プレイグドクターと死の舞を踏む村

遊多

プレイグドクターと死の舞を踏む村

 二十一世紀の日本が、どれだけ恵まれていただろうか。

 この世界に再びの生を受けた私は、まずはじめにそう思った。


(この世界は穢れている)


 街中に糞尿が溢れ、河川は酷い悪臭を放ち、ハエやネズミが跋扈している。

 それを誰も何も思わず、感染症で命が消えてゆく。私はそれが耐え難かった。


 もともと私は医師だった。それなりに良い家に生まれ、良い教育を受け、大学病院に勤めていた。

 死因は過労だ。未知のウイルスに世界中が怯え、病床がパンクし、私をはじめとした医師たちの心身も限界を迎えた。

 それゆえだろうか。浮浪者の子として生まれ直した後も、恐怖というウイルスに人一倍敏感だった。


(だから旅をしている。すこしでも穢れを消す、それが私の使命)


 あいにく私には突出した能力もないし、世界には魔王とやらもいない。

 だが病への知識はある。本を盗み見ながら世界に適した知識を学び直した後、浮浪者だとわからぬよう身を黒に包み、私は世界を渡り歩いていた。


 そんなある日のこと。たまたま寄った酒場で、こんな噂を耳にした。


「近くの村が悪魔に呪われたらしいな」

「……ああ。布団の上で踊り狂うって」


 呪いの大半は病が原因だ。麦角菌、風邪、過剰なストレスによる精神疾患。

 それが伝播し、恐怖し、さらに被害が広がってゆく。神の祝福とやらで病を消すと謳う教会は、いったい何をやっているのだろうか。


「詳しく聞かせてくれるか」

「うおっ、何だお前!?」

「カラスの仮面なんて着けて……おっかねえ!」


 髭面の若者たちが驚くのも無理はない。私の風貌は、旅人にしては奇抜すぎる。

 病への知識は遥か未来のもの。ここが中世ヨーロッパに似た世界ならば、『異端』や『魔女』と見做され糾弾されるかもしれない。

 ならば目立たないほうがいい。そのため常に夜闇に紛れられるよう、黒い布を纏い、黒い帽子を被り、そして烏のマスクを身につけていたのだ。


「しっし、お前に話すことなんてねえよ!」

「いや待ってくれ! あんた……『ペスト医師プレイグドクター』か!?」


 そのせいか、最近は逆に目立つ存在となってしまったらしい。

 ペスト医師。病相手に天下無双を誇る伝説の存在、そう吟遊詩人が謳っている。

 憔悴し切っているほうの青年が、藁にもすがる思いで私のマントを掴み。


「頼む、助けてくれ! オレの母ちゃんを、村を、助けてやってくれねえか!?」


 そう、涙を流しながら懇願してきた。


〜〜〜〜〜〜


 その青年はアインといった。

 近くのドリコ村で畑を耕す普通の男だったが、寝ながらダンスするという奇妙な呪いが蔓延し、近くの街でヤケになって呑んでいたらしい。


「で……なんでこんなに木の実を買わせたんだよ」

「娯楽に興じている余裕などないだろう。いいから黙って運べ」


 若い農夫だ。痩せていても力仕事はできるだろう。

 数袋の木の実を担がされた程度で不貞腐れているようだが、本当に状況をわかっているのか?


「ここだよ」


 ドリコ村は街から二時間ほど歩いたところにあった。

 空気が冷たい。家畜もおらず、人気も少なく、まるで墓場のような瘴気も漂っている。


「あっ、兄ちゃん! 帰ってきたの!?」


 いや、一人いた。年若い、よく働いているでたろう元気な女だ。


「コイツはフルーレ。オレの妹で、ザインってダチと結婚を控えてたんだが……」

「呪いにやられた、ってところか」


 彼女が手にしているのは、洗ったばかりの濡れた布。おそらく誰かを看病していたのだろう。

 そして歓迎してくれそうな様子ではない。この地獄に残っていたせいか、ひどく苛立った気をぶつけてくる。


「誰、その人」

「この呪いを解いてくれるかもしれない人だ。怪しくても縋るしかねえ」

「怪しい、と言われるのは慣れているが……一刻の猶予もない、教会へ連れて行ってくれるか?」


 フルーレは少々戸惑った様子を見せたが、迷っていても仕方ないのは彼女もわかっていたのだろう。

 「ついてきて」と短く言うと、さっそく村人の大半が寝ている……いや、踊っている場所へと案内してくれた。


「……これは酷い」

「もっと増えてやがる……」

「ザイン……母ちゃん……」


 布団の上で舞う呪い……いや、のたうち回る呪いと呼んだほうがよいか。

 教会の床に布を敷いただけの病床は既に埋め尽くされ、奇声と打撃音が心を抉るようなハーモニーを奏でている。


(平衡感覚を失ったうえで、筋肉へ繋がる神経もおかしくなっている。身体が緊張しているならまだ助かるが、グネグネとタコのように踊っている者は……)


 もう、助からない。これが病なら、脳の大半に転移してしまっている。

 そう首を横に振ったのがいけなかった。


「やっぱり呪いなんだよ、もうアタシらも母ちゃんも助からないんだ!!」

「待て。その思い込みこそが呪いを強くする。気をしっかり持つんだ!」


 まずい。フルーレが恐怖に押し潰されかけている。何か、なにか応急処置は出来ないか……!?


「……原因がわかったかもしれない」

「何だと!?」

「デタラメ言ってるんじゃないでしょうね!?」


 ああ……デタラメだ。

 正直、賭けでしかない。

 だが、こういった謎の流行り病をどれだけ診てきたと思っている。


「穀物庫を見せてくれるか」

「あ、ああ。けど殆ど残っちゃいねえよ、最近の飢饉でやられちまって」


 報酬を欲していると思われたのか、それとも悪魔が棲みついていると思われたのか。

 いずれにしろ、見ればわかることだ。そして……案の定だった。


「やはりか」


 湿気と共に鼻腔を抜けるカビの臭い。

 掃除も行き届いていない。腐って分解されかけている麦藁が散らかっているではないか。

 ネズミに入られまいと高床式にしたのは良いが、管理が行き届かないなら本末転倒だろう。


「呪いの原因は、ダメになった麦だな。相当危険なカビの温床になっている」


 つまり今回は、このカビが原因だ。

 呪いではない。ならば救える。


「まずは穀物庫を建て直せ。燃やしてもいい。麦ごとだ」

「そんなっ……!」

「火を通せばいけるんじゃねえのか!?」

「熱で毒が消えない場合もある。残念だが諦めろ」


 診たところ、幸いまだ畑は生きている。土地も痩せ細っているわけではない、衛生環境を整えればカビは防げる。

 これが麦角菌の亜種の恐れもある。塩水を使った麦の選別もさせておくべきだろう。

 新しい木材や麦藁で穀物庫を建て直すだけで、多少は予防できるだろう。


「だから、こんなに木の実を買わせたのか……」

「行商人は、飢餓に瀕した村の足元を見てくるからな。これでも収穫の時期までは長い、しばらくは木の実採集か狩りをしたうえで断食も心がけろ」


 アインは素直に頷いていた。

 さて、原因がわかったなら治療の時間だ。再び教会に戻り、治療にあたっている者たちへ告げる。


「踊っている病人の腕と脚を触れ! まだ硬い者は助かるかもしれない、運び出してくれ!!」

「わ、わかりました!」

「そのあとは!?」

「とにかく強い酒を呑ませて吐かせろ! 下からでもいい、を身体の外へ出させるんだ!!」


 教会のシスターも元気な中年も、呪いを解くと信じて必死に動いてくれた。

 病と言えば疑われるかも知れないが……時代や文化がそれを許さないのだろう。

 それに本当は、もっとちゃんとした薬や血清が必要なのだ。

 人工呼吸器も必要だろう。そもそもこれでは、アルコールに弱い者を救えない。


(ただ違う時代、違う国、違う世界に生まれただけで、助かるはずの命も助からない)


 本当に……この世の理は穢れている。


〜〜〜〜〜〜


 それから二週間、私はドリコ村に滞在して死の舞の病と向き合い続けた。

 結局、教会の布団で踊っていた病人の六割を救えなかった。改めて、私は無力だと実感させられる。


「ペスト医師様!! 母ちゃんが、母ちゃんが立ってくれたんだ!!」

「ザインも目を覚ました! ああ……よかった……!!」


 だが、あの兄妹の大切な人は救えたみたいだ。マスク越しだが、すこし頬が緩んだ気がする。


「本当にありがとう……このままだと全滅していたよ……!」

「何とお礼をしていいのか……オレ、何でもするから、何でも言ってくれ!」

「礼は必要ない。生き永らえたなら、それで十分だ」


 だが二人して不満げだ。このままでは、せっかく買い込ませた栄養のある木の実も差し出してくるだろう。


「ならば恐怖への免疫をつけろ。強くなり、知恵をつけ、立ち向かうことを恐れるな。その姿勢を見ることが、私にとって何よりの報酬だ」


 その言葉を残し、私は死の舞を踏む村を立ち去った。

 次の穢れを払い、恐怖を殺すために。

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プレイグドクターと死の舞を踏む村 遊多 @seal_yuta

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