夢のつづき、勝負のゆくえ【KAC20254】

竹部 月子

夢のつづき、勝負のゆくえ【KAC20254】

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 中学の時から、年に二回のでかい大会前になると、俺は必ず熱を出す。

 そうして決まって、甲子園球場で投げるヒロキ先輩の夢を見た。


 甲子園初出場でピッチャーとして登板したヒロキ先輩は、優勝候補だった有名私立校と大接戦をくりひろげる。

 俺と鈴華はその伝説の試合を、テレビにかじりついて見た。

 ジュニアチームに時々来ては、優しく教えてくれた先輩が、気迫の投球でバッターをねじ伏せていく姿は圧巻だった。

 

 いつも途中でこれが夢だと気づくのは、俺と鈴華が先輩と同じユニフォームを着て、ベンチで応援しているからだ。

 ぎらつく夏の日差しを跳ね返すグローブ、上げた左足のスパイクからこぼれる土、射るように打者を見据える視線。 

 バットが空を切り、捕手のミットに球が吸い込まれると、全員が雄たけびをあげながらマウンドに集まっていく。

 録画して何十回も脳に焼き付けた映像だから、試合の様子はやたら精度がいい。

 

 でも夢の中では決まって、俺もみんなと一緒にベンチを飛び出していくのに、どんどんチームから遠ざかってしまうんだ。


 気づけば自分ひとりが、相手高校の応援席にポツンと紛れ込んでいる。

「アイツが打てなかったから負けたんだ」

「球の勢いが落ちた時にすぐに交代させれば良かったんだ」

「そうだろ、コウダイ」

 肩をつかまれるけど、怖くて振り返れない。

 

 歓声は消え、誰もいなくなったマウンドに、鈴華はかぶっていたキャップを供えるように置いて、立ち去る。


 ……待て、鈴華、諦めないでくれ!



「俺が……!」

 自分のガラガラ声で目が覚めた。

 熱が下がったのか、寝汗で濡れたシャツが気持ち悪い。

 着替えだけしようかと思って時計を見ると、四時半を周ったところだ。

 そろそろ両親も起きてくる時間だし、シャワーを浴びてしまおう。


 部屋に戻るともうすっかり明るくなっていて、さっぱりした体と朝の陽ざしにようやく気持ちが立ち直ってくる。

 もう時間がないんだ、熱出してないで、行動しろ。

 

 机の引き出しからレポート用紙を引っ張り出して、なるべく簡潔に、でも素直な気持ちで書いていく。

 彼女の連絡先は知らなかったから、せめて直接手紙を書いた。

 

 封筒に『佐々木こはる様』と精一杯丁寧な字で書く。

 名前の漢字が分からなかったけど、調べてからなんて悠長なことをしている時間は無かった。

 そして、この手紙を託すなら、アイツしかいない。



 

「炭酸飲める?」

「あ、はい」

「喰いタン赤ドラ裏ドラは?」

「なしなしありでやってました」

「お、いいねー」

  

 何故か俺はクラスメイトの家に上がり込み、その姉二人に謎のもてなしを受けている。

 一体どうしてこうなったのだろう。


「ただいま……なっ!?」

 ようやく現れた待ち人は、麻雀の準備が整った卓についている俺を見て絶句した。そりゃそうだろう。


「おかえりー、ロウの友達来てるよ」

「ウン、それは見れば分かるかな」

 何で居るんだよと目で訴えているような、何でこうなっているかは姉たちのせいだとよく分かっているような、とにかく複雑な顔で志崎はギターケースを置く。

「手と首洗って座んなー」

 それは、同時に洗うようなもんなのか。

 

「んで、渡しておいてほしいって言われたのがコレだったからさぁ、修羅場だなってピンときたわけよ」

 さっきメガネの方のお姉さんに託した封筒が、志崎の手に渡る。

 宛名を確認すると、捨て牌を切りかけていた手がギシッと止まった。


「決めたなら早く切りな。はい、それポン」

 スーツ姿のお姉さんは、てっきり支度が終わって出かけるところだと思っていたのに、上着を脱いでワイシャツを腕まくりして、全力で麻雀を楽しんでいるように見える。


「何で修羅場だと思ったのに家に上げるかな」

 弱ったようにつぶやく志崎に、一応声をかけておく。

「俺は修羅場にするつもりはないぞ」

 志崎から返ってきたのは、ジットリとした視線だけだ。


「お姉ちゃん昔から言ってるでしょ、喧嘩の決着は麻雀でつけなさいって」

「それ我が家だけのルール。プリン食ったか食わないかで半荘ハンチャン回すの俺んちだけだから!」

「ロウくん、よそはよそ、うちはうち」

 

 場が進んで行くと、志崎が常に派手な役を狙う性格タチだと分かる。

 一度だけまんまと、清一色チンイツ 一気通貫イッツーを振り込んでしまった。

 お姉さん二人は普通に強くて、志崎から容赦なくバカスカ上がりまくる。


「コウダイは見た目通り、手堅いタイプなんだな」

 親手番でハクのみで上がった俺を、挑発するように志崎が笑った。

「おっと、ゴングが鳴りました」

 すかさず姉ちゃんズが茶化す。

 

 確かに俺は、自分ができないと思ったことはしない。

 野球だって始めてみて、比較的得意だと思ったから続けているんであって、書道の習い事は体験会でやめた。

 そのかわり、やると決めたことに努力は惜しまない方だと思う。

 

「いまさらだが、なるべく早く、佐々木コハルにその手紙を渡してもらいたい」

「何でオレに頼むんだよ、自分で渡せばいいだろ」

「春休みが終わるのを待てない」

「いいねいいね、待てないのが青春って感じだねぇ」

 会話をしながらも、高速で場が進んで行く。


「あの、勝利条件ってなんですか?」 

 メガネの方のお姉さんに聞くと「決闘なら、狙い撃ちでハコらせがカッコイイんじゃない?」といたずらっぽく首をかしげる。

 決闘を申し込んだつもりはないが、つまり俺が、志崎の持ち点をゼロ以下にすれば、佐々木に手紙を渡してもらえるということか。

 

 志崎は俺の意図を察したのか、ハンと鼻で笑った。

 誰も喰わず、リーチもかけず、静かな場だ。

 手を伸ばした牌の腹を撫でて、気づかれないように息を詰める。


 待ってたぞ、イーソウ。トリの降臨だ。

 これでこちらは整った、あとは志崎をスナイプするだけだ。ポーカーフェイスには自信がある。


「もしかしてコウダイくん、また真っ白のコレ、欲しかったかなぁ?」

 捨て牌に2枚ハクが切られているのを確認してから、わざとらしく「安手で連チャンされちゃうかもー」と志崎が牌を切る。

 不思議なことに、姉たちが同時にフッと笑った。


「ロンだ、国士無双」

 

「あー……はぁ……?」

 呆然と俺の倒した牌を見下ろす志崎。

 姉ちゃんたちは「はい負けー」「イキりハコりダサいー」と追い打ちをかける。

 ふらっとテーブルから立ち上がって、ヤツはペコリと頭を下げた。

「負けマシタ、明日コハルちゃんに届けマシュ、オヤスミナサイ」


「ちゃんと手紙持っていきな、涙で汚すんじゃないよ」

 ハァイと、ショボショボと階段を上がっていく志崎の背中を見ていると、何故か点棒がリセットされて西場の札が置かれる。

 今日これから風邪をひくので仕事休みますと、スーツの方のお姉さんが電話をかけていた。



「で、少年。ラブレターをわざわざ弟に託した理由は何だね?」

「いやだから、そういうんじゃないですって」

 飲み足りないようね、とドクドクとコーラが注がれる。

 膀胱が限界を迎える前に、誤解を解く必要があった。


「佐々木のお兄さんに、いっぺんうちの練習を見に来てほしいと頼んでくれないかっていう手紙です」

「野球部の練習を?」

 はい、とうなずくと、メガネさんの方が「コハルちゃんは、佐々木ヒロキの妹か!」と声をあげた。

 同世代でヒロキ先輩の名前を知らない人はいない。


「春のセンバツ、絶対勝ちたいんですけど、なんかチームのみんなに、うまく伝えられなくて」

 今日会ったばかりの志崎のお姉さんたちに、何を告白しているのだろうと思いながらも、言葉が止まらなかった。

「俺たちを甲子園につれてってくれよって言われるけど、野球は一人じゃムリなんです」


 甲子園を目指すなら、うちのチームには足りてないところがたくさんある。

 でも、メニューをキツくすると、休みがちになる部員もいるし、みんなが疲れた顔しているのを見るのは正直辛い。

 春休みが明けると新一年生も入ってくるのに、新キャプテンは全部俺に任せると言うし、どうしたらいいか分からない。


「うんうん」

 スーツのお姉さんが優しく相づちをうちながら、俺から一盃口イーペーコウを上がった。ひどい。


 夏頃に佐々木コハルがじっと俺を見つめていることを、チームメイトに指摘された。鈴華からも、前から見ていたよと言われた。


 グラウンドではヒロキ先輩と同じ背番号に、恥じない選手か。

 教室では文武両道だったヒロキ先輩と同じように勉強にも真剣に取り組んでいるか。

 頬が赤らむほどに、カッと目を見開いて、俺の行いを見つめている。

 当然だ。彼女にしたら、兄の偉業に泥を塗られてはたまらないだろう。


 でも、見られているという刺激は、一瞬の深い集中力につながった。

 この一打がどこまで遠くまで飛ばせるか、この一球がどれだけ速く投げられるか、それだけを夢中で追いかけていた、あの頃みたいな気持ちで野球ができた。

 佐々木コハルの姿を通じて、ヒロキ先輩がそこで俺たちを見ていてくれるような気持ちに、なったんだ。


「ヒロキ先輩に今の俺たちのチームを見て、アドバイスしてほし……くて」

 自分の言葉を改めて自分の耳で聞くと、なにか違うと感じた。


 チームにアドバイスとかじゃない。

 今の俺を見て、弱気になるな、甘えるなと言ってほしい。

『佐々木ヒロキの再来』だなんて持ち上げられて、大会前に熱出してる俺を、笑い飛ばしてほしい。

 おまえはいい選手になるよと、もう一回だけ言って、頭を撫でてほしい。


 だって俺は、こんなところで立ち止まれない。

 女だからって選手を諦めなきゃいけなかった鈴華を、絶対に甲子園に連れて行くって決めたんだから。

 

 思考を引き継ぐように、お姉さんが口をひらく。 

「マネージャーの子といい感じって聞いてたから、さわやかな顔した二股野郎かと思ったわけよ」

「いい感じって……鈴華は幼馴染ですよ」


「幼馴染だったらジュース回し飲みとかしちゃうん? 最近の若いモンは」

 そんなことまで志崎は家でベラベラとしゃべっているのか。

 ハコらせたのはやりすぎだったかと思ったが、国士無双で叩き切っておいて正解だった。


「鈴華は初めて食うものとか飲むものに、やたらビビるんですよ、だから昔から俺が毒見役なだけです」

 小さい頃から、俺が口にして平気なものは鈴華も大丈夫という刷り込みがされている。

 これで苦手だったピーマンとか牛乳もクリアさせてたから、鈴華の母ちゃんの作戦かもしれない。


「なるほど、結婚しろリーチ」

「責任もって嫁にもらえ、追っかけリーチ」

 チャリンチャリンと投げられた千点棒を横目に、次の牌をひいてくる。

「まぁその前に、甲子園に連れていきますけどね。ツモ」

 

 なんだとぅ? と今度は意外そうに二人が目を見開く。

七対子チートイツドラ2です」

「手堅いわぁ」

「ロウ、ライバルじゃなくて良かったねぇ」


「……あれ、もしかして志崎って、佐々木コハルのこと……?」

 それならやっぱり、ハコらせたのはやりすぎだったか。

 すまん、志崎。おまえも頑張れ。

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