3.11を経験して
をりあゆうすけ
『3.11を経験して』
先ず始めに、東日本大震災で犠牲となられた皆様に謹んで哀悼の意を表します。また、ご遺族の皆様、心よりお悔やみ申し上げます。
その日、私は宮城県で被災しました。平日だった事もあり、仕事をしている時でした。社用車で海沿いの仕事を終えて市街地へ戻り、信号待ちをしている時でした。
始めに、まるで巨大な岩が割れたような、隕石が落ち地面が破壊されたような、そんなイメージの爆音が鳴りました。何の音だと考える間も無く地面が激しく動き出しました。
数多くの地震を経験してきましたが、それが地震だと気が付かない程『別物』でした。
突然ですが、皆さんは『ルパン三世』のアニメを観たことがありますか?ルパン一味が銭形警部に追われ、乗ってる車が激しく飛んだり跳ねたりします。決してふざけているワケでは無く、本当にそんな状態になりました。
私は無我夢中で両手両足を突っ張り棒のようにして車内を押さえました。そんな事で収まる訳も無いのですが、咄嗟に取った行動がソレでした。気持ちは冷静を保とうと外の様子を注視しました。激しい揺れで、停止している車がガタガタと動かされぶつかったり合ったり、民家のブロック塀は玩具のように簡単に崩れ、信号機は弓矢の様になっていました。
揺れてからどれくらい経ったかも分かりませんでしたが、収まった時には別世界に変わってました。
私の頭によぎったのは家族の事で、惨状を目の当たりにすると、恐ろしい想像しか出来ませんでした。
(後になって分かった事ですが、30分程前に居た海沿いの地域は津波にのまれたという衝撃的な事実で、私は恐ろしくて震え上がりました。被災した当時は、家族と自分の事しか考えられませんでした。気持ちが落ち着いて来た頃に、その地域で亡くなった方々の事を思うと何とも言えない気持ちになりました)
地震が収まり、家族に連絡を取ろうと携帯電話を発信しました。しかし、発信音すら鳴る事はありませんでした。兎に角、会社に戻り状況を確認しようとエンジンをかけた時、横断歩道で泣きじゃくる赤いランドセルを背負った小さな女の子と、その子を宥める女性が目に入りました。幸い二人とも怪我は無さそうでした。大丈夫だろう……私はそのままその場から去りました。何故、その時車から降りて声をかけてやれなかったのだろう?探しているであろう親御さんの元へ連れて行ってあげなかったのだろう?
この時に確信しました。ああ、私はこういう人間なんだと。この事は今でも悔いているし、今後忘れる事もありません。
会社へ戻ると思った通りの状態で、どこからどう手を付けていいのかも分からない。大きな余震も続いていた為、帰宅する事になりました。私は自転車で通勤していましたが、乗ることは出来ませんでした。地面の至る所がヒビ割れていて、自転車を引いて歩くしかなかったからです。その道中、晴れていた空が急激に形を変え、1分も経たぬ内にもの凄い吹雪になりました。本当に訳が分からなかったし、余りに急で激しい吹雪に私は初めて死を感じました。あ、これは無理だ……そう思った時、今度は急に吹雪が止みあっという間に晴れ間に戻りました。地震もそうですが、自然というのは人間の理解を超えた恐ろしい一面があると思い知らされました。
幸いと言っていいのか、私の家族や知人の安否は確認が取れました。ただ、その後も大きな余震は続き、ライフラインも無い。私達一家は、実家に集まり過ごす事にしました。いつ何があってもおかしくありませんでしたし、一緒に過ごす事で少しだけ安心出来たからです。この時は情報源がラジオしか無く、大きな津波があった事は全く知りませんでした。『○○浜で200人の遺体があがった』というニュースを聴いた時も、完全に誤報だと思いました。流石に2人か20人だろうと。きっとラジオ局も錯綜しているに違いないとしか思えませんでした。とある日、自家用車にワンセグチューナーテレビが付いていることを思い出し、ニュースを見ました。そこに映っていたのは、皆さんもニュースで見たであろう惨状でした。不謹慎かも知れませんが、まるでディザスター映画でも観ているかのようでした。しかし、それが自分の知っている場所や隣県だと認識した時、身も凍る思いでした。更に追い討ちをかけるように福島第一原発事故のニュース。嫌でも覚えるベクレルやシーベルトの単位、収まらない余震……これから私達はどうなるのか?その時は希望の光など無い、絶望しかありませんでした。
当時どんな毎日を過ごしていたか。
コンビニすら開いていない状況下で、動いている自動販売機には列が出来、直ぐに完売。いくつも自動販売機を探し歩きましたが、殆どが『売り切れ』の赤い表示だけ。普段売り切れているのを見た事が無い『おしるこ』さえありませんでした。ラジオで3月○日何時からどこどこのスーパーが開くという情報があれば、何十キロ離れていようが自転車や徒歩で向かう。その道中、見慣れた筈の光景は無く瓦礫の山ばかり。四階建てのビルが三階建てになっているのを見て怯え、早足で通り抜ける。海外のメディアもかなり目につき避けて通る。やっとの思いでスーパーに着くと何時間も並び、二人家族も四人家族も関係ない、決められた品目、決まった数量の食料を手に入れ家族で分け合い食べる。
今思い出しても恐ろしいし、忘れたくても忘れられない。色々なトラウマも生まれました(小さな事ですが、例えば海水浴に行けなくなったとかです)。
だったら、こうして皆さんに伝える事で少しでも届き、少しでも防災の参考になればと思い書いてみました。駄文ですが、何か感じ取って貰えたら幸いです。最後までお読み頂きありがとうございました。
をりあゆうすけ
3.11を経験して をりあゆうすけ @wollia
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
本は日本の重要文化財/をりあゆうすけ
★42 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます