月めくりエッセー Dec. 日めくり時代

山谷麻也

多忙なあなたのペースメーカー

 ◆えべっさんのお出まし


 一二月の声を聞くと、あちこちからカレンダーが届く。多くは、このエッセーのシリーズ名と同じ「月めくり」形式である。

 筆者の子供時代は「日めくり」だった。縦長の分厚い台紙に一年三六五日の日めくりが綴じられていた。台紙にはえべっさんがタイを釣り上げた絵や富士山の写真などが印刷されていた。


 一年を通じて掛けられるものであり、季節感は前面に出せない。画家やイラストレーターは苦心したのではないか。

 夏に着飾ったえべっさんをみると、暑苦しくて仕方がない。また、小さな船に七福神がぎゅうぎゅう詰めになっている様子など、演出とはいえ、神々は窮屈極まりなかっただろう。



 ◆情報がてんこ盛り


 当然のことながら、日めくりそのものには薄い紙が使われた。何気なく、あるいは乱暴にめくって、何日分かを破ってしまった時など、軽犯罪でも犯した気分だった。晴れて時効の日が来るのが、待ち遠しかったものだ。


 日めくりはデザインからして、いかにも日本的である。それは「暦」と呼ぶにふさわしい。「カレンダー」ではしっくりこない。逆もまた真なりで、月めくりを暦と呼ぶ人はあまりいないだろう。


 日めくりにはいろいろな情報が載っていた。先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六曜は日本人に深く浸透し、これだけはカレンダーでもお馴染みだ。

 日めくりにはさらに旧暦が記され、処世訓なども、それこそ日替わりで出てきた。道徳の教科書代わりにもなっていた。カレンダーではできない芸当だ。



 ◆一日の始まりに一枚


 では、日めくりがひと月ごと、あるいは複数月、さらには一二月を一枚に収めたカレンダーに主役の座を奪われたのはいつの時代だろうか。

 正確なところは専門家に期待するとして、筆者は世の中のスピードが大きく関係しているように思う。


 昔は一日一日がまったりと過ぎていた。

「はあ、今日も一日が終わった」

 という実感があった。


 翌朝、暦をめくりながら

「さあ、今日も、一日が始まるぞ」

 と気持ちを新たにした人は多いだろう。



 ◆二刀流の勧め



 今の時代、復古ブームがあるにしても、どれだけの人が日めくりを愛用しているか疑問である。

 確かなのは

「年月の過ぎるのは速いなあ」

 と嘆息する人が増えていることだ。筆者のまわりでは、挨拶がわりにさえなっている。こんな時代だから、うっかりすると、暦をめくることを忘れてしまう。置いてけぼりになった日めくりほど、哀れなものはない。


 多忙なのをいいことに、一日一日、濃厚に生きることをないがしろにしてはいないだろうか。来年あたり、カレンダーと暦の併用を心がけてみたい。


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月めくりエッセー Dec. 日めくり時代 山谷麻也 @mk1624

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