木曜日のスーパー

天川

ナンパ師

 木曜日はナンパ日和。

 ……いや、最近はナンパなんて言葉使わんのかな死語かなこれ。


 私の担当は木曜日のスーパー。週に一度買い出しに出かけるスーパー。以前はあちこちの店を渡り歩いていたが、最近はこのスーパー一店だけに絞って狙いをつけている。あまりスカウトの方にばかり時間は割けないし、この方が成功率が高いという事情もあったからだ。


 いつもの時間、いつもの風景。

 店の入口で、買い物かごが三つ乗るちょっと変わったタイプのカートを引き出し、かごをセットする。そして、忘れずに入口で手を消毒。この流れもいつも通り。

 私は、財布にしまっておいた買い物リストを取り出し、お惣菜売り場からを物色し始める。普通の主婦なら青果売場がスタートと相場が決まっているのだが、あいにく私の主目的は買い物じゃない、ナンパだ。いや、買い物も頼まれているのでどっちも仕事なんだけどね。

 このスーパーはお惣菜が豊富で、しかも木曜日は夕方を待たずに割引シールが貼られるという、知る人ぞ知る狙い目のお店。それもあって、私が狙う対象も必然的に多くなるのだ。


 只今の時間は午後二時半。

 そろそろか。


 買い物をするふりをしながら、カートを押してうろうろと惣菜売場と肉売り場を行ったり来たりして、店内客を物色していく。その間も忘れずに、買い物リストを見ながら必要な品目を取り揃えていく。お肉でもお魚でも、割引シールの貼られたものを優先的に手にとってカゴに入れていく。時々、洗剤やら買い置きのコーヒーやらの詰め替えパックを眺めては、頭の中で単価をざっと計算したりしながら。

 油断してると、詰替えの方が高かったりするからな。


 そうこうしていると──来た来た。子連れの若いママ。連れてるお嬢ちゃんは、今日も可愛いらしいねぇ、うふふふ。


 いつもの曜日、いつもの時間……。

 彼女はいつも、このスーパーに現れる。


 歳はまだ二〇代半ばといったところか、少なくとも私よりは若いだろう。で、お嬢ちゃんは多分、就学前。可愛い盛りの、食べ盛りだ。昔を思い出すなぁ。────さぁて、私も行動を開始しますか。


 おもむろに、惣菜売場へと戻り彼女の後方から少しずつ近づく。あくまでも、偶然を装って。自分も半額シールの貼られた惣菜がお目当てなんですよ~、という風体で(実際それもお目当てだが)売り場を並走していく。


「あ、こんにちは。今日もお買い物ですか?」

 ほどなく、彼女がこちらに気づいて声をかけてきた。

「こんにちは。木曜日はここが安いですからね」

 私も、当たり障りのない挨拶で返す。


 すると、向こうから、

「ままー! これ、はんがく!」

 そう言いながら、惣菜のお弁当パックを持って小走りに駆け寄ってくる、女の子。


 すると、母親である彼女はにこやかに、人差し指を立てて唇に当てた。

「はい、ありがとう。でも、お店の中は、しー、だよ?」

 そして、お弁当を受け取ってから、ちゃんと言い聞かせていた。

「それに、お店の中は走っちゃ駄目よ? うん……じゃあ、ほら……お姉さんにご挨拶して?」

 そうして促されると、女の子はぺこりと私にお辞儀をしてくれた。

「こんにちは」

「はい、こんにちは」


 そうしてまた、惣菜売場をゆっくりと歩いてく。

 女の子は、私の押しているカートを見て、

「お…姉さんは、きょうもいっぱい? かうの?」

 そう問いかけてきた。


 女の子が一瞬、迷ったのが分かって、ほんのり私はさみしくなる。

 もう、と呼ばれる年齢なんだなぁ、と。


 子供というのは、お姉さんとおばさんのがはっきりと目に見えるらしい。さっきの呼び方はきっと、母親から「この人に会ったらお姉さんと呼びなさい」と言い聞かせられていたのだろう。流石に、既婚者か独身かまでは見分けがつかないであろうから。

 小さい子にまで忖度させて、すまないね。


「うん、うち人数も多いし、それにうちのコたちみんな、いっぱい食べるからね」

「ふ~ん……なんにんかぞく?」

 私の答えに、女の子はそう問い返してきた。

 私は、食卓の風景をちょっとだけ思い出す。

「ん、と……今は十四人、かな。時々、増えたり減ったりするけど」

「えー!? ふえるのぉ?」

「うん、そうだよぉ────」


 思いがけず、糸口が見えてきた。……ここいらで、軽くジャブ打ってみるか?


「──ご飯食べたい人がね、時々お電話くれるの。『今晩食べに行っていいですか』って」


「あら? お店、やってらっしゃるんですか?」

 予想通り、母親が聞き返す。


 ────食いついた。

 私は、心のなかでガッツポーズをする。


「えへへ……実は、お店ってわけでもないんですけど、はい」

 私はそう言って、自分の厨房について説明する。


「『まかない食堂』って呼んでるんです。近所の人達が、共同で食べられる場所を作ろうって。一人暮らしだったり、お子さんが居ても忙しかったりする人たちが、そこに行けばとりあえず何かは食べられる、っていう場所を。ほら、一人だと自炊すると却って高くついちゃったりするでしょう? 共同で食べられる場所があれば、そういうメリットもあるかなーって」


「あ、こども食堂、みたいな?」


「まぁ、そう思ってもらうとわかりやすいですよね。でも、うちは子供より大人の方が多いんです。もともとは、従業員用の食堂のつもりだったんですけど。やっぱり作る量が安定しなくて、余っちゃうことも多くて……。それで、いっそ近所の人にも開放したらどうかなって。直前でもスマホで調べてくれれば、今日のメニューと、あと何人分残ってる、っていうのが分かるようになってますから。ちゃんとした料理の他にも、インスタント食品とかレンチンご飯とか缶詰とか。いつ来ても、とりあえず何かしらは食べられるようになってます。メンバー登録してもらえたら、社員以外でも利用できますよ────ただ……」


 ここで言葉を切って、充分にタメを作る。

 なにしろ、ここからが重要なポイントだからだ。


 狙い通り、ぐぐっと彼女は顔を寄せてきた。


「──外に、宣伝はんです。うち、商売とはちょっと違うんで……。話すと長くなっちゃいますけど────」


 私の働き先は環境整備事業(造林、下刈り、沿道の草刈り等)を行っている会社なのだが、そこで働いている人間には訳アリが多いのだ。かく言う私もその一人なのだが。

 そこの社長さんというのが一風変わった人で、給料は並だが、福利厚生に全振りしたような会社のシステムにしているのだ。この賄い食堂の他にも、冷暖房完備の住宅提供と、いつでも入れる共同浴場。極めつきが、電気とインターネット回線が無料でついてくるという、理由わけのわからないほどの高待遇なのだ。正直なところ、私自身も訊いたときには却って怪しさだけが感じられたほどだった。


「えぇ!? そんな、高待遇なんですか?」

「ええ。まぁ、そのかわり、給料はあんまり高くないですけど」


 これにも理由があって、収入としてあまり多く分配すると結局税金で持っていかれる部分が増えてしまう。実は、課税対象にならないように現物支給で相当額分のいろんなものが支給されるという仕組みになっているのだ。……結構、法律スレスレらしいんで、あんまり表では言っちゃいけないことになってるけど────。


 そこまで聞いていた彼女は俄に、挙動がそわそわしだした。

 ここまでくれば、ほぼキャッチ成功なのだろう。でも、あんまり前のめりに乗ってくるようだと逆に心配だなぁ。面接で、不合格になっちゃうかな……?


 まあ、そのときはその時だ。

 食堂に来てくれるが増えただけでも、今は良しとしよう。


 私は、トドメの一手を彼女に差し出す。

「もしよかったら、覗いてみませんか? 連絡してくれれば、いつでも大丈夫ですから」

 そう言って、名刺サイズのカードを彼女に手渡した。そして、

「あ、ちなみにこれ、他言無用ですよ? 誰にでも渡してるわけじゃないので」

 そう付け加えることも忘れなかった。


 …………………………


 後日、その彼女は子供を伴って、うちの『まかない食堂』に現れた。

 その日の夕飯はビーフシチューだったので、お嬢ちゃんも喜んで食べてくれた。


 そして食事後、予想通り彼女は尋ねてきたのだ。

 ここで、働かせてもらえませんか、と。



 …………事前に調べていた通り、彼女はシングルマザーでパートを掛け持ちしながら子育てをしていたそうだ。娘さんは五歳、来年小学校に入学するという。

 今後、色々物要りになるだろうし、生活費の心配もあるだろう。その時に、うちのような福利厚生が充実しているところで働けるなら願ってもないことだろう。この食堂でご飯を食べられるなら、働いて帰ってきた時の夕飯を心配しなくて済む。彼女自身も、食事の栄養バランスまで気を使う余裕はなかったと云うから、なおさらだろう。


 さて、我が社がここまで福利厚生に力を入れているのは、当然ながら理由がある。


 実はこの会社は、大きな社会実験とも云うべき新たな生活スタイルを模索している最中なのだ。先の見えない現代、経済的にも複雑を極め同じ職業でずっと働いていられる見込みすら危ういご時世。

 そこで我が社の社長は、昔ながらの自給自足に近い考え方を取り入れ、経済的ではなく生活的に豊かな暮らし方を模索するというテーマの下、ライフスタイルを構築するという課題に取り組み始めたと云うのだ。

 わかりやすく言えば、『ベーシックインカム』のベーシックの部分を、お金ではなく現物で支給していくというやり方だ。『ベーシック食べ物』『ベーシック電気』『ベーシック住まい』と言った具合で────。

 もちろん、そんな遠大な実験を単なる零細企業であるうちの会社だけでできるはずもない。実は我が社は、とある製薬会社から資金を提供され、その実験ともいうべき新たな生き方のデータを収集する役目を仰せつかっているのである。うちの社長が、長らく温めていたアイデアに、そのスポンサーが興味を示したというのだ。

 現在では、その社会実験の一環で一緒に働きながら生活してくれる人を集めているところだという。


 しかし、この実験に供する人材というのは、かなりの精査が必要になるのである。

 そこには、さまざまな要素が挙げられているが────、

 有り体に言えば、『誠実な人間』であるということだ。


 彼女は、その審査である接見と筆記テストに、本日合格した。

 社長との面接を終えれば、正式にうちで働くことになる。そして、このまかない食堂での食事の権利も有した。これから、彼女は私達とともに仕事をしながら様々な課題に取り組んでいくことになるだろう。

 私が毎週スーパーに足を運んでいたのは、彼女の生の姿を確かめるためでもあったのだ。


 だが、何よりも……このちいさな女の子がお腹いっぱい食べられるということを、まず喜ぼうと思う。母親が、ふだん子供に食べさせているものに殊のほか心を痛めていたのは、すぐに分かったから。

 既存のシステムではこぼれ落ちてしまうような、そんな家庭の母娘を、我が社では重点的に見つめていくつもりだ。


「────ままー? ここではたらくの?」

「そうよ。それにね……これからは、毎日一緒に居られるよ、ご飯も……美味しいものが食べられるからね────」


 あの日、私が助けられたように……。

 今度は、私が誰かのために汗を流す番だ────。


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木曜日のスーパー 天川 @amakawa808

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