俺の明太子にソースをかけないで

かたなかひろしげ

深刻な慣れ、或いはパブロフ効果は地味に効く

「絶対、このウスターソースをかけた方が美味しいんだからっ!」


 必要以上に目をキラキラと輝かせて彼女はそう言い切った。


 ───彼女と同棲をはじめて早くも六ヶ月。


 たまに二人の食卓に、彼女が大好きな明太子が並ぶ時があるのだが、決まって、その明太子には何故か「ウスターソース」が、かかっているのだ。


 勿論、俺も自分のいままでの人生の食生活というものが、品行方正で世間的にまっとうなものだった、などと胸を張って言えるわけではない。だが、まがいなりにも料理人をむかし目指していた俺の感覚では、世間一般的に明太子にウスターソースはかけないものだと思う。うん。間違いない。


 彼女はウスターソースの海に浮かぶ明太子を、湯気の立ち登るほかほかごはんに乗せ、それはもう旨そうに食べており、彼女が満足していることに疑念の余地はない。


 で、あれば、それはもう彼女の味覚が、個性的であるだけの話だとは思うのだが、問題は、「ほらー、これが美味しいんだから!」と言わんばかりに、俺のお椀の中に鎮座されている明太子様まで、ナイトプールのようなウスターソースの中に浮いているという点だ。ぷかぷか。


 もうそうなってしまえば、後は俺の愛が試されるだけだ。

 口元をひくつかせながらも最高のスマイルで、嘆かわしくも暗黒面に落ちてしまったような姿になってしまわれた明太子様を、彼女の手前、さも旨そうに食べて見せるだけである。


 愛だね、愛。これ以上の愛はないわー、と自分を納得させつつ、いざ咀嚼すると、口の中には、生来の明太子の持つ塩気と、唐辛子の持つカプサイシンの辛み、本来であればその二つだけで充分に旨いはずなのに、そこを追いかけるように、ソースの塩味が強烈にバフをかけてくる。


 ───とまあ、ここまで百歩譲って許せる。言ってもただ塩っ辛くなるだけだし。

 むしろ問題はこいつの香りにあって、ウスターソースを構成するスパイスであるクローブ、シナモンなどのオリエンタルな香りが、鼻に抜けてきてからが、このソース明太子の本領発揮である。

 果たして、俺がいま食べているのは、明太子か、それともなにか揚げ物か? 若しくはスパイシーで生臭く、名状し難くて、しょっぱい何かか? いあいあ。


 かくして、定期的にこの愛を試される強制イベントを消化しながら、このまま同棲生活を続けていくのも悪くはないのではあるが、恐らくなんだか身体には悪そうだ。

 そう、今日こそは勇気を出して、このソース明太子の由来について聞き出さねばならない。


「あの……、さ。佳奈の出してくれるこの明太子、どうしていつもウ、ウス、ウスターソース!が、かかっているのかな? 佳奈の家だといつもこうだったのかな?」

「うん。そうだよ。うちは母さんが、明太子には必ずソースかけてたねー」


 さて。ここまでの会話は俺の想定通りである。育ちや実家のことを悪く言うことはしたくない。ここからは慎重に佳奈を傷つけないように言葉を選ぶ必要がある。


「あんまり居酒屋とかでも明太子にソースかかってるのみたことないけど、佳奈の出身、関西だったよな? 関西の方だとよくある食べ方なのか?」

「いや。ウチだけだよ。もっというと、ウチの中でも母さんだけ……かな。」


 そこからはもう、一気呵成に佳奈は自分の母のことを話してくれた。


 佳奈の母は持病として長らく、通風と高血圧を抱えていたらしい。だが、大好きな明太は食べたい。そこで一計を案じて、そのまま出すとつい食べ過ぎてしまうため、食い合わせが若干悪いであろうウスターソースをかけ、わざとまずくして、食べ過ぎないように我慢していた。娘も巻き込んで。

 その結果、娘である佳奈は、幼い頃から食卓に出る明太子は常にソースがかかっていたわけであり、子供の頃からその味に慣れてしまっていた。人間慣れというのは恐ろしいもので、今ではソースがかかっていないと満足できない身体になってしまったようなのだ。まるでソースの英才教育。んな、ばかな。


 「私も子供の頃、ヨシキと同じ疑問が湧いてさ。母さんに聞いてみたことがあって。そしたら酷いんだよ───」


『だって佳奈。ホラ、私が言うのもなんだけどソースかかった明太子、美味しくないじゃない。だから食卓に出しても加奈が食べ残すかな、と思って。そしたら私が後で洗って食べられるし。』

「え。母さん私が残したソース明太子、洗って食べてたの!?」

「うん。でも加奈ったら、そのうちソースかけることにも慣れてしまって、普通に食べてしまうようになったから、私の作戦失敗ね。」


「───って感じ。ひどいよねー」


 佳奈は口を丸めて、軽く抗議するようなふりをしているが、我が身を振り返り、俺はすかさずツッコミを入れる。


「もしもし、加奈さんや。」

「はいはい、ヨシキさん。」

「俺、ソース明太、出されても全部食べきれないやん」

「───うん」


 心の中で湧いた疑問を、俺は素直に佳奈にぶつけてみた。


「もしかして俺、加奈さんちに代々伝わる、一子相伝の"作戦"を仕掛けられてる?」

「ば、ばれた? でっ、で、でも私、ヨシキの食べ残しを洗って食べてないからね! ソースの無駄使いは良くないし」

「そのまま食べてるんかい!」


 でも塩分の取りすぎにだけはホント気を付けてな。と、軽く佳奈には、たしなめておいたのは言うまでもない。ほんと健康でいて欲しい。


「そういや今、母さんはどうしてるの?」

「それがさ。痛風もすっかり治って、高血圧は・・まああんまり改善はしていないみたいだけど元気だよ。心配してくれるの?ありがと。」


 明太にソースをかけることで痛風が治ったのだったら、まあそれはそれでいっか・・


 ───その日から、俺の夕食の明太子にソースが、かけられることはなくなった。


 のだが、なんだか俺だけソースがかかっていない明太子を食べるのが、いざ食べているとなんか寂しくなり、結局最近ではまたソースをかけてもらっているということは、友人には秘密にしておこう。

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