フロリダ・ブルー・イン・ブルー

海崎じゅごん

第1話

1960年代アメリカ。ここはフロリダ州マイアミ。


 マイアミの海は実に多彩である。エメラルドグリーンの海は太陽の光を受けて透き通り、浅瀬のサンゴや魚、果てはサメまでも映し出している。沖では海の底深いブルーと明るい空のブルーが二重になってさらに複雑な表情を見せていた。


 海岸ではヤシの木やシュロの木々が伸びており、ヤシの実が熟すのを狙ってヤシガニが這うように木をのぼっている。うまく実を切り落とすとその度にドーンドーンと何事かと思うような音があたり一面に響くのだ。


 ビーチを抜けると半ばジャングルであろうかのように木々がうっそうと茂り、水辺に生えているマングローブの根と根の間をヘビが泳いでいた。海面を覆いかぶせるかのように茂った灌木は、あちこちに蔓を絡ませ、その茂みはワニの格好の隠れ家になっていた。




 そんな風景をイオは珍しそうに観察をしている。ついこの間まで海には全く縁がないサウスダコタ州に住んでいたものだから、光と生命に育まれた海を見るのは初めてだった。そこには草原も牧場もなく、ただ青い海が広がっており、牛や馬とは違う生き物が戯れていた。


 これほどまでに生命の熱気を感じたことがあっただろうか。イオは感動にも似た喜びで体中を震わせながら大きく深呼吸をした。そしてサンダルを脱いで両手に持つと波打ち際を全速力でかけった。バシャバシャと快い音が日差しの暑さを忘れさせ、暖かな海の感触に何かしら安心感があった。




と、そのとき一陣の風がイオの体をすり抜けた。


「あっ!」


たちまちイオの頭から麦わら帽子が離れ、海へ飛ばされていく。帽子はどんどん飛ばされていき、50mほど海岸から離れて着水した。


「どうしよう……」


 波間に揺られている帽子を見てイオは途方に暮れた。そうしている間にも少しずつ流されていき、やがて水分をたっぷり含んで沈んでしまうだろう。




「はっはっはっ。心配することはないよ坊や。帽子は必ず返ってくるよ」


 突然の声にびっくりして振り返ると白髭の大柄な老人が立っていた。老人はイオに目配せをすると帽子のほうを指さした。見ると、帽子はまるで生命があるかのようにこっちへ向かってくるではないか。


 イオは驚きのあまり目を丸したまま何も言えないでいた。


「そうらウイリー、坊やに帽子を返しておやり」


 老人がそう言うと帽子はスーッとイオの近くまで泳いでぴょーんと飛んできた。イオはあわてて帽子を捕まえると『ウイリー』が中にいやしないかと帽子の中を調べた。




「そんなところにウイリーはいないよ。ほら、ウイリーはあそこにいる」


 老人は不思議がっているイオに海のほうの見るように仕向けると大声で叫んだ。


「ジャンプだ、ウイリー!!」


 とたんに海中から一匹の大きな生き物がジャンプした。初めて見る生き物だったが、イオにはそれが何かすぐにわかった。


「イルカだ、本物のイルカだね、すごいや」


 イオは歓声を上げた。


「ほう、良く知っているね」


 老人は嬉しそうに笑った。


「僕は海がない所から来たんだ。海もイルカもヤシの木もみんな初めて見たんだよ。夢だったんだ……一度でいいから海賊の海を見たかったの」


 イオは何から何まで鮮やかな情景に目を輝かせながら答えた。




「夢があっていいね。わしも子どもの頃はティーチ船長(実在した海賊『黒ひげ』の頭領)のような海賊になりたいと思っていたもんだが……今はしがない船大工だよ。陸にいて海を見つめるだけの哀れな老人さ」


 笑みの中に憂い気な表情を隠しきれない老人は意味ありげに頷くと再びウイリーに合図をし、入り江で待ち受けた。そして缶筒(紐が巻き付けてあり、その紐の先は輪になっている)にコインと何かのメモを入れ、ふたをするとウイリーの口に引っ掛け、指示を出した。


「ウイリー、チーズバーガーを二つ買ってきておくれ」


たやすい御用とばかり、ウイリーがその場を離れた。


「イルカが買い物をするの?」


 イオは興味津々だ。


「ちゃんと仕込めばできるって見本だよ。ウイリーは毎日この時間近くの入り江にくる移動バーガーショップでチーズバーガーを買ってくるんだ。店の主人は最初驚いていたが今は友達として迎えてくれるよ」


 老人の話にイオが感心している間にもウイリーは遠くなり、じきに見えなくなった。




 それから30分ぐらいか、ウイリーが買ってきたチーズバーガーを食べながらイオと老人は語り合った。


「ねえ、海賊の宝はどこにあるの」


「ははは……それを知っていたらこのわしがとっくにいただいていたさ。いいかい、宝物なんてものはな、どこにどんなものがあるかわからないから宝物なんだよ、坊や。まあ、わしにはこの海が海賊の宝物だと思うがね」


 老人はそう言うと水平線のほうを見つめた。


「海賊は自由だ。そしてこの海も自由だ。ロマンと生命に満ち溢れたこの海原で冒険をしようではないか」


 意気揚々と老人は語ると古い船乗りの唄を歌いだした。そのしぐさや歌があまりにも調子はずれなのでイオは思わず吹き出した。それをみて老人はますます調子よく歌いだす。




♬♬ 


 おいらは海賊 泣く子もだまる


 出腹の海賊 ようそろう


 甲板歩きゃ 船のゆりかご 


 たちまち手下は 船酔いだ




 おいらは海賊 お尋ね者さ


 出腹の海賊 ようそろう


 海に落ちりゃ 金槌船長


 たちまち手下は クジラとり




 でぶっちょ船長やせなきゃあ


 これじゃロマンスうまれない


 ホーホーホー


 目指せ目指せよ いい男 


♬♬






 老人が歌い終わったその時だった。海を見つめる二人の背後から拍手が聞こえた。


「なかなかのものね、でもリサイタルはそこまでよ。出腹のティーチ船長さん」


 女性の言葉に老人は急に青ざめる。彼女は老人を威圧させるものがあった。老人はゆっくり頷くとイオに言った。


「坊や、あっちでウイリーと遊んでおいで……わしはこの人と大事な話があるんだ」


 それはさっきまでの優しい表情とは打って変わって厳しく冷たい表情だ。老人と女性はさっきから身動き一つせずあたりに重苦しい空気を作っている。それを感じたイオはその場から走って離れた。




「出腹のティーチ船長、いえミハイル・ヴォルコフと言ったほうがいいかしら。あなたの裏切りは当局の調べで明らかになったわ。二重スパイとは恐れ入ったわね」


 女性はフフッと笑う。老人は全てが終わったことを自覚し、両手をあげて女性に背を向けた。




 今、老人は海を見ている。その吸い込まれそうな青(ブルー)に死を前にして夢を見た。子どものころから憧れた海賊の海。その海で所狭しと活劇をやるのだ。ああ、なんて気持ちの良いものだろう。海の青さは死の恐怖を忘れさせてくれた。


「さよなら、出腹のティーチ船長」


そう聞こえるや否や、体中に強い衝撃が走った。やがて猛烈な痛みを伴って血がしたたり、老人はその場に倒れた。






 薄らいでいく意識の中で遠く誰かの声が聞こえる。女性は慌てて姿をくらましたようだ。


「……さん、おじいさん!」


 イオが血相を変えてかけてきた。


「銃声が聞こえたかと思ったらウイリーが急に騒ぎ出して…待ってて、お医者さんをよんでくる!」


 そう言ってもと来た道を引き返そうとしたとき、老人の呼び止める声が聞こえた。


「いや……わしは助からんよ、坊や。それより……この缶筒を海へ捨ててほしい……わしは国を裏切って海賊になった……以来ウイリーもわしもこの缶筒の為に苦しんだ……これでいいのだよ……」


 息も絶え絶えに老人はチーズバーガーを運んだ缶筒を渡すと、この世の見納めとばかりに空をみた。






 この空の青さは限りがない。青い海、青い空、それがフロリダの美しさであり憧れの象徴なのだ。




 視野はどんどん狭くなり、光も弱くなっていく。


「いやだよ。おじいさん、死なないで!」


 イオは泣きながら老人を揺さぶった。


「……頼んだよ……坊や……その筒を捨てればウイリーは……自由……に……ああ……これで……海賊らしく死ねる……」


 視覚は失ったはずなのに目の前にはサイダーブルーの海が薄くぼんやりと広がっていた。あたりには懐かしい何かの香りが漂い心地良い気分になった。


 一瞬体が浮いたかと思うと老人は傷の痛みを忘れた。






 老人はこの世の人でなくなった。






 それからどのくらい時間が過ぎただろう。しばらく泣き止まなかったイオは泣き声を聞きつけてやってきた人に頼んで警察をよんでもらった。


 なんでも同じころ、移動バーガーショップの店員が殺されたとかでマスコミや警察はてんてこ舞いらしい。


 イオはこっそりウイリーを呼ぶと、時々声をうわずらせながらもこう言った。


「おじいさんが言ってた……君はもう自由なんだって……だから……さよならだよ、ウイリー」


 ウイリーは名残惜しむかのようになかなかその場を離れず入り江を周回していたが、お別れのつもりかジャンプしてみせるとそのまま沖合へ消えていった。


 それを見届けるとイオは筒のふたを開けて海へ投げ捨てた。ばらばらになった缶はしばらく浮いていたが、やがて流されそのままのまれていった。




 残されたのはフロリダ・マイアミの「青」と心に傷を負ったイオの姿だった。

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フロリダ・ブルー・イン・ブルー 海崎じゅごん @leaf0428

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