妖精の要請

クライングフリーマン

妖精は御釜じゃない

 妖精は御釜じゃない


 高校2年生の時、文化祭の演し物として、「クリスマスキャロル」をやることになった。

 私の役は何故か「クリスマスフェアリー」。

 同級生で副部長だった谷は、何故か「中性」に拘った。

 早い話、御釜である。

 後年、演劇の道に進んだ私は、この時の私が正しくて彼が間違っていることを実感することになる。

「演出」は、単なる「思いつき」ではいけないのだ。

 そして、全ての責任を持つ立場。

 当家の向かいのおばさんにかつらと靴を借り、姉にスカートを借りた。

 先輩の女子部員がメイクをしてくれた。

 いざ本番。予想通りだった。

 私が登場した途端、ブーイングの嵐。

 練習期間の途中、先代の部長(3年生)に、改めて物語を確認した。

 私の役は、本来「おじいさん」の役。

 どこから「中性的」を思いついたのか?

 芝居は、三幕もので、長い。これも「短縮」すれば良かったのだ。

 生徒会執行部は、練習にも立ち会わず、台本も読まなかった。

 それで、二幕で「終った」と勘違いして、校内放送で「午前の部は終了しました」と放送してしまった。

 ただでさえ、観客が「引いて」途中退出しているのに、芝居は結末を迎えず終了した。

 後で思い返せば、演劇部が存在するのに、「素人」の部なのに、英語部が英語劇をどこからも(演劇部からも)指導を受けずにやっていたことが不思議だった。

「伝統」を守ることに夢中で「研究」なんかしていなかったのだ。

 この後、コーラス部での惨劇があるが、今は「妖精」について考えよう。

「妖精」は、西洋の映画などの影響でイメージが広まった。

 おばあさんの場合(シンデレラ姫や白雪姫では「魔法使い」)もあるが、総じて「女性」である。

「中性的」に拘るなら、今で言う「ジェンダー」の男性に演じさせればいいが、残念ながら、私は美少年では無かった。

 観客は正直である。「クソ演出」に背を向けるのは当然だ。

 先輩の指導も、「思いつき」だった。

「ワンダホー!!」何回言わせんねん!!

「黒歴史」の「一幕」である。

 ―完―




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