第23話 異形の刀

黒銀の化け物は、半九郎を無言で見つめていた。

……いや、違う。


その視線は半九郎ではなく、

月光を受けて青白くぎらつく“刀”へと注がれていた。


化け物はゆっくりと頭の角度を変えた。

光の反射、刃の輪郭、揺らめく青白い輝き――

それらを別の角度から確かめるように、

まるで獲物を観察する獣のように、僅かに顔を傾けながら刀を覗き込む。


まるで、人間という存在には一片の価値もないが、

その手に握られた鉄だけは別物だと言わんばかりの動きだった。


その双眸には好奇でも敵意でもない。

ただ……“この世に生まれた美しい刃物”をより深く観察しようとする、捕食者の光だけが宿っていた。


やがて化け物は、太い指をゆっくりと首もとへ運んだ。喉元に指先をそっと触れた瞬間、かすかな震えが全身を走った。


背の中央には、最初から盛り上がるように備わった装甲があった。まるで巨大な甲虫の羽根の付け根だけがそのまま人型に移植されたかのような、

不気味な膨らみが息づいていた。


その異形の節が、低く唸るようにかすかに震えた。

次の瞬間、黒銀の塊が背から吸い出されるように滑り出し、重力を置き去りにしたまま、ふわりと宙へ舞い上がる。


くるり──。

黒銀の塊は一度、小気味よく回転すると、まるで帰る場所を心得ているかのように、化け物の掌へ正確に収まった。


それは――刀だった。

化け物の巨躯にふさわしい、異形の黒銀の刀身。


漆黒の鍔元から伸びる刃は、凍てつく蒼光を帯びた稲妻のように細く鋭く、金属というより“凍った閃光”を削り出したかのような冷たさをまとっていた。


刀身全体には、青白い刃文が心臓の鼓動のように脈を刻み、ときおり内側から淡い光が漏れ出す。

まるで刀そのものが、生きた何かの臓腑を抱えているかのようだった。


鍔(つば)は、獣の鉤爪がねじ曲がって固まったような異形の輪郭をしており、化け物が柄を握った瞬間、その装甲と馴染むようにじんわり沈み、持ち主の脈動に合わせて震える。


柄に埋め込まれた青白い結晶体は、抜かれた刃と呼応するように淡く、しかし確かなリズムで脈動し、

刀身全体に妖しく冷たい輝きをまとう。


半九郎は息を呑み、刀を構えたまま低く呟いた。


「……なんとも、気味の悪い刀だ……」


見たこともないはずの異形の刃──それなのに、その輪郭だけが薄ぼんやりと“覚え”に触れる。

だが思い返す間もなく、半九郎はもう一度、細く息を飲み込んだ。


真っ赤に茹だった頭は、すぐさま人らしい色を取り戻す。


化け物はゆっくりと刀身を持ち上げ、青白い光が森の闇を一筋の稲光のように裂いた。

――不気味な刀が、脈動している。


半九郎は唇を吊り上げ、構えを深めた。


「それで私とやるつもりか。上等だ……黒霞流の剣技、たっぷりと見せてやる!」


しかし化け物は、半九郎の言葉など気にも留めない。ゆるりと視線を逸らすと、そばに立つ一本の木へ刀を向け、何の躊躇もなく振り下ろした。


風切り音すら生まれず、刃が触れた瞬間――

「シュ……」と、木の繊維がほどけるような微かな音がした。


次の瞬間、木は抵抗もなく斜めに滑り落ちる。

切り口は、水鏡のようにぬめるほどなめらかだった。


半九郎の目が、驚愕に大きく見開かれた。


「な……何という切れ味!」


その声は、驚きとも恐怖とも昂ぶりともつかぬ震えを帯びていた。


黒銀の化け物は、自らが握る異形の剣をゆっくりと持ち上げた。刃の青白い光が、化け物の兜の奥で淡く脈打つ双眸を照らす。


まるで自分の腕ではなく、“一振りの芸術品”を鑑賞しているかのようだった。そして、ゆっくりとその兜の奥の視線が動く。ようやく――刀ではなく、

“半九郎という個”そのものへと向けられた。


「……シィ=ラ……ガ=タ……」


低く、ひび割れた声。

化け物は刀を肩へと担ぎ直し、

今度こそ半九郎を――相手として。いや、獲物として。重く、確かな足取りで歩み出した。


半九郎は反射的に後ずさった。化け物の歩調に合わせて、一歩、また一歩と後退る。

そのたびに、足裏からじわりと冷たい汗が滲み上がる。


巨躯の影が迫る。青白い光が半九郎の顔を斜めに照らし、喉の奥がひゅっと鳴った。


だが――そのときだった。


半九郎の視界の端で、木立の向こうに影が揺れた。

弥八が迅太を背負い、ふらつきながら奥へ退いていく姿が見える。弥八の肩にしがみつく迅太の腕が、かろうじて動いているのだけは確認できた。


その光景が、半九郎の足を止めた。半九郎は唇を噛み、刀を握り直した。


「ったく……河童の囮か。それも弓じゃなく、真剣勝負とはな。つまらん。……ああ、つまらん」


誰に向けたものとも知れぬ呟き。

だが、その言葉とは裏腹に、半九郎の目には人間らしい闘気がじわりと戻りつつあった。


弥八の背で揺れる、瀕死の迅太の小さな影。

その光景が胸に刺さる。――その重さが、半九郎の胸の奥で静かに火を灯した。


「……時間くらいは稼いでやるさ。死ぬまでな」

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千刃の才蔵(せんじんのさいぞう) 多岐出遊一(タキデユウイチ) @stumary

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