花園に咲く妖精は、兎に愛を囁く

藤咲 沙久

二人だけの密談


 オリヴィア・ブレトン嬢は変わり者で名をせていた。

「兄達は妻をめとって各領地を受け継ぎ、政略家のための結婚は姉達がし尽くした。ならば役目のない私は、好きに生きるのが筋だろう?」

 これが彼女の口癖だった。ドレスを嫌い、深い紅茶色の髪は短く肩で切り揃え、ウエストコートの裾をはためかせる立ち姿。自分用に仕立てさせたズボンブリーチに包まれた長い脚が、美しいシルエットをあらわにしている。乗馬を好み剣術をたしなみ、貴族の令嬢としては異端そのものだ。

 だけどその名を囁く人々は皆知っていた。その振る舞いを男のようだと言うにはあまりに麗しく、その美貌を女らしいと言うにはあまりに勇ましい。オリヴィア嬢は中性的であるからこそ、周囲を魅了するのだと。そんな唯一無二の華を手折る勇気が自分にはないのだと。

 そして彼女を姉のようにしたう私もまた、いっそ誰のものにならないで欲しいと祈る一人でしかないのだった。





 オリヴィア嬢──お姉様とのお茶会は、いつも決まってブレトン家のテラスだった。陽射し避けも兼ねて惜しみなくあしらわれたつた植物の下、メイド達も寄せ付けない二人だけのお喋り。父親同士の会合にかこつけて開催するこの幸せな場所を、私はこっそり“秘密の花園”と名付けていた。

 そんな花園で派手に紅茶を吹き出す音が響いたのは、蔦の緑がいっそう美しくなる暖かな季節のことだった。

 ハンカチ越しにしばらくむせたあと、慌てて私に向き直るお姉様。こんなお茶目な姿をきっと他の人達は知らないだろう。背中をさする行為にすら、触れることが許されているという優越感を覚えてしまうほどだ。

「う、けほっ、すまない……じゃなくて、結婚の申し出?! わたしの子兎ちゃんに、いやメイベルに?!」

「正確には婚約だけれど。当家には利のない内容だからと、もうお父様がお断りになっているわ」

「そうか、そうか……。ついにメイベルもそういう話がくるような歳になったということか……もう幼い子兎ちゃんなんて呼んではいけないなぁ」

 それは構わないのに、とクスクス笑う。本当に小さな頃から、私を可愛い可愛いと愛でてくれた彼女だけが口にする呼称。聴けなくなってはむしろ寂しいくらいだ。

 とはいえ、社交界デビューをした途端に縁談とは。相手の爵位によってはさっそくとつがされていたのかと思うと、ゾッとする。

「私、結婚なんてしたくないわ。男性を好きになったこともないし、こうしてお姉様とお茶をしている方がずっと楽しいもの」

「はは、わたしもメイベルと過ごすのが大好きだ。まあそちらのお父上は、君がわたしの影響を受けるんじゃないかと常にヒヤヒヤしているようだけれどね」

「お父様ったら……私が男装したって、お姉様のように綺麗にはなれないのに」

 メイベル、と。目を細めてお姉様が私を呼ぶ。吸い寄せられるようにエメラルドの瞳を見上げれば、高鳴る胸が痛いほどだった。飾り気のない、飾りなど必要としない美しい人。

「わたしには役割を持つ兄姉がたくさんいるし、見ての通り成人して何年経とうが声のかからないじゃじゃ馬だ。だけど可愛いメイベル。わたしの子兎ちゃん。一人娘である君は、いつか家のために婿をとらないといけない日が来るだろう」

「好きではないのに……?」

「そうだね、自由な恋愛は貴族わたし達にとっては贅沢なのかもしれないね。だから愛した人と結ばれるのでなく、結ばれた人を愛すんだ。きっと愛せる。こんなことを諭すのは気が引けるけれど、せめて君が結婚を不幸に感じないことを、祈るよ」

 鍛練たんれんによって硬くなった掌が私の頬を撫でる。あでやかな麗人、誰も手折る勇気を出せない一輪の華である貴女。声がかからないのではない、かけられないだけなのに。一人であることをなげきこそしていないが、私へ贈られた言葉はどこか、もの寂しげに聞こえた。

 ──まるで、自分にも遂げられない想いがあるかのように。

(誰が貴女の心を占めているの。誰を、見ているの)

 花園で秘密を分かち合う間は私だけの貴女であって欲しくて、つい気持ちがゆるんでしまう。本当の声が出てしまう。

「知らない方のもとへやられるくらいなら、いっそお姉様に嫁ぎたいわ。だってどんな男性よりも格好良くて素敵なんだもの」

「わたしに? っははは! ……いけない子だなぁメイベル。あんまり可愛いことを言うと、悪い姉は本気にしてしまうよ」

 嘘にも本当にも見える悪戯いたずらな微笑みは、小悪魔と呼ぶには清純で。けれど天使に例えるには蠱惑こわく的。ああ、どこまでも貴女はズルい女性ひとだ。

(どちらでもないなら、きっと。貴女は妖精)

 それは大人になれば取り上げられてしまう、童話の中の住人。可憐で、意地悪で、あやしく心を絡めとる。そうやって軽やかな羽音で私の胸を乱すくせに、自分という存在から巣立たせるようなことを平気で言ってみせるのだ。

 砂糖菓子のように甘くて脆い、恋にも似たこの気持ちを知りもしないで。貴女は今日もその鱗粉りんぷんで私を夢中にさせてしまう。

「好きよ。オリヴィアお姉様」

「知ってるよ。可愛いメイベル」

 ああ。私だけに向けられるその愛しげな表情を、少しでも長く見つめていられるのなら。野を駆ける子兎のごとく純粋で在り続けたい。無垢な少女のまま時を止めてしまいたいと。私は願わずにいられなかった。

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花園に咲く妖精は、兎に愛を囁く 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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