第2話
エカルラーテは執務室にたどり着いた。
侍従がドアをノックして、エカルラーテが来た事を告げる。中から、ラインハルト王の返答があった。
「姫様、お入りください」
「……はい」
エカルラーテは背筋を正すと、深呼吸をする。侍従がドアを開けて中へと促す。エカルラーテはゆっくりと入室した。
「父上、何かご用でしょうか?」
「おお、エカルラーテ。よく来た、そちらに掛けなさい。そなたが好きなローズティーやマカロンがあるぞ」
「ありがとうございます、けど。早急にと聞きまして」
「……うむ、エカルラーテに縁談がひっきりなしでなあ。そなたにふさわしい相手を吟味していたら、今の時期になってしもうた」
「はあ、そうですか」
エカルラーテはそう言って、ローズティーが入ったカップをソーサーから持ち上げた。ゆっくりと嚥下する。鼻から薔薇の香りが抜けた。いつも、母の王妃が好きで飲んでいるものだ。
「……父上、私は。生涯、結婚はしたくなくて。このまま、修道院に入りたいと思っています」
「なっ、エカルラーテ?!そなた、修道院になど入ってどうしたいのだ!」
「私、殿方は嫌いです。父上ならご存知でしょう?」
エカルラーテの言葉にラインハルト王は沈痛な表情になった。昔にあった事を思い出す。
今から、十年前。エカルラーテはお忍びで城下町に降りていた。
もちろん、メイドのシンシアや護衛騎士達も一緒だった。だが、彼女は大通りから外れた路地裏に一人で迷い込んでしまう。人混みでごった返した中、シンシア達とはぐれてしまった。当時、僅か七歳の幼いエカルラーテは最初こそシンシア達を懸命に歩きながら、探していたが。
しばらくして、自身が一人きりで不安なのと歩き続けたせいで募った疲労感から、その場でへたり込む。すると、前方からいかにもガラが悪そうな男が三人程やって来た。
『お、見ろよ。ガキがいるぞ』
『へえ、珍しい髪や目の色をしているな。顔立ちもなかなかだ、こりゃあ上玉だ』
『兄貴、こいつ。女だし、かっさらいましょう!』
『分かった、お前ら。ガキを押さえろ!』
『へい!』
『お安い御用でさあ!』
男達の内、手下と思われる二人組が荒縄を持ってエカルラーテに近づく。素早く、彼女の口に綿を入れ、猿ぐつわを噛ませる。手首と足首も縛られ、拘束された。
『ずらかるぞ!』
兄貴と呼ばれた男の号令に二人は頷く。一人がエカルラーテを肩に荷物のように担ぎ上げた。エカルラーテは男達のあまりの手際の良さに驚き、混乱しきっている。三人はそのまま、この場を離れようとした。
『……待て!!』
後ろから、高めの子供特有の声が呼び止める。三人が振り向くとそこには白金の髪に不思議な銀の瞳が印象的な美少年が屈強な騎士達を従えて佇んでいた。
『げ、あんたは。「白の公子」か?!』
『へえ、僕の二つ名を知っているの。なら、好都合だ。やれ!』
『はっ、御意に』
騎士の一人が恭しく一礼した。白の公子と呼ばれた少年の一声で他の騎士達が男達に駆け寄る。抜刀した一人がエカルラーテを担いだ男に斬り掛かった。
『ヒィッ!』
男は怯え、肩のエカルラーテを放り投げる。
『危ない!』
『きゃっ!!』
抜刀した騎士が素早く、彼女を受け留めた。公子も駆け寄り、こちらにやって来る。
『……ゼイン!』
『坊ちゃま、こちらの令嬢はご無事ですよ』
『良かった、大丈夫ですか?』
『……』
エカルラーテは猿ぐつわを噛まされているから、喋る事が出来ない。代わりに微かに頷いた。
『あ、ゼイン。ご令嬢は猿ぐつわをされているな』
『本当ですね、ご令嬢。失礼しますよ』
ゼインと呼ばれた騎士はエカルラーテの猿ぐつわを解き、口の中の綿を出す手助けをしてくれた。公子も短刀を袖から出して、彼女の拘束に使われていた荒縄を切ってくれる。
『……ふ、ふえ。お兄さん達はだれ?』
『うん、怖かったね。僕はリカルド、リカルド・ブロンシュ。ご令嬢の名前を聞いても良いかな?』
『……エ、エカルラーテ。エカルラーテ・フレンヌって言うの』
『え、まさか。王女殿下でしたか。これは失礼しました』
『……うっ、うう。シンシアはどこ?護衛のみんなは?』
エカルラーテは堪えきれずに大きな声で泣きじゃくった。リカルドと名乗った公子や騎士達は顔を見合わせる。困り果てたが、リカルドは気を取り直すように指示を出す。
彼らの働きで王女誘拐未遂事件は無事に収束した。が、エカルラーテはこれ以来、男性恐怖症になってしまった……。
まあ、大通りにまでリカルドやゼイン達は連れて行ってくれた。おかげでシンシア達と無事に合流はできたが。
「……すまぬ、エカルラーテ。私もうっかりと忘れていたよ」
「いえ、こちらこそごめんなさい。ただ、私はあれ以来、リカルド卿が苦手になってしまって。助けてくださった方だから、恩には報いたいのですが」
「ふむ、リカルドを嫌いと言うわけではないのか?」
「嫌いではないの、ただ。思いっきり泣き顔を見られているから。恥ずかしいと言いますか。穴があったら入りたいくらいですね」
「リカルドはそのような事を気にしてはおらぬよ、そなたを常に心配はしているがね」
ラインハルト王は優しげに笑う。エカルラーテも照れ笑いの表情になる。しばらくは二人で話に花を咲かせるのだった。
緋色の姫と白の騎士〜la princesse écarlate et le chevalier blanc〜 入江 涼子 @irie05
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