宿世
ほしどり
宿世
午後9時半。
公園の横の坂道。街灯の下に俺は居た。
地面にあった昼間の温もりはもう溶け切って、まるで死んだかのように冷たい。
返ってくるのは俺の体温だけだった。
何を待つわけでもない。
何故ここにいるのか、もう忘れた。
帰り道に公園に入る人々を眺める。
酒の匂いに包まれた人。
イヤホンを差し、ご機嫌な人。
俺を見て笑いかけてくる人。
疲れて惣菜を買ってきた人。
丈の長い黒服を着て、紙袋を持った人。
塾帰りの人。
スーツケースを押していく人。
たまに手を振ってくる人。
俺は夜目はきくんだ。
よく見えているだろう。
頭を掻きながら、前世を思い出そうとする。
目を瞑ると街灯が少し眩しいと思う。
ある時俺は魚だった。
広い海で群れの中。孤独だった。
ただお互いの利益のために行動を共にするだけであった。
そのときはまだ感情なんてものはなかった。
そんなものを持つ必要がなかった。
だが、広い海で泳ぎ回るのは少しいい気分だったような気がする。
黒い海には一筋の温もり。
青い海には揺れるモアレ。
揺蕩う海藻に身体を擦り付けて、、、
そのあとはどうなったんだったかなぁ。
よく思い出せない。
それにしても魚って。いまは食べる側なのに。
そのあとは確か、人間になったんだっけな。
驚いたよ。
真っ黒な世界から出たら、
眩しいわ、うるさいわ、血腥いわ、身体が重いわでさ。
でもうるさいのに関しては俺のせいだったみたい。
まぁいろいろあって、なんとか生きたんだよ。
人生を語るってそう簡単じゃないんだ。
振り返ってみればすべてが必要だったように思えるからね。
でも多分、誰かに頼めば本の裏のあらすじぐらいにまとまる気もする。
まぁ難しかったよ、人間は。
空を知って、海を知った。
言葉を知って、感情を知った。
生き物を知って、傲慢を知った。
友達を知って、大人を知った。
戦争を知って、愛を知った。
死を知って、生を知った。
それはきっと幸せなことだったんだ。
本当に楽しかった。
だから気づけば一瞬で終わってしまったよ。
おかげであの人たちのことが少しわかるんだ。
あれはやけ酒。あれは好きな歌手の新曲が出たんだ。あれは低気圧にやられたな。あれはたぶん取引先のお葬式かな。あれは、春季講習。
あれは帰省。
たまにわかんないのもいるが、大方わかる。
ずっとここで見ているしね。
人通りがなくなった。
ちょっと疲れたな。
そっと俺は歩き出す。足音はたてない。
家と家の間の細い隙間を縫って、
この街の何処かで眠る。
次は。
宿世 ほしどり @hoshidori
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