妖精達の茶会

七四六明

妖精達の茶会

 一歩踏み出す度、草花が生える。

 煙管を吸う口の端から、虹色の煙が吐き出される。

 陽光を受けると虹色に変色する髪の毛を揺らしながら、男は最初に到着した。


 夢幻の魔術師、マーリン。


「やぁ、火精霊サラマンダー。とても甘い香りがするけれど、それは君が淹れてくれたのかい? うん? あぁ、水精霊ウンディーネと一緒に淹れたのか。いいね、実にいい。今日は久方振りに君のお茶が飲めると聞いて、楽しみにしていたんだ。だが、まだ暫くお預けの様だね。他の皆は、まだなのかい?」


 後れて、彼女が馬水精ケルピーに乗ってやって来る。

 杖の先端を光らせて、自ら発生させる霧の中を照らしながら現れるのは、美しい女性。

 今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気を纏った彼女は、此の世の全てが退屈だと言わんばかりに、虚ろな眼差しを鈍く光らせていた。


 湖の乙女、モルガン・ル・フェ。


 彼女の両脇には、彼女には劣るともされど美しい乙女が付いていた。


「やぁ、モルガン。今日も君は美しい」

「マーリン……そう、言った……軟派じみ、た軽口、は、あなたの、悪癖です、よ」

「そんな事は無いさ。君は美しいよ、モルガン。アーサーがまともに相手しなかったのが、不思議なくらいさ。お似合いだと思っていたんだけどねぇ」

「マーリン……」

「おっと。その事は禁句だったね。まぁとりあえず、こちらに腰かけ給え。それとも、手伝おうか?」

「……結構、です」


 乙女の手を借りて馬から降りたモルガンは、マーリンの前を素通りして丸テーブルの前に座り、全員が揃うより前に火精霊サラマンダー水精霊ウンディーネの淹れてくれたお茶に手を出した。


「し、て……呼び出した当人らが、最後に来る……と、言うのも、如何なもの、か」

「そう意地悪を言うものじゃないよ、モルガン。遥か昔に役目を終えた僕らと違って、彼らは妖精達の父と母。御多忙を極める。が、約束を反故にする人達ではない。そら、来たみたいだ」


 鈴の音が聞こえる。

 闊歩するのは、大角の牡鹿。

 牡鹿を引いて歩くのは、星が如き美しさを宿した双眸を持つ美青年。

 牡鹿に乗るのは、豊満な胸を揺らす妖美な黒髪の美女。


 男の名は、妖精王オベロン。

 女の名は、妖精女王ティターニア。


 彼らを警護をすべく、巨大な岩の妖精スプリガンが槍を持って囲んでいた。


「来ていたか。魔法使い。湖の乙女」

「来ていたか、ではありません。遅れてごめんなさい、御二方。この妖精ひとったら『雨が降っているから今日は止めないか』などと言い出すから」

「雨如きが、我が王妃のよるを濡らすなど、我が許さんと言っただけだ。そこに何の不満がある、我が王妃」

「相変わらずのおしどり夫婦だね。でも知ってるかい? おしどりという生き物は、毎年つがいを変える生き物なんだってさ」

「マーリン……その知識は、今、要りません。というか、一切不要、です」

「湖の乙女の言う通りだ、魔法使い。たかが鳥の番と、我々の仲を同じにするな。不敬なるぞ」

「オベロン。我々が御二人を招き、待たせたのです。まずはその謝罪をすべきでしょうに」

「まぁまぁ、ともかく座ろうじゃないか。話はそれからでいいだろう」


 妖精王と妖精女王の椅子は、土妖精ノームが作った特注の王座。

 深く腰を下ろした二人へと風妖精シルフが飛び、花の香りを漂わせた。

 他の三人が座ったのを見て、マーリンもようやく腰を据えた。


「さて、今回のお題は何だい? 呼び出したのはオベロン? それとも、ティターニア?」

「魔法使い。我が王妃の名を軽々と口にするとは何事か。気でも狂ったか」

「オベロン」


 ティターニアに睨まれて、オベロンは不満そうに黙る。


「ごめんなさいね、マーリン。今回御二方を呼んだのは私です。御二人に一つ、提案があって参りました――御二人とも、異世界転生という概念は御存知?」


 火、水、土、風の妖精達は何の話だと首を傾げる。

 紅茶を一口含むモルガンと、爆笑を堪えんとしているマーリンは、周囲の妖精からの注目を浴びていた。


「知っていますが、それが、何か?」

「僕も知っているよ。あぁ、知っているとも! でも、妖精女王たる君が、そんな事に興味を持つとは、一体どんな心境の変化だい?」

「魔法使い、貴様、我が王妃を嗤うか」

「良いのです、オベロン。此の世全てを見続ける魔法使いからしてみれば、森に引き籠っている私達が、人間の俗世に興味を持つ事が意外に感じるのは、仕方のない事です」

「あぁ、僕も笑うつもりはなかった。その点についてはすまなかったね、オベロン。ティターニア。しかし本当に、どういった風の吹き回しだい? 見な、風妖精シルフも驚いている」

「そうですね……あれは、一ヶ月も前の事です。夜の森で、散歩をしていた時の事でした」


 当時の事を思い出す。


 長き冬が終わる始まりの頃。森の所々に現れる、新たな命の芽。

 夜は眠る動物達。逆に、夜だからこそ動く動物達。彼らの営みを見ていた彼女は、一人、森の中に立ち尽くす人間を見つけた。


 森の中の比較的年齢の高い木の枝に縄を括り付け、輪っかに首を掛けんとしている人間に、ティターニアは自らも人間であると装って近付き、話を聞いてみた。


 自らの人生に絶望し、命を絶とうとしていた事。

 大好きな小説の中に、死者が異世界へと転生し、新たな人生を謳歌する物語があった事。

 だから自分はここで死んで、次の人生に賭けようと思っていた事など。


 結局、人間は最後人生を諦める事を止めて帰ってくれたけれど、ティターニアはそこで知った異世界の存在と言うのに興味を持ち、人間の街に出て色々と調べてみたそうだ。

 そうしたら――


「異世界転生って、面白いって思わない?!」

「なるほど。そういう経緯か」

「仮にも、妖精の庇護下にある土地で、自害など……命知らずの人間、は、いつの時代も、恐ろしい。そして、相変わらず、好奇心旺盛ですね、王妃」

「マーリン。モルガン。あなた達も、騎士王国時代のブリテンが廃れて数百年。マーリンはともかくとして、モルガン。あなたは退屈を持て余していたのではなくて?」


 否定はしない。されど、肯定もしない。

 ティターニアに悪気は無かろうが、彼女は軽くもモルガンの逆鱗に触れたからだ。

 国が廃れて数百年。いつまでも気にして滅入っていると言われている様で、気分は良くなかった。


 そんな彼女の溜飲を下げんと、マーリンは一凛の花を彼女のティーカップに手向けた。

 紅茶の上で泳ぐ一凛の花弁から香る甘い匂いが、モルガンの心をわずかな安らぎを与えてくれる。


「退屈を、持て余して、いたのは、……否定は、しません。ですが、それと、その異世界転生と、やら、と、何の関係があるのです」

「曰く――物語の登場人物は予期せぬ死を強いられた宿命を嘆かれた神の慈悲によって、この星ならざる世界へ転生を果たすそうです。その際に、神は加護やギフトを設け、第二の生の糧とさせるそうですが……さすがに、我々にそのような力はありません。ですが、。それくらいは、私達にも出来ると思うの」

「珍しい事を、考えるのですね、王妃。森を伐採し、湖を枯らし、土地を飢えさせる。自然と共に在る、妖精われわれの天敵とも言える人間、に、慈悲などと」

「あなたも知っているでしょう、モルガン。全ての人間が、我々と敵対している訳ではありません。寧ろ今の自分の在り方に悩み、嘆き、最期を我々と同じ場所で過ごしたい。そんな人間もいるくらいなのですから」

「まぁ、そうだね。森で首を吊る。海、川に身を投げる。自らの身を焼く。他者から与えられる死を除いて、自ら招き入れる死と、我々の守って来た自然ものは何かと縁深い。しかしだからと言って、転生なんて死ぬまで在るかどうかもわからない物に縋る者達に、そんな慈愛を施すほど、彼らが愛おしいのかい?」

「少なくとも、あの時出会った人間を、私は救いたいと思いました。そして、あの人間と同じような事を考えている人間もいると言う事は、考えるまでもない事実。ならば、救いたいと思うのは自然でしょう?」

「オベロンも同意見、と言う事でよろしいのかな」


 そんな訳があるか。

 我はティターニアの願いだから聞き入れているだけだ。

 他の有象無象が言い出そうものなら、永遠に森を彷徨わせているところだわ。


 と、物騒な視線が威圧する。


 腕を組む彼の腕が自らの腕を握り潰し、破壊しそうな勢いだった。


「なるほど? 確かに近代の人間の夢には、他の世界で生きたいという願望が強い事は感じ取っていたよ。過去の者達が紡いでいった現代は、どうにも今の者達には生きにくいらしい。だけど夢魔から生まれた僕が言うのもなんだけど、夢とは自分勝手な物だ。自分の都合の良いように回っているものだ。例え僕らが転生の神に進言したとしても、その人間全てが第二の人生を謳歌出来るとは限らない。だってその世界では、


 かつて一人の男に選定の剣へ挑ませ、抜いた彼に戦いを教え、人を統べる力を身に着けさせた、いわば物語の主人公を作り上げた妖精が語る。

 彼は直接言葉にこそしなかったが、その目はハッキリ言っていた。


 ティターニア。君がしようとしている事は残酷だよ、と。


「これ、ばかりは、私もマーリンに、同感、です。王妃。全ての人間に、都合のいい世界など無い。人の紡ぐ物語、は、所詮、物語。空想の、産物に、過ぎません。物事が全て上手く行く、世界、など、あった、なら、神も苦労はしない。それに……と、言う事、は、あなたもよく知っているはずではありませんか。王妃」


 マーリンが選んだ男を信じ、男と、彼を慕う騎士達に湖の乙女達から聖剣を与えさせ、世界を託した湖の乙女、その頂点が告げる。


 ティターニア。まさか誰もが自らの人生の上では、その人こそが主人公だ、などという誰が言い始めたかわからない慰めを、真に受けての発言ではないでしょうね、と。


 そんな二人の視線を受けたティターニアの代わりに、オベロンがテーブルを叩き、吠えた。


「我が王妃の提案は愚考と申すか! 己が身がどれだけ恵まれた場所にいるかも知らず、勝手に絶望して勝手に死に絶える雑草が如き人間にまで慈悲を与えようとする、我が王妃の心を理解しないと言うのか!」

「言いたい事はわかるけれどね、オベロン。そんな事を言ったら、もっと救うべき命がたくさんあるだろうという話だ」

「貧困に、喘ぐ民。戦いに、巻き込まれる、民。土地に、恵まれぬ民。飢餓に、喘ぐ民。そう言った、苦しくも、生きる道を選び続けている、者達に、こそ、救済を与えるべきだ、と、いう事です」

「それは今を生きる人間共の役割だ! 奴らが妖精われわれの手を自ら手放した以上、現実に生きる彼らには介入しない! だが、死に逝く魂になら介入の余地もある! 転生と言う形で、次の生を救おうという慈悲が何故わからぬ?!」

「止めなさい、オベロン。御二方の意見も、御尤もです」


 数秒の沈黙。

 だが、ティターニアには止まる事なく、ですが――と続けた。


「鋼鉄の森に囲まれた者達が、恵まれた環境にいるとは限りません。モルガンの言う人達も、確かに貧苦に喘いでいます。ですが私が出会ったような人間達もまた、体ではなく、心に傷を負っているのです。剣と神秘がまだあった時代、人は殺し合う事こそあれど、自らを殺す事は少なかったかと思います。しかし今の時代、他人を軽率に傷付けてはいけないからこそ、自分自身を傷付ける人間ばかりなのです。そんな彼らに、私達が出来る事は……死後、導くだけ。そんな些細な事も、許されませんか?」


 皆、静まり返って考える。


 火、水、土、風。その他数多の妖精が趨勢を見守る中、最初に口を開いたのは、ずっと苛立ちを隠し切れぬ様子で椅子に座っていた妖精王、オベロンだった。


「マーリン。モルガン。おまえ達が支えた時代、おまえ達の目の前に敵がいた。だが、銃という狙撃武器が開発されて、より遠くから人を殺せるようになった。更に数十年が経ち、兵器が開発されて、目に見えぬ人が殺せるようになった。だが今、人間は言葉という刃で誰とも知らない他人の心を殺せるようになった。滑稽な事だ。より多くの人を殺す術を探し求める人間が、実のところ言葉一つで呆気なく死ぬなどと。貧苦に喘ぐ者達、戦場に巻き込まれた者達の死は、悼まれよう。後世にも語り継がれよう。後の人間が手を差し伸べよう。だが、心が殺された者の死は、誰にも悼まれない。誰も語り継がない。悲しむ者はいようとも、いつか風化して忘れ去られよう。そんな連中を招くのだ。妖精達の神秘が輝ける世界へ」


 マーリンは短く頷き、モルガンは紅茶を啜る。

 ティターニアはダメかと諦めようとして、突然、マーリンが手を叩いて笑い出した。


「オベロン! そんなにティターニアの提案が魅力的だったのか?! 何だかんだ言って、本当に……君は彼女が、大好きなんだなぁ!」

「貴様! 馬鹿にしているのか、魔法使い!」

「いやいや。でもまさか、援護射撃するとは思わなかったんだ。それに二人の言いたい事も、何となくわかった。心が荒み、病み、誰にも悲鳴を上げられずに死んでしまう人達の事は、確かに惜しいとは思っていた。けれどまさか、その解決策を君達が持ってくるとは思っていなかった。いやはや、異世界転生か! 死んだ魂を、別の世界でゆっくり療養して貰おう、か。いいじゃないか! 素晴らしい提案だとも! なぁ、モルガン!」

「……まぁ、輪廻転生の、環に、戻すの、ですから……一度異世界で、療養を挟むのは、悪く、ないのでは?」

「と、言う訳だ。いいよ、僕ら二人も協力しよう。まずは神様に進言するために、僕らそれぞれでどんな人間を異世界へ送るかピックアップしようじゃないか」

「そうね……そうね! ありがとう。マーリン、モルガン」


 此の度の茶会はこれにて終了。

 次の茶会の議題は、どんな異世界へ、どんな人間を転生させるか、である。

 

 いつ開かれるか。

 いつ集まれるかは定かではない。

 故に、彼らは神を納得させる文言を考えると共に祈る。


 人よ、せめてこの慈悲届くまで、心強く持て、と。

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