夢うららかに

八万


 あの夢を見たのは、これで9回目だった。



 夢から覚めると、決まって俺の全身は汗びっしょりで、不快感で吐き気を催す。


 それが連日続くのだからもはやどうにかなりそうだ。


 そんな不快感のなか、重い腰を上げ起きた俺は、美味しくもない質素な朝食を独り食べ終わると、何をするでもなく、灰色な天井をただ見上げていた。


 この後は、小さな庭で軽い運動するのが俺の日課だ。


 だが今日はいつもと少し様子が違った。


 廊下を歩く革靴の音が徐々に大きく響き、ドアの前でピタリと止まる。


「Aさん……準備をお願いします」


 なにか変だな……そう思いながらも、俺は刑務官の後をついて行く。


「あの、そっち庭じゃないですよ?」


 聞こえなかったのだろうか、前を歩く刑務官は無言であった。


 いつもは軽い冗談を交わすくらいの関係はあったはずだが。


 刑務官の足が、あるドアの前で止まる。


 プレートには所長室とある。


 疑問に思いながらも入室すると、窓の外を眺めていた所長が書類を片手に、ソファに座るよう促される。


「Aさん……本日、刑を執行することが決まった」


 直後、視界全てのものが色を無くし、全身の震えを抑えられず足に力が入らなくなった。



 下を向き、ふらつく足で別室に行くと、神父がお祈りをしてくれたが、何も感じるものは無かった。


 神がいるなら今すぐ俺を助けてくれよ……。


 その後、最後に食べたいものを訊かれたが、食欲などあるはずもない。


 でもひとつだけ俺の頭にふっと浮かんだものがあった。


 子供の頃に母さんがよく作ってくれたハンバーグ。


 母さん


 ごめん






 数分後、刑が執行された――










「はぁはぁはぁ……夢か……悪い冗談だ」


 起き上がると、俺の全身は汗でびっしょりと濡れていた。


 これで10回目だ……。


 もういい加減この悪夢から俺を解放してくれ。


 いや待て……これも夢なんじゃないのか?


 そう考え始めると、俺の頭はどうにかなってしまいそうだった。


 俺は、悪夢から覚めるための計画を練ることにした。




 いつものように、革靴の音がドアの前でピタリと止まる。


「Aさん……準備をお願いします」

「はーい! 運動の時間ねっ」


 俺は陽気に返事をする。


 やはり、前を歩く刑務官は無言であった。


 さあ、ショータイムの始まりだ。


 俺は、彼の背後に音も無くすり寄りしゃがみ込むと、合わせた人差し指を無慈悲に思いっきり突き上げた。


 彼は跳び上がり、声にならないうめき声を発すると、海老のように身体を丸めピクピクと痙攣しながら泡をふく。


「悪いな……」


 ちょっと気の毒に思ったが、でもどうせ夢なんだし。


 さあ、お次は……。


 俺は所長室のドアを音も無くそっと開け、窓の外を眺める所長の背後に忍び寄り、またしても無慈悲に突き上げた。


「これでよし……」


 俺は達成感に浸り、ソファに横になる。





 その後、大騒ぎとなり大幅に予定時刻が遅れたが、結局は刑務官と所長の憎々し気な視線の下、刑の執行が行われた……。








「はぁはぁはぁ……夢か……」


 これで11回目――




 12回目――




 13回目


「ああ、あああああ、ああああああああああああああああああああぁぁぁ……」




 俺はおかしくなった……









「先生……またあの患者さん、何か独り言つぶやいてますよ」

「Aさんか……彼は自分が殺人を犯してしまったという妄想にとりつかれた患者さんでね、可哀想な人だよ。前まで結構有名な若手俳優さんだったんだけど……」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢うららかに 八万 @itou999

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ