第2話

 少しずつ蘇る記憶は、正直なところ転げまわりたくなるほどの黒歴史だ。それこそ、地中深くに埋めてしまいたいくらい情けない男の記憶。


 大好きだった彼女。

 史郎だった俺は、玲良と一緒にいるのが楽しくて楽しくて、本当に楽しくて。なんと結婚するのを忘れていたのだ。

 アホだろう? でも本当なのだ。

 友達や親せきの結婚式に参列したこともあったのに、なぜか結婚という単語が全く浮かばなかった。不思議なことに誰からも、「お前たちはまだなのか?」みたいなことも言われなかったんだよな。


 しかもだ。さらにアホなのはこの後。

 俺は、彼女がプロポーズを心待ちにしているものだと思い込んだ。


 いや、思い込んだだけならまだいいんだ。いい年だったし、家族になるのは自然だと思ったし。


 ただ彼女を10年も待たせてしまったんだから、飛び切りのサプライズを! ――なんて、勝手に意気込んでしまったのが最悪だった。


 結婚について話し合ったことさえなかったのに。

 いや、だからこそ? 初めてデートで行った思い出のレストランで指輪を差し出し、最高のプロポーズをしようなんてことを考えてしまった。

 きっと彼女は涙を浮かべて喜びながら、すぐに頷いてくれると信じていたんだ。


 でも現実の彼女は戸惑った表情かおで、「少しだけ待ってもらえるかな?」と言った。そのことに俺は、頭を殴られたようなショックを受けた。

 冷静に考えれば勝手だと思う。

 でも血が上ってしまった俺は、結婚したいと思っていたのは自分だけだったのかと、自分でも驚くほど腹が立ったんだ。浮かれていた反動で、恥をかいたと感じたのかもしれない。


 だからって別れるとかさあ。マジでバカだろ。大馬鹿野郎。


 玲良も仕事でそれなりに責任がある立場だったし、当時かかわっているプロジェクトも忙しかったはず。

 なのに一人暮らしだった彼女の家は居心地よく整えられていて、そんな空間や時間をとても大切にしていた。俺はそれを知っていたはずだったし、尊重していたはずだった。


 でもそれに気づくまで勝手に俺は、彼女はすぐに仕事を辞めて家庭に入ってくれるとなぜか信じてたんだ。子供だってすぐほしかったし、養えるだけの自信もあったから。


「あんたバカねぇ」


 呆れたようにそう言い切ったのは史郎おれの母。


 「そんな時代錯誤に育てた覚えはないのに」

 などとブツクサ言った母さんから、結婚することで、特に女性が変わるあれこれをこんこんと説明されるまで、玲良が築き上げてきたものを自分が奪ってしまう可能性など微塵も気づかなかった。


 それでも意地を張った。

 すぐに彼女のほうが謝ってくるはずなんて、アホみたいなことも考えていた。

 フリーになって誘われることも多くなったから、調子に乗っていたのもあるんだろうな。


 でも誰とも付き合わなかった。

 少しいい感じになったコや告白してくれたコもいたし、二人で遊びに行くこともあったけれど、それだけ。彼女らの肩を抱くことさえできなかった。

 なぜか女性たちから紳士的だと評価が上がったけれど、実際は浮気しているみたいで落ち着かなかったのだと思う。


 誰かに優しくしても、一番そうしたい相手の顔がちらつくから。

 そのことに気づいたときには、彼女は転勤で飛行機の距離だった。


 とはいえ、史郎がいたのは21世紀の日本。ここみたいに馬や馬車で何日もかかるわけじゃないうえ、せいぜい数時間の距離。意地を張らずに会いに行けばよかったんだ。スマホだってあったし、連絡だってできたはず。

 ここから見れば魔法のような世界にいたんだ。


 でも行動できなかった。

 拒否されたら立ち直れないと思って、勇気が出なかった。

 なんかもう、自分だと思いたくないほどのヘタレだな。


 その後悔が棘のように胸に刺さってたせいだろうか。


 「コナンの運命の相手は国内にはいないのかもしれない」という母の意見で、8回目は隣国に婿入りしたし、9回目は別の国の公女を妃に迎えた。

 もちろんどちらも魅力的な女性だったし、精一杯誠実に付き合ったけど、心の奥では違うなと思ってた。サイズの合わない靴を履いた時みたいな感じでしっくりこないんだ。


 振り返ってみれば、玲良以外じゃ意味がないと思っていたのかもしれない。

 かといって人生を投げ出す勇気もない。母に泣かれるのは正直きついし、父に負い目を感じてほしくもなかった。


(ここで一番しっくりきたのは、靴を落とした彼女なんだよな)


 6回目と同じく舞踏会を開いたのに、7回目では会えなかったシンデレラ。

 6回目の時、靴が合う女性たちが全員、仮面をかぶっていたように同じ顔に見えていたのに、なぜか今は顔をはっきりと思い出せる。


 玲良に似ていたわけではない。

 でも笑い方や、ちょっとした仕草が重なった。一緒に踊って少し話をしただけなのに、誰よりも優しくしたいと素直に思えた人だった。


 そんなことを考えていたせいだろうか。9回目までとは違う夢を見た。別れてから初めて玲良と会えた日のことを――。




 それは彼女と別れて1年ほどたったころ。

 俺は高校の部活仲間の結婚式に参列したんだけど、新婦がたまたま玲良の従妹だったのだ。


 夕方から開かれるナイトウエディングというやつだったが、会社から会場までが徒歩圏内だったこともあり、俺は普通に仕事を終えてから参列した。

 かなりギリギリに入ったこともあって、案内された席から玲良の後ろ姿が目に入った時は心臓が止まりそうだった。


 俺に気づいているだろうか?

 参列者の名前を見れば嫌でも気づくか。


 会えたことは嬉しかったが、復縁の期待はしていなかった。いや、できなかった。

 1年前よりずっと綺麗になっている彼女を見れば嫌でもわかる。新しい恋人がいるのだろう。俺よりずっといい男で、きっと彼女は幸せなのだろうと。


 ふとこちらを向いた玲良と偶然目が合い、彼女が知人に会った程度の会釈をしたことでそれは確信に変わった。元カレでもなんでもない。俺は過去なんだって。


 それでも出来ることなら彼女に、一言謝りたくて機会をうかがった。


 和やかな式。

 友達の幸せそうな笑顔や、花嫁さんの綺麗なドレス姿になぜか鼻の奥がツンとしたけれど、そんな情けない姿は意地でおもてには出さない。


 新婦一緒に笑っている玲良は綺麗だった。ミッドナイトブルーのシンプルなドレスも、ゆるっと結われた髪もおくれ毛も、華奢なアンクレットも銀色の靴も全部似合っている。


(幸せにしたかったな)


 ふとそんなことを思い、バカみたいだと苦笑した。――その時だ。

 二次会の会場へ向かう階段の上で、体勢を崩したように玲良がふらつくのが見えた。


「玲良!」


 とっさに飛び出し、彼女の頭を守るように抱きかかえたまま一緒に階段から落ちた。

 どこで止まったのかも分からない。

 スローモーションのように、彼女が履いていた銀色の靴がコンコンと遅れて落ちてくるのがぼんやり見えたことを覚えている。


「史郎っ!」


 一瞬気を失っていたのか。

 視界から靄のような暗闇が薄れると涙でぐちゃぐちゃになった玲良の顔があって、そんな場合じゃないのに、少しだけ俺の唇に笑みが浮かんだ。


「……無事か?」


 そう聞いたけど、背中や胸が痛くてほとんど声にならない。

 それでも彼女がこくこくと頷くから、彼女の涙を拭おうと思い右手をゆっくりと動かした。


「泣くな」


 彼女以外何も見えないし、音も遠い。


(俺、お前を泣かせてばかりだな)


「ごめん、な……」


 やっと言えた言葉は届いたか……。

 史郎の意識はそこで途切れた。


   ◆


「あー、史郎《おれ》の死因ってこれだったのか」


 夢から覚めて、ガシガシと頭をかいてため息をつく。

 でも今の夢に引っ掛かりを覚え、それが何かを考えた。


 ミッドナイトブルーのシンプルなドレスに銀の靴。

 もちろんデザインは違うけど、どうしても玲良と、6回目で出会ったシンデレラに印象が重なる。


「玲良もこの世界に来てしまった、とか?」


 まさかと思う。彼女のことは守れたはずだと信じたい。

 でも無性にシンデレラに会いたかった。確かめたかった。これが最後なら、もう一度会いたいのは一人だと気づいてしまった。


 ――だが、どうすれば会える?


「せめて名前を教えてもらえたらよかったんだが」


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前後編にしたくて頑張ったのですが無理でした。もう少し続きます。

いつのまに2ヶ月も経ってたのだろう。

今すごく忙しいのですが、次はここまで間を明けないよう頑張ります。

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王子がシンデレラを追ったわけ 相内充希 @mituki_aiuchi

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