「一瞬の永遠」

海月

第1話

空が灰色に沈んだ午後、木村敏夫は古びた時計店の前で足を止めた。本来なら急いで帰るべき時間だったが、ショーウィンドウに飾られたある懐中時計が彼の視線を捉えて離さなかった。


「これは…」


彼は思わず呟いた。その懐中時計は、かつて祖父が大切にしていたものとそっくりだった。十年前に亡くなった祖父の形見の品は、引っ越しの際に紛失してしまっていた。


店内に足を踏み入れると、古時計の秒針を刻む音がリズミカルに響いていた。カウンターには白髪の老店主が座り、眼鏡越しに敏夫を見つめた。


「いらっしゃい。何かお探しかな?」


「あのショーウィンドウの懐中時計なのですが」


老店主はゆっくりと立ち上がり、ショーウィンドウから懐中時計を取り出した。その表面には細かな傷があり、長い年月を感じさせた。


「これは珍しい品でね。先週、古物市で見つけたんだよ」


敏夫は懐中時計を手に取った。裏側には確かに祖父のイニシャル「K.T」が刻まれていた。間違いない、これは祖父の時計だった。


「実は、これは私の祖父のものだったと思います」


老店主は驚いた様子で眉を上げた。


「そうかい?世の中には不思議なこともあるもんだ。縁があったんだろうね」


敏夫は時計を購入し、家路についた。アパートに戻ると、彼は時計を丁寧に拭き、ゼンマイを巻いた。カチカチと音を立てて、長い眠りから目覚めたように針が動き始めた。


その夜、敏夫は奇妙な夢を見た。


彼は見知らぬ街を歩いていた。しかし、どこか懐かしさを感じる風景。やがて彼は、小さな公園のベンチに腰掛ける年老いた男性の姿を見つけた。


近づくと、それが祖父であることに気がついた。


「おじいちゃん?」


祖父は穏やかな笑顔で敏夫を見つめた。


「敏夫か。来てくれたんだな」


敏夫は祖父の隣に座った。現実とは思えない状況に戸惑いながらも、祖父の姿を見ることができる喜びが胸を満たした。


「どうして…ここは…」


「時間というのは不思議なものだよ」


祖父は懐中時計を取り出した。


「この時計は特別でね、持ち主の大切な思い出を繋ぐんだ」


「じゃあ、これは夢じゃないの?」


祖父は微笑んだ。


「夢か現実か、それが何だというんだい?今、お前とこうして話せることが大事なんだよ」


二人は長い時間、様々な話をした。敏夫は今までの人生で経験したことや、将来の夢について語った。祖父は時折頷きながら、真剣に耳を傾けた。


「敏夫、お前は立派になったな。だが、まだ自分を縛っているものがあるようだね」


敏夫は黙った。


祖父の言葉は鋭く、彼の心を貫いた。確かに、彼は会社での失敗を恐れ、新しいプロジェクトへの挑戦を避けていた。


「失敗を恐れるな。時間は有限だが、可能性は無限だ」


祖父はそう言って、懐中時計を敏夫の手に置いた。


「この時計を見るたびに思い出すといい」


空が明るくなり始め、祖父の姿がぼやけ始めた。


「もう行かなきゃならないようだ」


「待って、まだ話したいことが…」


「大丈夫だよ。また会える。時間は円環のようなものだからね」


敏夫は目を覚ました。朝日が部屋に差し込み、ベッドサイドには懐中時計が置かれていた。夢だったのか。しかし、手のひらには祖父の懐中時計の感触が残っていた。


その日、敏夫は会社で新しいプロジェクトの立候補者を募る通知を見た。彼は一瞬迷ったが、懐中時計に触れると不思議と勇気が湧いてきた。


「私がやります」


彼の声は、いつもより力強かった。

数ヶ月後、敏夫のプロジェクトは成功を収め、彼は昇進した。その夜、彼は懐中時計を手に取り、祖父に感謝の言葉を呟いた。


時計の針はいつものように規則正しく動いていたが、一瞬だけ、通常とは違うリズムを刻んだような気がした。あるいは、それは祖父からのメッセージだったのかもしれない。


敏夫は微笑んだ。


時間は円環のようなもの。


過去と現在と未来は、目に見えない糸で繋がっている。彼はそれを、祖父の懐中時計を通して知ったのだ。


窓の外では、春の風が桜の花びらを舞わせていた。新しい季節の始まりを告げるように。

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「一瞬の永遠」 海月 @umi_tuki

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