「愛妻家」という言葉の違和感
加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】
文明的ヒトという変な生き物
──愛妻家。
結婚から年月を経てもなお妻を愛しに愛している男性、という意味であろうが……
ん?
何か奇妙な気がする。
大前提として、「愛妻家」という言葉のレッテルに敢えて拘るとすれば、その奇妙さを、次のように説明できるはず。
子煩悩みたく「妻煩悩」だとか、親バカみたく「妻バカ(暴言でなく)」的な露骨に「妻L♡VE」的なニュアンスを醸し出すワードなら理解しやすいが、わざわざ「愛妻家」という、「そんな当たり前のこと表すのにわざわざ三文字も使うなや」的な表現を敢えてしているのにも、違和感をおぼえる。
もちろんそれは、私の個人的感覚に過ぎない可能性が大いにあるので、一応「愛妻家」という言葉の存在意義、そんな言葉ができた経緯を推し測ってみようとは思う。
まず、めっちゃ夫L♡VE的妻を表す「愛夫家」に相当する言葉は、私の知る限りでは……
思いつかない。
(何かそれっぽいものがあれば、ぜひ教えてください)
「愛◯家」の◯の部分に、「妻」は入って「夫」は入らない、のであれば、おそらく「言葉ができた当時はお見合い結婚で〜」だとか、「あの頃は政略結婚的なのばっかりだったから〜」だとか、男女互いに愛よりも慣習や世間体や打算をモチベに結婚するのがフツーの時代だったから、などとするだけでは、この奇妙さを説明するには不十分だろう。
やはり、夫だけを「愛◯家」で表現するのには、何か理由がありそうである。
そもそも、「愛妻家」という言葉はあるのに「愛夫家」は一般的には使われていなさそう、というのは、なんだか、夫が妻を愛してる感を出す方が、妻が夫を愛してる感を出すよりも、もてはやされているような感じがして、フェアでない。なんだか、劇場版ジャイ◯ンええ奴化現象っぽさもあるような気がする。
もっと言い換えれば、こうだ。
「愛」という素晴らしきものに関して、男女間で、単位あたりの愛の価値に差がある、すなわち一票の格差的現象が起きてしまっている、のである。
ということは、やはりアレが原因だろう。
──家父長制。
それは、誤解を恐れずに言えば、男性側に支配権が偏っている状態。
これを軸に考えるならば……
家父長制が、あろうことか「愛」についても適用された結果、ちょっと夫が妻L♡VEなら「愛妻家」と称賛される一方で、「妻は夫を当たり前のように愛しているものなんだからわざわざ、愛夫家、なんて肩書は与えてやらないぞ?」といわんばかりに、格差が起こっている、という説。
そもそも「愛夫家」という言葉がないことを、格差、とまで表現するのが、果たして正しいのかどうか定かではないが……
とにかく、「愛妻家」という言葉には、男性側の優位性、のようなものが、チラチラ見え隠れするような気がしてならない。
ちなみに話は逸れるが、ついでに家父長制について個人的な見解を示すとすれば……
それがもっとマイルドな状態で運用される、すなわち「どっちが偉いだとか優劣ではなく、揺るぎない生物学的性差に基づいた適材適所的社会構造」の側面を指すのであれば、必ずしも間違った制度ではない、と考える。
わざわざ家父「長」制、などと称するのは、やはりけしからんことだろう。
話が少々飛躍することになるが……
本質を見極めずになんでも平等を叫ぶのも、二者のうち一方を極端に優遇しもう一方は虐げるのも、賢明な判断ではないように思われる。
社会の在り方は、その良し悪しはともかく、絶えず変化する。
となると、「愛妻家」という言葉は、家父長制というものを辞書というある種の歴史的書物に記録するような装置として機能している、と捉えてよいのかもしれない。
「愛妻家」という言葉の違和感 加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】 @sousakukagakura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます