怪獣の世界

真狩海斗

🦖🔫

 1

 地域で長年愛されてきたスーパーマーケットの扉に、赤子を抱いた母親が挟まれているのが見えた。


 彼女の身体は光に照らされ、煌めいていた。それはまるで星屑のシャワーを浴びたかのようで、明るい未来を祝福されているようにも映った。

 だが、映っただけ。美しい星屑は、微塵に粉砕されたガラス扉の残骸だった。祝福を受ける母親の顔面は削り取られ、皮一枚で僅かに繋がり、剥き出しとなった赤黒い筋肉には蟲が這っていた。

 母親が命を賭して庇った赤子は、辛うじて五体を保持していたが、薄緑色に濁る粘液の海に溺れ、短い生涯を終えていた。


 五十メートル程歩くと、警察官が地に伏していた。その目は生存本能と使命感を剥き出すように見開かれ、歯は獣のように強く食いしばられていた。握られた拳銃から放たれたであろう銃弾の行方は知れず、引き裂かれた彼の下半身の行方もまた、同様に不明であった。

 命中はしたのだろうか。

 薄緑の粘液に、彼の血の赤が混ざり、変色していた。その混沌を眺めながら、死後硬直した彼の指を逆側に折り、拳銃から引き剥がした。

 初めて握った拳銃は無機質で、暴力装置としての機能を追究した美しさがあった。手の中で、異物として強烈に存在した。


 2

 立ち寄ったコンビニエンスストアは何処も、収奪された後だった。ガラスが割れ、棚が倒れる無人の店内に、音楽が虚しく流れ続ける。

 三軒目の駐車場で、若者に暴行を加える集団を目撃した。原因は不明だが、苛烈で、執拗な暴力だった。

 興味を惹かれ、意識するよりも先に足が向いた。倒壊した電柱を、踏み越える。粘液が混じった水溜りに着地し、海水が靴の内部を侵食した。

 周囲を薄く覆う緑の海水には、魚の群れが死骸となって浮かんでいた。街を破壊し尽くしたあのが、上陸時に深海から連れてきたものだ。

 暴行を加える男の肩を叩き、理由を尋ねた。眼鏡をかけた痩身の中年男が荒い息を吐きながら、返答した。


 ああ、彼を殴る理由ですか?

 あの怪獣を呼び寄せたからですよ。怪獣アイツの襲来時、大学生どもが怪しい宴をしていた目撃情報があるんです。奴らが呼んだに違いありません!

 ええ、誰もが噂してますよ。大学生どもが招いた厄災だと。近頃、発生していたも大学生どもだと。きっと生贄にしたんですよ。

 だからね、私達が懲らしめて、真犯人を探しているわけです。正義の為に。正義の為!

 彼がその真犯人かって?さあ?今は否定していますがね。時間の問題です。すぐに尻尾を出しますよ。


 酷く高揚した早口で捲し立てられた。臭い。鼻を塞ごうとして、自らの右手が尻ポケットの拳銃に触れていたことに気づく。

 瞼のない魚と目が合った。皿のような目で俺を凝視している。靴の内部で、粘液がぐちょぐちょと音を立てていた。


3

 鍵を回し、扉を開ける。怪獣の進行経路から僅かに逸れたため、自宅は倒壊を免れていた。

 帰宅した俺に、弟がソファに座ったまま手を振った。手にはタブレット端末が握られている。

 端末の画面には、『タトラ』と呼称される怪獣が映っていた。鉱山の如き甲羅から、虎に似た頭部を突き出し、その下で無数の触手が蠢いていた。犯すように、高層ビルに覆い被さっている。触手から粘液が滴っていた。

 弟から頼まれていた薬を渡す。怪我をした足を庇うような体勢で、弟が受け取った。


 ありがとう。街はどうだった?


 スーパーで親子が死んでいた。怪獣タトラに応戦した警察も死んでいた。あとはそうだな、コンビニで若者がリンチされていた。


 リンチ?


 大学生が怪獣を招いたという噂があるらしい。


 笑える。あ、これ?怪獣タトラと自衛隊が戦うらしくて観てた。


 そうか、ところでお前の部屋。


 薬の場所わかりにくかった?怪我のせいでごめんね。


 ああ、色々と探したよ。随分と広い部屋に住んでるんだな。おかげで変なものも見つけた。

 クローゼットの。あれは何だ?


 問いかけ、弟に拳銃を向ける。端末では陣形を整える自衛隊の姿が中継されていた。


4

 弟がおずおずと両手をあげる。現実を呑み込めていないのだろう。口には笑いが浮かんでいた。

 画面では何かの専門家が力説していた。怪獣も所詮は生物ですからね、近代兵器には勝てませんよ。


 僕が殺したと思ってる?


 お前の部屋で死んでいた。連続殺人犯、あれも、お前なんじゃないのか?

 

 笑える。仮に僕が連続殺人犯だったらどうするの?殺す?


 どうだろう、お前が殺人鬼なら仕方ない。野放しにはできない。


 俺の返答をきき、弟が高く笑った。人差し指に力を込める。画面から爆発音が響いた。戦闘機の一斉放射が開始した。

 弟が、煙と炎で満ちる画面に視線を落とす。


 兄さんは殺人鬼の僕を撃つらしいけど。怪獣コイツの殺戮はどうなの?ちんけな殺人犯の比じゃない規模でしょ。


 屁理屈だな。怪獣と人間は別物だ。人間には理性がある。暴力を制御できる生き物だ。


 へえ。じゃあ、その拳銃の元の持ち主は?彼も撃ってたんでしょ?


 何を馬鹿な。彼が撃ったのは身を守る為だ。正当で、許される暴力だろう。


 許される暴力もあるんだ。コンビニのリンチは?あれも許されるの?


 難しいな。だが、一定の正当性はあった。


 成程。兄さんの基準だと、連続殺人犯は許されざる暴力で、それを処罰するのは正当な暴力なんだ?


 ああ、そうだ。


 おおおおおおおおおおおおおおお!!!!


 雄叫びが上がり、意識が端末に向く。憤怒の形相の怪獣が、戦闘機を握り潰していた。甲羅には傷一つついた形跡がない。スタジオから、女の悲鳴があがっていた。専門家が騒いでいた。終わりです、終わりです。

 凄惨な情景が広がり、自分の中の何かが揺らぐのを感じた。照準が合わなくなる。口を開いたのは弟だった。


 先ず、一つ。あの部屋には僕以外も住んでる。玄関に靴が沢山あったよね?


 記憶を辿る。たしかに、やけに広い部屋だった。靴も多かったかもしれない。


 二つ目。最初に殺したのは、あの女だ。浴室は見た?あの女が殺した死体が無惨に転がっていた筈だ。凶器の包丁も近くにあったでしょ?


 口内が渇くのを感じた。浴室は確認していなかった。本当だろうか。包丁も、思い出せなかった。


 三つ目。殺したのは僕じゃない。同居人が殺した。僕は逃げ隠れていただけだ。


 拳銃を握る手が、小刻みに震える。弟の柔らかい茶髪の下で、白い歯が輝いていた。哀れんだ眼で俺を見る。


 僕は彼女を殺していない。

 仮に殺していたとしても。

 暴れた彼女から

 暴れた彼女を止め、

 いずれも兄さんがいうところのだね。

 逆に、兄さんの暴力に正当性はあるのかな?


 いつしか、銃口は下を向いていた。靴底に溜まった粘液が足を生温く包む。


 おおおおおおおおおおおおおおお!!!!


 怪獣が再び吠える。が起きていた。神聖な光が部屋に射し込む。

 端末の画面には、雄大な翼の生えた、黄金に光り輝く巨人が君臨していた。

 突如現れた巨人が怪獣タトラを殴る。吹き飛んだ怪獣タトラに、巨人は更に蹴りを浴びせる。怪獣タトラが咆哮し、触手を伸ばす。

 巨人は祈るように掌を合わせる。掌が虹色に光り始める。光が放出され、怪獣タトラの触手を焼き尽くした。

 専門家が興奮した声を上げた。

 弟の顔も同様に綻んでいた。歓喜している。光に照らされ、眩かった。


 だから撃った。乾いた音がして、弟の顔面が弾けた。鮮烈な赤が舞う。

 弟との対話で自覚した。

 怪獣と巨人の壮大な暴力で確信した。


 正当性なんてどうでもいい。

 俺は暴力を振るいたかった。俺だけじゃない。若者を殴る眼鏡の男も。銃を撃った警察官も。観戦する専門家も。クローゼットの女も。怪獣の臓腑を千切る黄金の巨人も。皆、笑っていた。

 誰もが、本心では暴力に飢えていた。

 怪獣の登場で、全人類の脳に刻まれた暴力衝動が眼を覚ました。世界は、暴力の世界、怪獣の世界に生まれ変わっていた。

 誰もが自由に暴れ、殺し、殺される、無限の二の舞の世界。それでも、この新世界を歓迎していた。


 部屋を飛び出す。緑の粘液が撥ね、視界を染める。拳銃が手に馴染んでいた。

 

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