エピローグ いつかの未来にて
窓の外に広がる東京の街並みは、令和の時代からさらに時を経て、近未来の色を帯びていた。ドローンが空を行き交い、街の至るところにホログラム広告が溢れ、空気には洗練されたテクノロジーの気配が満ちている。地下鉄に代わってリニアモーターカーが主要交通のひとつになり、人々の移動はより速く、より静かになっていた。
かつて、ここでどんな物語があったのか。それを知る者はそう多くない。けれど、歴史という大きな流れの中で、確かに美しい記憶を刻んだ者たちがいる――。
――駿介と悠輝。
幾度となく死別を繰り返してきたふたりは、この近未来には姿を見せていない。誰も彼らを覚えてはいないのかもしれない。それでも、彼らが作り上げた“新たな時代”への礎は着実に受け継がれ、いまの社会がある。そう確信しているのが、この街に暮らす四人の男たちだ。
―――――
日差しの柔らかい午後、ガラス張りの高層ビルに併設されたカフェテラスで、篠崎 光希はスマートレンズ越しにニュースを流し見していた。普段はVR系のコンテンツ製作を手がけるプロデューサーとして多忙な毎日を送っているが、この時間だけは気ままな休息を許される。
「……例のプロジェクト、うまく進んでるか?」
声をかけてきたのは、白衣ではないがラボコート風の服を着た瀬川 圭。KIRISHIMA TECHのAI研究チームに所属する技術者で、篠崎とは以前から旧知の仲だ。彼もまた、休憩時間を使ってここに立ち寄っている。コーヒーの香りが漂う小さなテーブルを挟み、二人は顔を見合わせて笑う。
「ま、ぼちぼちだな。こっちはVRとAIを組み合わせた新しいエンタメ空間を作っててさ。おまえのところとは別部門だけど、連携する可能性もあるだろ?」
「うん。ウチは社内にもいろんなプロジェクトがあるし、まとめ役としては大変だよ。……最近、世界各国の投資家が興味持ってるから、英語や中国語の資料作成に追われてる」
瀬川がそう言って飲みかけのコーヒーを一口すする。近未来仕様のカフェとはいえ、やはりコーヒーの香りと味は昔と変わらない。むしろ高度な技術で焙煎や抽出が洗練され、雑味のない豊かな味わいになっていた。
篠崎は窓の外をちらりと見やる。そこには高架を走るリニアカーが見えるし、空には無数のドローンが飛んでいる。けれど、この街角の一角だけはどこか昔と同じような穏やかな空気が残っているように思えた。
「なあ、瀬川……おまえ、時々思い出さないか。高槻 駿介と霧島 悠輝のこと……」
瀬川は一瞬瞳を伏せ、「ああ、思い出すよ。あの二人に助けられたこともあったし、そもそも社長――前社長か――霧島がいたからKIRISHIMA TECHがここまで伸びたとも言えるしな」と懐かしそうに微笑んだ。
「もういないからな、あの二人。……どこ行ったんだろうね。最後に姿を消してから、何年経った?」
「さあな。十年以上になるか? それでも、なんとなく“幸せになった”って確信はあるんだ。俺たちの前から消えたってだけで、どこか別の場所で暮らしてるんじゃないかな……」
篠崎は微笑を浮かべる。ドラマチックな展開をくぐり抜けた二人だった。生死すら超えた絆で結ばれていると、篠崎も瀬川も理解している。もうここにはいないが、それでいいのだ、とも思っている。
「もしあの二人が今もここにいたら、どれだけこの社会を楽しんでいるかな……」
「確かにな。AIやVRが発展して、社会の制度も進んだ今なら、同性パートナーとして完全に結婚できるし、周囲の理解も得やすいだろう。もう昭和や平成じゃないからな」
二人はくすくすと笑い合い、コーヒーを飲み干す。駿介と悠輝のいない近未来でも、こうして彼らを思い出すたびに、温かい気持ちになれる。
―――――
同じ頃、高層ビル群の一角にある豪奢な役員室――“Ninomiya Innovations”のオフィスがあるフロア。床には絨毯が敷き詰められ、壁には先端的なアート作品が飾られている。応接スペースで姿勢よく座っているのは、二宮 翼。
「はあ……」
マホガニーのデスクに肘をついて、二宮は退屈そうに溜め息をつく。彼は元々、霧島 悠輝との競争によって燃え上がっていた男だ。戦国や大正、平成といった過去の時代でも、幾度となく駿介と悠輝に嫉妬や妨害を仕掛けてきた存在だった。しかし、当の霧島と駿介が今ここにはいない。
「……面白くないな」
二宮は低く呟く。ライバルが消えてから数年、会社は順調に成長し、世界規模で事業を展開している。まさに成功者の人生なのに、なぜか心が満たされない。
コンコン、とノックの音がして、すらりとした長身の男が入室してくる。早坂 怜だ。今や世界中のテック業界に投資する一大ファンドのCEOとして名を馳せているが、昔から彼は二宮と近しい距離感を保っていた。
「二宮さん、今度の案件ですけど、欧州の規制当局から追加書類を要求されています。どう対応します?」
早坂が事務的にそう言いながら、端末を二宮の前に差し出す。だが二宮は書類に目もくれず、窓の外を見て溜め息をつく。
「……退屈だな。勝つ相手がいないんじゃ、いくら利益を上げても張り合いがない」
「ふふ、ライバル不在がそんなに辛い? あなたは昔からそうだ。いつも誰かと競い合って燃えるタイプ」
早坂が静かに笑みを浮かべると、二宮は目を細めてチラリと見る。
「お前だってそうだろう? あの二人を観察するようにして楽しんでいたじゃないか」
「俺は投資家だからね。単純に面白いドラマを見るような気分だったよ。彼らがいつ死に別れ、いつ転生して、いつ再会するのか――まあ、結果的にはこの近未来の社会では見かけなくなったが」
二宮はフンと鼻を鳴らす。霧島 悠輝と高槻 駿介がパートナーシップを公表し、自由に愛し合える令和が築かれたあと、どこかのタイミングで姿を消した。噂によれば静かな土地へ移住したとも、海外へ渡ったともいわれるが、定かではない。確かなのは、この巨大ビジネスシーンに彼らがいないという事実だ。
「あいつら、今ごろどうしてるかな」
「さあ。……ただ、あの二人はどの時代でも最終的に結ばれてきた。なら今はもう、死別の呪いなんて乗り越えて、どこかで穏やかに暮らしているんじゃないか?」
早坂がそう言うと、二宮の唇にうっすら笑みが浮かんだ。
「ちぇっ……退屈だが、まあそれでいいのかもな。いつかまた勝負ができると面白いんだが……」
書類を覗き込みながら、二宮は「仕方ない」と言わんばかりの笑顔を浮かべる。こうしてライバルのいないビジネスで成功を収めても、彼の胸にはぽっかりと穴が開いているようだ。だが同時に、その穴はどこか優しい余白でもあった。あの二人を憎んでいただけではない――むしろ敬意と羨望の入り混じった感情を抱いていたのだ。
―――――
夕方、瀬川と篠崎は仕事を終えて再び落ち合い、いつものように軽く食事をするためにハイテクなフードコートへ向かう。サイバーパンクじみたネオンが輝く街中を歩きながら、二人は自然と“あの二人”の話をする。
「俺たち、本当にあの二人がいなくなってから随分経つよな。最初は霧島さんが病気になったとか、二人揃って海外移住したとか、いろんな噂があったけど……実際のところどうなんだろう」
「さあね。でも、あの二人は死別の運命を断ち切ったんだろ? 昔、散々苦しんでいたようだから、きっと今はどこかで静かに暮らしてるんじゃないかな。会社を誰かに譲って、自分たちだけの世界を見つけたのかもしれない」
瀬川がそう言うと、篠崎は少し寂しげに目を伏せる。「会いたい気もするけど、まあ、平穏に暮らしてるなら邪魔するのも悪いよな」と苦笑した。
二人はフードコートのテーブルにつき、手頃な食事をオーダーする。お互いの近況や業務の話をしながら、どうしても話題が過去に遡るときはいつも“高槻 駿介と霧島 悠輝”の名前が出てくる。何度も死別を繰り返してきたと聞かされても信じがたい物語だが、不思議と二人の存在を否定する気になれない。
「俺たちがAIやVRを開発して、令和を超えたこの近未来でも多様性を認める世界を作ったのって、あの二人のおかげかもな」
「だろうな。霧島さんが築いた企業文化の土台もあるし、駿介がSNSでクリエイターとして道を切り開いた功績も大きい。俺らはその延長線で自由に働いてるんだもん」
篠崎と瀬川は顔を見合わせて笑い合う。あの二人がいまも同じ時代に生きていれば、自分たちと一緒に新たなプロジェクトを立ち上げ、大騒ぎしながら社会を変えていったかもしれない。そんな想像が彼らの胸をあたためていた。
―――――
一方、二宮と早坂は別の場所でディナーを取っていた。超高層ビルの展望レストラン。窓ガラス越しに広がる東京の夜景は、ホログラム広告が幾重にも重なり合い、視覚的な美しさで満ちている。二宮はワイングラスを揺らし、そこに揺れる深い色をぼんやり見つめている。
「やっぱり、あいつらがいないと退屈だな……」
「何度同じことを言うんだ。君こそ、ずっとあの二人のことを考えてるのか?」
「……別に」
早坂はクスリと笑ってグラスを置く。
「俺は君の単純明快さが嫌いじゃないよ。ライバルがいてこそ燃える。それだけだろう?」
「まあな。俺がここまで会社を大きくしたのも、あいつらを追い越すためだったのに……いつの間にかいなくなるんだから、拍子抜けだ」
二宮はやや拗ねたような表情で呟き、早坂は微妙なニュアンスの微笑を浮かべる。
「とはいえ、もしまたあの二人が別の時代か場所で転生して、俺たちの前に姿を現したら? 君はどうする?」
「決まってるだろ。全力で勝負してやる。……まあ、死別はもう御免かもしれないけどな。あんなに辛そうな顔を見るのは、見てて嫌だったし」
“辛そうな顔”と言ったとき、二宮はほんの少し目を伏せる。あの激しい恋を貫こうとして死に行く姿を、何度も見てきた。自分は邪魔をする立場だったり傍観する立場だったりしたが、それでも最後の瞬間にはどこか痛みを感じていたのだ。
早坂は静かに頷くと、夜景へ視線を移した。
「きっとあの二人は大丈夫だよ。数々のループを経て、ようやく死別を回避できたんだから。もう俺たちが首を突っ込む余地すらない場所で、平和に暮らしてるんじゃないか。……それでいいさ」
二宮は返事をせず、グラスをあおる。甘酸っぱい香りとともにワインの液体が喉を流れ落ちる。心のどこかに、ほんの少しの寂しさと、ほんの少しの祝福が混じり合う。あの二人がやっと巡り会い、死別の運命を断ち切ったのなら、もうそれでいいのだろう。
―――――
同じ夜、瀬川と篠崎はそれぞれの家へ帰ろうと、繁華街の雑踏を歩いていた。ネオンに代わってホログラムが街路を彩り、空中には広告ドローンが飛び交っている。ほどよく賑わう通りを進みながら、ふと篠崎が頭上を仰いだ。
「この先、どんな未来が来るんだろうな。もっとAIが進化して、宇宙に飛び出すことだってあるかもしれない」
「そうかもな。……そのとき、俺たちはどうしてるのかな。駿介や霧島さん、どこか宇宙でも暮らしてるのかもしれんぞ」
瀬川が冗談めかして言うと、篠崎はクスリと笑う。「もしそうなら面白いな。宇宙コロニーで生活してるかもしれん」
辺りの人々が歩き去り、二人だけが笑い合う時間がしばし続く。夜空にはもう星が見えにくいが、そのかわりに無数の都市光が星のように瞬いていた。二人はしみじみと感じるのだ。あの駿介と悠輝が結ばれた結果、この世界は少しだけ優しくなったのではないかと。
同じ夜景を別の場所から見下ろしているのが、二宮 翼と早坂 怜。タワービルの展望フロアから、眼下に広がる無数の光を眺めている。二宮は腕を組み、早坂はワイングラスを持って足元を見下ろしながら笑う。
「結局、あの二人を探しても無駄ってことか。もうこの世界にはいないのかもしれない。そう考えると、少しだけ残念だよ。どう思う?」
「まあ、こうして退屈が続くのは悪くない。俺たちは俺たちで新しい勝負を見つけるまで。君が飽きてしまわないように、もっと面白い事業でも提案してあげるよ」
「ふん……頼むぜ。霧島や高槻がいないからって俺は止まらないぞ」
二人は視線を交わし、わずかな火花を散らすように笑み合う。ライバルであり、同盟者であり、宿命の傍観者でもある――そんな関係を続けているのが、二宮と早坂の奇妙な絆なのだ。
―――――
こうして、瀬川 圭、篠崎 光希、二宮 翼、早坂 怜の四人は、それぞれの近未来を生きている。駿介と悠輝の姿はもうどこにもない。それでも、彼ら四人はときどき思い出してはこう感じるのだ。――「あの二人は、きっと今ごろ、安らかな幸福を享受しているんだろう」と。
幾度となく巡り合い、死に別れ、令和の時代でようやく安住の地を見出した二人。その後、いつしかこの近未来の社会から姿を消してしまった。だが、その足跡は確かに人々の暮らしに残っている。
KIRISHIMA TECHが生んだ技術や、駿介が描いた世界観は、多くのクリエイターやエンジニアに刺激を与え、新しいブームをもたらした。社会はさらに多様性を受け入れ、同性婚どころか複数パートナー制度なども議論されるほど前進を遂げている。
ある日の昼下がり、篠崎と瀬川が路地裏の一角を歩いていたとき、ふと古い壁の一部に描かれた落書きに目を留める。そこには「駿介」とサインらしきものと、小さなハートマークが付されている。いつ描かれたか不明な落書きだが、どこか懐かしいタッチ。
「おい、これ……もしかして本物の……?」
「さあね。けど、うん、あの二人が通った痕跡かもしれない」
二人は微笑み、何も言わず写真を撮る。そしてその壁の落書きは近未来の街中でひっそり息づき、あの二人の存在を示唆する象徴のように残される。
世界は進み、時間は流れる。愛する者同士が別れの呪縛を解き放ち、“結ばれたまま”で生きていける時代。そこで駿介と悠輝はきっと笑い合い、どこか人里離れた場所か、あるいは見知らぬ国か、もっと先の時代へ旅立っているのかもしれない。
瀬川 圭、篠崎 光希、二宮 翼、早坂 怜の四人は、そんな二人をもう探しはしない。今の自分たちに与えられた日々を大切にしながら、遠くから祝福している。あの果てしない愛が、ようやく輪廻を超えて永遠の安息を手に入れたのだから――。
近未来の東京の空は、高度なテクノロジーの光で満たされている。だが、それは決して冷たいものではなく、多くの人々の温もりと希望が混ざり合った新しい世界の輝きだ。そして、その世界のどこかに、駿介と悠輝が残した奇跡のような物語が静かに生き続けているのだ。
もう何も恐れることはない。死別は起こらず、苦しみも繰り返されない。あの二人は確かに結ばれた。それを感じ取るだけで、四人の男たちは今を生きる意欲を燃やすのだ。
いつかまた別の時代に、あるいは別の星に巡り合っても、あの二人はきっと変わらないだろう。そこでも永遠の愛を誓い合い、新しい未来を切り開いていく。だが、それはもう四人が見守るべきドラマではない。四人もそれぞれの人生を歩み、過去を懐かしむことはあっても、立ち止まるつもりはない。
こうして、近未来の日本で――
瀬川 圭はAIラボを指揮しながら、さまざまな社会課題に取り組む。
篠崎 光希は動画配信とVRエンタメの世界を自由に飛び回っている。
二宮 翼は大企業の頂点に君臨し、飽くなき競争を求めて新市場へ挑む。
早坂 怜は投資家として常に新たな面白さを探り、静かに勝負を見守る。
そこに、駿介と悠輝の姿はない。だが、彼らがいなくなった空白が、かえってこの四人の心を柔らかくつなぎ留める。かつて目撃した愛の強さを、もう忘れはしないから。
君と巡る時代 とら @toranovel
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