバクバクーッて食べちゃうの!だからいつまでたっても帰れない!」

「今それ大事⁉」

「大事‼」

 そう答える津紀の声はあまりに楽しそうで、怒りたい気持ちもどこかへ消えてしまう。

「舌、噛まないでよ‼」

「おけまる水産、よいちょまる‼」

 抱きついた津紀の背中ごしに、目まぐるしく風景が変わっていく。

 一拍遅れて、私も笑いが込み上げてきた。

 今朝、家を出た時は想像もしてなかった事態になっている。同級生と夜の採石場に忍び込んだ挙句、自転車で爆走していて、荷ケツでお尻が痛いなんて。

「ふ、ふふっ、あは、あははっっ!」

「くーちゃん笑った〜!」

 夜空に私たちの大きな笑い声が吸い込まれていく。

 私たちの小さなきらめき。それで良いじゃない。小さくても輝いているんだから。


 * * *


 うちのクラスには、変な子がいた。

 小五の夏休み明けに転校してきて、第一声が「みんな!UFOっているよね⁉」だった女子だ。

 一緒に夜の採石場に忍び込んだ帰り、私たちは補導されて、うちの親に泣かれた。あんな泣きながら怒りながら笑っている親なんて初めてで、とりあえず「心配かけてごめんなさい」と謝っておいた。心配かけたのは悪かったと思うけど、時間が戻っても同じことをすると思うから、後悔はしていない。

 津紀の親は忙しいらしく、迎えに来なかった。成り行きでうちの親が送ったけれど、あの時車の中で津紀と話したことが忘れられない。

 「コーチンは木に登る想像をしていただけで、月に届くことはなかった。月の砂も願ってるだけじゃ帰れないんじゃない?」とこぼした私に、津紀はまっすぐな目で「違う」と言った。

「想像する頭の中までは誰も追いかけてこないんだよ。ジューリョクも、人間も」

 あの時、強く握りしめた津紀の拳に何が包まれていたのか、私は知らない。

「けど、想像するだけじゃ、どこにも行けないのはほんとうだね」

 力が抜けて泣きそうな、津紀の声をよく覚えている。

 だからだろうか、もう少し考えるつもりでいたことを「ねぇ、津紀ちゃん。ものは相談なんだけど——」と話してしまったのは。

 あの日の提案の結果、私たちは同じ中学の文芸部に所属している。ペンネームは「月野(つきの)くぅ」。谷野津紀と結川くらら、二人で一人の小説家のたまご。

 津紀がアイデアを出して、私がそれを小説にする方式にしてから、津紀の「嘘つき」は「ネタ探し」に変わった。そして、先生とクラスからの目線が少し柔らかくなった。

 前置きのない空想は嘘でも、空想を行動に変換すれば現実にできる。現実になった空想はずっと味が濃い。それを知っている私たちだから、小さなきらめきも愛おしく思えるし、どこへだって行けるんだ。


 ねぇ、津紀。今度は何を書こうか?



(了)



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