悪魔は老聖女を長期熟成中。

のむらなのか

第1話

 「『この国の聖女が神託によって選ばれたのは今から半世紀も前の話になる。初めて神殿に足を踏み入れた時、彼女はまだ十代の少女だった。朝露のように輝く銀の髪、深く澄んだ蒼い瞳、瑞々しい白い肌……。彼女はまさしく神の寵愛を得るに相応しい乙女だと人々は確信した』。んー確かに見た目はね、まぁ悪くはなかったかな。『けどそれから五十余年……聖女の肖像画は国の至るところに飾られているが、その中に聖女が微笑んでいる絵はあるだろうか』。いや、ないだろうね。『彼女の唇は氷付けにされた蕾の如く、決して綻ぶことはない。今や人々は彼女をこう呼ぶ……氷の聖女と』。ふふ、失礼だね。笑顔を見せるくらい、普通にあると思うけど。……優しく手を握って少し笑ってやればいい。信者なんてチョロいんだから、それだけで金も信心も集まるだろう」

 退屈しのぎに読んでいたゴシップ誌を机に放り投げながらアーサーはそう言った。目の前には気難しげな顔をした老女が一人座っていて、積み上げられた書類に黙々と目を通している。

 彼女こそ神によって面倒事を押し付けられ、半世紀もの間神殿に縛り付けられている聖女様だ。

 かつて朝露のようと評された髪は蜘蛛の糸のように細くなり艶もない。蒼い瞳から聡明さが失われることはなかったが加齢による濁りが見られ、その上最近老眼も進んでいるようである。

 聖女は長年の激務で刻まれた眉間の皺を揉みながら、チラリとこちらに視線を投げてきた。その視線を受け止めアーサーは柔らかく微笑む。

「しかしどれだけ年月を経ても変わらないものもある。怜悧冷徹な聖女様のお人柄、真っ直ぐ伸びた背筋、それによって悲しい程に強調される平らな胸……」

 そこまで言った所で分厚い聖書が飛んできた。さっと避けてから思わず吹き出す。

「ははっ。信じられないな!」

 華美な装丁の聖書は十センチ以上の厚みがあり、バンッ!という音をたてて壁に激突した後に床に落ちた。

「聖女が聖書を投げるなんて!」

「たいしたことは書いてない。ただの分厚い本だ」

 聖女にあるまじき発言だ。

「うん、分厚いね。打ち所が悪ければ死ぬんじゃないかなっていうくらい分厚いね。どうするの?聖書が凶器の殺人事件、犯人は聖女、被害者はその護衛……なんて前代未聞の不祥事だよ。新聞の一面を俺とのツーショットで飾っちゃう?殺人犯と被害者として。まぁ俺と貴女の関係の終着点としては、ある意味正解なのかも」

 くすくす笑いながら聖女を後ろに回り、抱くように机に手をつこうとするも、聖女が立ち上がった為に失敗に終わる。どうやら自らが投げた聖書を拾いに行くようだ。埃を払って本棚に戻す背中に再び声をかける。

「そういえば先程の記事の続きだけれど、面白いことが書いてあったよ。古くなった聖女様は用済みで、近々新品の可愛くて綺麗なのに取り替えるんだってさ。そうなの?可哀想に。こんなに国民のために尽くしたのにゴミみたいに捨てられちゃうの?」

「……」

 聖女サラが振り返る。

「貴女の立場を脅かす者達へ鉄槌を下すというなら俺を頼って。力になるよ、俺の聖女」

「そんな暇ない」

 その声はまるで障気を切り裂く矢のようだ。

 彼女の瞳にはアーサーが見たい感情は見つけられなかった。老いた蒼眼はゴシップ誌の文面の裏にある他者の悪意や嘲笑ではなく、己の残された時間だけを見つめているようだった。

「ふぅん?人の身体は脆いね。百年足らずで壊れるなんて」

「有限だからこそ見えるものもあるだろう」

 そう言って再び山積みの書類に向かう姿をアーサーはじっと見つめた。

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