【KAC20254】9回裏の夢
鷹仁(たかひとし)
9回裏の夢
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
僕は高校3年生で、甲子園出場をかけた県大会の決勝戦のマウンドにいた。僕がピッチャーとしてあと一人打ち取れば、わが校初の甲子園出場が決まる。
対する相手は、県内屈指の強豪、工業高校。昨年の甲子園優勝校で、今年は連覇がかかっている。
そして、9回裏2アウト満塁、一打逆転のチャンス。
――4番キャッチャー菅原。
アナウンスが告げたのは、僕の幼馴染であり、隣町の高校に進学したライバル
「
そう言うように、紘一はバットでバックスクリーンを一度指し、回して、構える。
小学校の野球クラブから変わらない紘一のルーティンだった。
おそらく、向こうは僕の決め球を待っている。
最初の一球は見送るだろう。僕は初球にアウトコースぎりぎりのボール球を投じた。
その初球を、紘一は振り抜いた。
白球は紘一が示した通り、綺麗な放物線を描いてバックスクリーンに到達する。
その瞬間、紘一を中心に歓声が沸き、僕たちの学校は虚空を見つめて沈黙した。
この大会の後、紘一の高校は甲子園を連覇し、僕は大学進学を理由に、野球を辞めた。あの敗北から、何もかも終わった気がしていた。
それから何年も経ったある日、僕は毎晩「9回裏の続き」の夢を見るようになる。
最初は負ける夢ばかりだったが、8回目の夢で僕は気づいた。「これは過去の記憶ではなく、もう一度挑戦するためのものだ」と。
そして、9回目の夢の夜、夢の中で再びマウンドに立つと、紘一がこちらを見て笑う。
「今度こそ、逃げずに投げてこいよ」
僕は初球から決め球であるフォークボールを投げた。
紘一が初球を振り抜くと、球は空高く舞い上がり、フェンスぎりぎりのセンターフライになる。そのまま僕たちが県大会を優勝し、僕たちの高校は初の甲子園出場を涙で祝った。
この日を境に、夢に紘一は現れなくなった。
都内某所、僕はスーツを着て取材を受けていた。
「
僕の目の前には、勢ぞろいした記者団がマイクを向けている。僕は、何を言おうか迷った後、ふと、あの夢のことを思い出す。
野球を諦められなかった僕は大学に進み、もう一度野球部に入った。
そして、高校時代の悔しさを晴らすために、不動のレギュラーを勝ち取るべく、死に物狂いで練習したのだ。
それは、プロで活躍する紘一の姿をニュースで見ていたからでもあった。
彼が試合でフォークボールを楽々スタンドに運ぶたびに、僕は自分のフォークボールで紘一を打ち取ることを夢見るようになったのだ。
練習の成果もあり、僕は大学野球で優勝し、日本代表にも選ばれた。
そして、スカウトの話では僕が球団に一番期待されているのは“フォークボール”だとも言われた。
「きっかけは、甲子園に出られなかったあの試合でした」
もしあの日、僕がフォークボールを投げていたら、夢の中で起こったように、結果は変わっていたのだろうか。
「高校最後の勝負で逃げてしまったことをずっと後悔していたんです」
それでも、今僕がここにいるのはあの日フォークボールを投げられなかったからだと信じたい。
「大人になった今でも夢に見るくらい、あの一球が、今の僕を形作っています」
僕が言い終わると、カメラのフラッシュが炊かれ、シャッターが切られる。
僕は四年遅れで、ようやく紘一と同じ舞台に立つ。今度こそ、逃げない。
【KAC20254】9回裏の夢 鷹仁(たかひとし) @takahitoshi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます