片想いのばかやろう

小池 宮音

第1話

 わたしは好きな人の好きな人を、見たことがない。


***


 新学期が始まり、受験生、という三文字が確かな重みをもって目の前まで近づいてきた春。

 校門を出て駅方面に歩いている帰り道、前に男子高校生の背中が見えた。後ろ姿だけでも誰か分かってしまうのが、少し悔しい。

 小走りで近づいて、彼の背中を軽く叩いた。

勇人ゆうと

 彼は両耳にイヤホンを着けていた。今どきにしては珍しい、有線のイヤホン。

「ん? あぁ、藤枝か」

 勇人はイヤホンを右側だけ外して、わたしを見下ろしてきた。

 背が高くてカッコいい。一年生のときはそれだけだった感情が、関わっていくうちにいつの間にか膨らんで『好き』という感情が生まれた。

 わたしは勇人にずっと片想いをしている。

「なに聴いてたの?」

「これ? 名言」

 め、名言?

 眉をひそめたわたしに、勇人は外した片方のイヤホンを渡してくれた。

 共有、してくれるんだ。ドキドキしながら受け取って耳にはめる。聴こえてきたのは、スッと入ってくる心地いい男性の声だった。

『できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である。パブロ・ピカソ』

 なるほど、確かに名言だ。

「なんで名言なんか聴いてんの?」

「好きな人がさ、そろそろ聴きたいころだと思って、勉強してんの」

 初夏の気温なのに、体温が一気に下がった。イヤホンを耳から外して勇人に返す。

 枝にわずかに残った桜が散っていくのが見えた。

「……それって、五歳年上の人?」

「うん」

 迷いなく頷く勇人。その表情は見たことないくらい蕩けていて、その五歳年上の人を思い浮かべているんだろうな、とすぐにわかってしまった。

『ねぇ、勇人って好きな人いるの?』

 二年生になったころ、思い切って聞いてみたことがある。今思えば探りというかストレートに聞いてしまった気がするし、なんなら『あなたのことが好きです』って言っているようなものだった。だからか、勇人ははっきりと言ったのだ。

『いる。五歳年上の、初恋の人』

 だから俺のこと好きにならないで、と暗に牽制された。まだ芽吹いたばかりの新芽に除草剤を撒かれた気分にさせられて、一瞬で嫌いになる理由になったのに、どうしたって嫌いにはなれない。

「……まだ好きだったんだね」

「うん。美依みいのことは、ずっと好き」

 地面に落ちた桜の花びらが、人に踏まれて汚れていく。

 不毛な恋をしていることは一年のときから分かっているけれど、勇人が美依って人に一途なように、わたしだって一途に勇人を想ってきたつもりだった。

「え、でもずっと片想いなんだよね? その人に彼氏がいたことだってあったんでしょ? なんでそんなに好きなの? スタイルがいいとか?」

 訊きながらなんてかわいげのない質問なんだ、と自己嫌悪に陥る。こんなことが言いたいわけじゃないのに。

 勇人は目を空に向けた。

「スタイルは……別に関係なくて。なんでだろうな。秀でてるものはなにもなくて、本当に普通なんだけど、俺にとってはクリスマスツリーのテッペンみたいな、眩しい人なんだ。いつも一生懸命で、自分のことより人のことを考えてるんだけど、ネガティブで泣き虫でもあって、つい励ましたくなるんだよな」

 クスッと笑った勇人の顔は、クラスのバカな男子たちとは比べ物にならないくらい大人びていて、ドキッとすると同時に、こんな顔をさせてしまう美依さんに苛立ってしまう。

「美依さんが名言を聴きたくなるころって……?」

「あぁ。新社会人になって一週間が経つからさ。自信を無くしてるか落ち込んでるころだろうなって思って。今までもこうして名言で励ましてきたからさ」

「……美依さんのこと、よく分かってるんだね」

「そりゃあ何十年も見てきてますから。手に取るように分かっちゃうんだよな、美依のことは」

 美依、美依って、本当に勇人は美依さんしか眼中にないらしい。きっと四六時中彼女のことを考えているのだろう。朝起きて歯を磨いているときも、授業中も、友人と話しているときも、ご飯を食べているときも、道を歩いているときも、寝る前までずっと。わたしが勇人のことを想っているのと同じくらい、ずっと。

「藤枝は電車、乗らないんだよな?」

「うん。家この辺だから」

「ん。じゃあまた明日」

 もう少し一緒にいられる道のりだけど、彼はひとりになりたかったのだろう。イヤホンを耳に着け、静かに肩を揺らしながら駅の方へ歩いていってしまった。

「…………」

『できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である』

 さっき聴いた名言が脳内再生される。

 勇人が美依さんに対する想いと、わたしが勇人に対する想い。決定的な違いはきっとこれだ。勇人は叶うと思っていて、わたしは叶わないと思っている。

 ゆるぎない絶対的な法則。

「片想いのばかやろう」

 わたしの独り言は、自分の耳でさえもちゃんと震わすことができずに、どこかへ消えた。


END.

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片想いのばかやろう 小池 宮音 @otobuki

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