優しい嘘

平 遊

もう会わないよ

 その桜の名所には、不思議な話があった。

 4月1日の午前中に失恋した女の子が1人で行くと、傷ついた心を癒してくれる素敵な桜の精に会えるかもしれない、というのだ。

 ただし、桜の精に会えるのは、一生で一度きり。二度会う事は無いのだとか。

 この話を知ったのは、私が不思議な体験をした、翌日の事だった。



「綺麗だな」


 ポツリと呟いた言葉に反応してくれる人は、もう私の隣にはいない。

 満開の桜を見に行こうねと約束していた彼から、私は昨晩別れを告げられた。だから今日、私は1人で満開の桜を見に来たのだ。人が多くなる前、朝の早い時間帯に。


「一緒に、見たかったな」


 鼻の奥がツンとする。涙は昨晩流しきったはずなのに、また目頭が熱くなってくる。

 急いで鞄からハンカチを取り出そうとした私の右手が、その時突然、柔らかいものに包まれた。


「一緒に見ようよ」

「えっ?」


 驚いて右側に顔を向ければ、そこには見た事のない男の子の笑顔が。

 と同時に、左手も柔らかいものに包まれた。


「一緒に見たいな」

「えっ⁉」


 もっと驚いて左側に顔を向ければ、そこには右側にいた男の子とそっくりな顔の男の子の笑顔が。


「「行こう?」」


 訳が分からないまま私は2人の男の子に両側から手を繋がれ、引かれるままに足を進めるしか無かった。



「うわぁ、綺麗……」


 どこをどう通ったかはよく分からないけれども、辿り着いたそこには、一際見事な満開の桜の木があった。桜の名所なはずなのに、不思議な事に、周囲に人のすがたは1人も見当たらない。



「俺、さく染井朔そめいさく

「俺、らい吉野礼よしのらい。ねぇ、キミの名前、教えて?」


 桜の木の前で私の手を離してくれた2人の男の子は、今度は2人並んで私の前に立ち、私の顔を覗き込んでくる。

 良く見れば、無数の淡い桜の花びらが描かれている白い生地のローブを纏っている方が、朔。

 同じ模様で、紺の生地のローブを纏っている方が、礼。

 年は多分、私と同じ20代くらい。

 フワフワの焦げ茶の髪に柔らかく包まれた顔は、抜けるように白い肌で、どこかこの世のものではない儚さ、美しさだった。けれども、4つの瞳だけは無垢な子供のようにキラキラと輝いて、じっと私を見つめている。


「美桜。美しい桜って書いて、みお」

「可愛い名前だね」

「うん。綺麗な名前だね」


 朔と礼は、私の名前を聞くと、左右に分かれて桜の下へと向かい、同時に振り返って私を見た。


「美桜はこの桜、好き?」


 朔がそう聞いてきた。じっと私を見る顔は、笑ってはいない。


「うん」

「美桜はこの桜に、ずっと咲いてて欲しい?」


 今度は礼が聞いてきた。やはり、礼も笑ってはいない。


「綺麗だし、ずっと見ていたい気もするけど、でもそれは違うかな」

「「なんで?」」


 2人同時に発した疑問に、私は少し考えながら答えた。


「多分、桜は散るから、散るって分かってるから、余計に綺麗で素敵で、愛おしくなるんだと思う」


 と。

 同時に駆けてきた朔と礼が、左右から私の事を抱きしめる。


「「正解!」」


 フワリと漂う桜の優しい香りに包まれながら、私は朔と礼の言葉を聞いていた。


「この桜はね、散ってしまった恋の悲しみが咲かせた桜なんだよ」

「こんなに美しく花を咲かせたのだから、美桜はもう、大丈夫だね」

「えっ?」

「俺たちの役目はここで終わり。じゃあね、美桜。またね」

「またね、美桜。次はもっと素敵な恋、してね」

「えっ?」




「えっ⁉」


 気づけば私はいつの間にか、見慣れた場所に1人で立っていた。

 周囲には、満開の桜を見に来た、多くの人たちの姿が。

 腕時計を見れば、ちょうどお昼を回った時間。

 沈んでいたはずの気持ちはすっかり軽くなっていて、お腹も同じように軽くなっているのを感じた私は、そのまま自宅へと戻ることにした。



 翌日。

 何気なくネットを見ていた私は、前日に訪れた桜の名所にまつわる不思議な話を見つけた。


『4月1日の午前中に失恋した女の子が1人で行くと、傷ついた心を癒してくれる素敵な桜の精に会えるかもしれない。

 ただし、桜の精に会えるのは、一生で一度きりで、二度会う事は無い。

 なぜなら、桜の精に出会えた女の子は、素敵な恋に巡り合い、癒す必要もないくらい心が満たされて幸せになれるから』


 私が朔と礼に出会ったのは、正にその桜の名所。日付は4月1日。時刻は午前中。

 朔と礼はきっと、桜の精だったのだろう。

 そして。


「またね」


 彼らのこの言葉はきっと、優しい嘘なのだ。エイプリルフールについた嘘は叶うことが無いという。

 彼らが私の前に姿を現す事は二度と無い。それはすなわち、私がこの先彼らを必要とする事は無いということだと思う。

 そして彼らはこの先も、恋に傷ついた女の子の心を癒し続けるのだろう。


「ありがとう、朔、礼。大好きだよ」


 小さく呟き、2人が見せてくれた美しい桜が散りゆくさまを思い浮かべながら、私はそっと目を閉じた。



【終】

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優しい嘘 平 遊 @taira_yuu

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