ソーラーねえちゃん

Norrköping

ソーラーねえちゃん

「なあ、ヨッタも行くだろ?」


 セエケンの目。その共犯関係を企てて、あわよくば罪悪感を割り勘にしたいという期待に満ちた目にはさすがにドン引きせざるを得ない。放課後の教室を蝕む寒気と相俟って、それはぼくの背中に悪寒を走らせた。

 ヨッタとはぼくのあだ名で。その名で呼ぶニンゲンはセエケンの他にオゴゴとシロバイの2人だけであり、つまりいま現在ここに集まっているメンツだけだった。


「うーん、あんまり興味ないんだけどね」


 ぼくの応えに、3人は一斉にブーブーと悪態をつく。この根性なし、裏切りチキン、インキンタムシのベッチョコ野郎。遠慮なしの暴言はぼくらの仲が深いことの証明だろう。なにせぼくらは幼稚園からの腐れ縁、地元じゃ恥知らずのチームなのだ。そりゃあたまに拗れもするけれど、だいたいはどちらからともなく歩みよってのハンドシェイク、最後は笑ってバイバイして、翌日にはネットで拾ったチョメ画像を交換するのだから結束は固いに決まっている。


「ノリわりいなあ、逆張りかよ」


 こう呆れたのはオゴゴ。あだ名の話題に戻すと「オゴゴ」の意味は漬物のことで、小学生時代、お弁当の主菜スペースに白菜の浅漬けを入れてきたことに由来する。


「興味がないとかいって、ヨッタが一番そういうの詳しいのに」


 こう説いたのがシロバイ。襟足を手ぐしする癖のある彼のその剛毛な後れ毛は、くるんと前側に向かってカールしている。それがおもしろいことに後方に反ったもみあげと繋がって髪全体がヘルメットに見えるのが特徴だった。


「だよなあ。こないだブックオフでチョメいラノベ万引きしたときの情熱、ありゃあウソじゃなかっただろ」


 セエケンがシロバイに乗っかってぼくを突っつく。「河本エクスカリバー」というウソのようなホントの本名にはびっくりだけれど、奇抜な名前ほど人間性は大胆じゃない。しかし、やはりというかなんというか、チョメいこととなると目の色かわってしまうのが中学2年生へと変貌したぼくらの厄介なサガであり。本来であるなら万引きなんてそら恐ろしいことのできる度胸も悪意もないのだけれど、ことチョメが絡むとどうしようもなくなるのだ。まがりなりにもおざなりな青春を送れているぼくらのもっぱらの関心事は、一般的思春期男子の例に漏れずそこんとこにあって、此度の会合もそれにならった遊びだった。

 ただ、今回だけはちょっとワケがちがう。


「でもさ、そんな意味不明な行動する女って、いる?」

「いやそれがマジでいるんだって。夜になるとベランダから外に向かって全裸でM字開脚してる女が! しかもゲキマブの女子コーセー!」


 異を唱えるぼくに対し、唾を飛ばしながら反論するオゴゴ。


「にいちゃんが友達と見たんだって! にいちゃんの友達の友達も一緒に見たっていうからマジそんな女いんだって!」

「ホントかなあ。無駄足になりそうな気がするけどなあ」


 テンション高く信憑性を促す彼はさておき。ぼくは夕暮れに染まる校舎の外に目をやりながら、ことの発端に思いを巡らせた。

 オゴゴ曰く、隣町に不思議な一軒家あり。住人は父親、母親、高校生の姉に、小学生の弟という模範的核家族構成で、これに関しては別段おかしな点はないのだけれど、親の教育方針というか育児方法というか、ひとり娘が小学生へ上がるときに風変わりな学校へ入学させたことで地域住民の知るひとぞ知る存在に相成ったという。それというのもその小学校、なんちゃらいう創設者の個人的教育思想に基づいて、そのへんの学校とは異なるカリキュラムで指導しており。自由と生きる感謝をモットーに独創的な気風を有しているのだった。

 まあつまり両親がなんだかんだ調子っぱずれな躾を施していて、家庭でも瞑想やら祈祷やらやっているようなそんな家なのだけれど、なかでもきわめて特殊というか奇妙というか、ある風習が今回の主題であり、ようするに件の〈女がベランダにて全裸でM字開脚している〉なのだ。

 なんでもその一家、風呂に入って身を清める前にそういったぶっ飛んだ行為を毎晩やっているのだという。理由はよくわからないし理解したくもないけれど、そうやって女の秘Yな部位を月のひかりに晒すことによって生命エネルギーを蓄える意味があるとかないとか。とにかく、そんな宗教めいた儀式が恒例なのだという。

 誰が呼んだか、


「名づけてソーラーねえちゃん」


 机に腰かけ、いまは亡きアホの坂田師匠みたいに足をパカパカやるオゴゴ。みんなは笑っているが、ぼくはあんまり愉快な気分には浸れなかった。だってだって、それって女の子を傷つけることになるじゃん?


「なんだよヨッタ、優等生ぶんなよ」


 セエケンが肩口を叩く。加減しているとはいえ、ふいうちの攻撃にぼくはちょっとイラッとした。まったく。こいつらチョメいこととなると性格が一変しやがる。


「わかったよ、つきあうよ。ただなにか問題が起こったらぼくは全力でおまえらのせいにするからな?」


 素直じゃねえなあ。セエケンの追撃を本気でかわし、チョメでしか到達できない振り切れたテンションでもって仲間たちとともに教室を出ていった。



 集合は一家の娘が風呂に入る時間。誰がいつ風呂に入るのか、時刻やその順番までも計ったように毎日おんなじなのだという情報を信じ、ターゲットの家の真ん前、河川敷にチャリで10分前集合を試みた。堪えきれない興奮がためかみんなチャリを全速力で走らせたと見え、熱気と汗の臭気にまみれている。ぼくらのほうがひとっ風呂浴びたい気分だ。


「で、女の入浴が夜8時きっかりなんだとよ」


 オゴゴが個性的な喜びの舞を披露する。汚れたスニーカーの鬱陶しい足さばきによって土がこすられ、ザザザッと煙を巻き上げる。河川敷の土手は意味不明なほどベージュ色の雑草が生い茂って、身を潜めるにはちょうどいい。

 川からの冷たい風を背中に感じつつ、件の家へ視認を定めて腹這いになった。


「あと2分で8時だぜ」


 セエケンがスマホをチラ見する。誰かの息を飲む音がする。この2分、人生で一番長い2分だろう。じれったさと膨らんだ期待とで爆発しそうだった。いつもおちゃらけているオゴゴまでもが声をころし、前方のベランダへ全集中している。

 その隣、シロバイがおもむろにChampionのバッグからなにかを取りだし、モゾモゾやっていた。ぼくはいったん意識をベランダからシロバイの手元へ向けた。彼は右手にそれを持ち、左手でズボンのベルトをカチャカチャとやりだしたではないか。

 トイレットペーパーの芯!

 それをゆるめたベルトの隙間から股間部分へ押し込んでいる。

 おまえ、いくらなんでもここでそれは……。

 他の2人は気がつかない。チョメへのあくなきLibidoを極限まで高めたことで、ある種の〈ゾーン〉に入っているのだろう。

 ぼくはこの、眉唾なウワサの立つソーラーねえちゃんと、隣陣取る友人お構いなしに欲望ぶちまけようとするシロバイとが織りなす異常な気配のとりあわせに気圧されて、目が醒めてしまった。

なので、ただなんとなく、なんの葛藤も抵抗もなく自然と思い浮かんだ言葉が口をついて出てしまった。


「なあ、思ったんだけどさあ、ソーラーねえちゃんってのはヘンじゃない?」


 ぼくの発した音声に現実を喚起され、3人が一斉にぼくをガン見した。


「だって、ソーラーってのは太陽光のことだろう? 夜なんだからムーナーじゃないかな?」


 川沿いの湿った空気が瞬時に乾いたのがわかった。人生でもっとも長い2分の辿り着こうかという間際にぼくの戯れ言を披露されたのだから、チョメに果敢な中学生男子のブーイングたるや、すさまじいのものがあった。


「なんだよ急に。いまはそんなの関係ねえだろう?」

「ムーナーってヨッタおまえ、そんな言葉きいたことねえよ」

「いやムーナーって言葉はあるし、ある意味では正解だろうけど、いや正解かどうかはわかんないけど、いま話すことじゃないだろ」


 口々に浴びせられる言葉がなくとも、ぼくは自分自身に辟易する。自分でもなぜそんな話を振ったのか、疑問に思うくらいだ。


「おい、そうこうしてるうちに8時だぞ! ねえちゃんはどうした?」


 セエケンが大仰に振りかぶってベランダを指差す。その先、大きな掃き出し窓は煌々としたLEDの白色を放出するのみで、いまだお目当ての状況とはなっておらず。

 なんだよ……。誰ともなくつぶやいた失望のつぶやきがだだっ広い河川敷にこだまする。


「やっぱりな、ただのウワサだったか」


 セエケンのため息まじりの口調で漏れ出た言葉にオゴゴ、


「いや、まだだ! まだアディショナルタイムがある!」


 学校では見せることのない不屈の絶叫で返す。

 それが功を奏したのか、いや絶対に違うだろうけれど、奇跡。まさに奇跡が起きた。オゴゴの気高いチョメへの精神が、神のココロを突き動かしたのだ。

 そのとき、ぼくらが見つめる目の前で、掃き出し窓が歓喜の歌とともにガラガラと開かれたのだ。

 キターーーーーッ!

 固唾を飲んで見守っていると、いままさに、洗濯かごを持った中年の女性が!


「なんだよ、かあちゃんじゃねえか。なんもきてねえじゃんよ!」

「オゴゴの云うことはやっぱアテになんねえな!」


 阿鼻叫喚。まさに艱難辛苦の阿鼻叫喚である。失意のどん底でチョメを叫ぶうら若き中学生の、煩悶とした感情の〈不発〉がどうしようもなく大きなうねりとなって押し寄せる押し寄せる。

 と。あまりに大はしゃぎしていたもんだから、巡回中か近所からの通報か、制服姿のおまわりさん、手に持ったライトでぼくらを照らしながら接近。遭遇。


「君ら学生か? そんなところでなにをしているんだ」


 律儀にそれ以上云いようのない台詞を吐かれ、人生初の職質をかまされる。

 ぼくら4人は横にならんで直立不動で相対した。


「ははあ、君らもしかして、向かいの家のウワサを聞いて覗きにきたんだなあ?」


 事情を察したおまわりさん、ニヤリと意味深な笑みでもってぼくらの顔を順番に眺めまわした。どうやらこのウワサ、警察権力にまで轟いているらしい。


「いるんだよ。そんな突拍子もないウワサを鵜呑みにして、こうやって覗きにくるやつが」

「ってことは、ソーラーねえちゃんってウソなんですか?」


 なかなか勇気のいるオゴゴの質問におまわりさん、怪訝な顔でもしっかり応えてくれた。


「当たり前だ。そんな秘Yな話があってたまるかバカちんが!」


 ライトを頭へ振り下ろすジェスチャー、おまわりさんはちょっとお怒りになる。

 まあ、そうだよね。この世にそんな女がいてたまるかってんだ。それが本当だったらイマドキ、スマホのカメラで撮られるわSNSで拡散されるわ、ソースがあるに決まってる。

 おまわりさんに叱られたのもあって、ぼくらはより一層しょんぼりムードで佇んで、迫り上がってきた羞恥心に四苦八苦した。

 すると。

 萎えた気持ちのせいか、シロバイのトイレットペーパーの芯が装着していた股間からスポンとはずれたのだ。それはカランとむなしい音を立てて、風に乗ってだだっ広い河川敷をカラコロカラコロ、どこまでも流されていった。

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ソーラーねえちゃん Norrköping @rokaisogai

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