「天下無双」「ダンス」「布団」

ritsuca

第1話

 カナトは旅慣れているし、そのために必要な腕っぷしも多少は身につけたが、決して天下無双ではない。だから、あのときサヤトを助けることができたのは、ただただ運がよかったのだ。

 助けた礼をと請われてサヤトの家に滞在し、そのうちにサヤトがカナトと住むと言い出した時、移動し続ける暮らしで、昼夜逆転した二人で住むなんて無理だと周囲の人々に言われた。けれど、一年、二年と過ごすうちにそんなこと、少なくともサヤトの親しい人たちからは聞かなくなった。けれど。

「ただいま」

 小声で言いながら、そっとテントを開ける。サヤトは布団に籠もったまま、出てこない。

 カナトと出会うより前からサヤトと暮らしてきたハヤテは、数日前から帰ってこなくなった。草原に暮らす犬たちは、死が近づくと自らの選んだ場所に留まり、帰らなくなる。一緒に帰ってくることができなかったとカナトに話したとき、大丈夫と笑って見せていたサヤトは、それでも段々と、いつもよりも起きる時間が遅くなってきた。

 家族が起きてこられないときには温かいスープを作ってやるといい。火と湯気が家を温め、香りが目覚めを促すから。そう教えてもらったのは、どこにいたときだったか。塔の買い出しのついでに自宅用にと買ってきた食材のうち、カボチャを割る。馬乳と水を入れた鍋に細く棒状に切ったカボチャを入れて火にかけた。塩で味付けをすればスープになるが、砂糖で味付けをすれば甘いデザートのファクトーンゲーンブァッドもどきになる。さて、いまの自分たちにはどちらが良いだろう。

 コンロの火をなるべく弱めて蓋をし、布団に近づく。まだ眠りが深いのか、煮炊きの音や足音にも起きる気配はない。もぞ、と小さく動いた布団の上から、トントンと叩いてやる。昨日は起きたのだが、今日はどうだろうか。

 やはり起きないらしい。そうこうしているうちに鍋の蓋もカタカタ言い始める。仕方ないか、と布団を離れて蓋を開けると、ほんのりと甘い香りが漂った。やっぱり今日は砂糖で味付けをしよう。

「んんん~、おかえりおはよう……うううん」

「ん、ただいまおはよう、サヤト。朝ご飯、もうできるよ」

 蓋を開けたままで調理していたらもう少し早く起きてくれただろうか。でも干上がってしまうのも困るしなぁ、と思いながら、普段の料理と比べて多めの砂糖を鍋に入れて、柔らかくなったカボチャが鍋の中でダンスを始めたところで火を止める。

「うん、起きる……甘いやつ?」

「うん、甘いやつ。はい」

「ありがとう。いただきます……美味しい」

「よかった。うん、美味しい」

 ありがとうね。ブァッドに落とすように零された言葉に、うん、と小さく頷いてまた一口、ブァッドをすくった。

 明日は子犬を迎えに行こう。きっと、待っている。口にはしないその予感がそんなに外れないことは、カナトと妖精だけが知っている。

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「天下無双」「ダンス」「布団」 ritsuca @zx1683

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