最終話 サプライズ

 私は杉崎くんと会うようになった。

 同じ過ちを繰り返すだけだと分かっていても、杉崎くんから呼び出されると抗えない。

 誘いのほとんどが当日の夜にくるから、会社で残業をして、いつ呼び出されても行けるようにした。

 一日に何度もLINEを開いて確認するようになったから、仕事にも身が入らなかった。


 杉崎くんと会うようになってから私の生活は一変した。

 ずっと落ち着かなくて、苦しくて、頭がぼんやりとした。仕事が大変な状態になっても危機感を持つことができず、クライアントやチームメンバーから責められても何とも思わなかった。


 杉崎くんからの誘いは頻度が落ちていたけれど、私の状態は変わらなかった。

むしろ悪化していく一方だった。

 誘いが来ないことに落胆し、完全に飽きられる前になんとかしなくてはと焦りが出てきた。


 佑馬からも心配をされた。

 佑馬は仕事のせいで私がこんな状態になっているのだと思っていた。

 毎日の帰宅が夜十時になる私のかわりに夕食を準備してくれるようになって、帰ると「遅くまでお疲れさま」と声をかけてくれた。

 そんなふうに言われると、佑馬への申し訳なさでいっぱいになって、用意してくれた夕飯を食べられなかった。


「食べてきちゃった。ごめん、連絡忘れてて」

 佑馬から逃げるようにお風呂に入った。


 ボディソープを泡立てて体を洗っていると、この前にホテルで杉崎くんにされたことを思い出した。

 体を洗うたびに杉崎くんの感触が薄れてしまうようで、惜しくなった。

 杉崎くんの指の動きをなぞるように自分の指を動かしていると、台所から洗い物をする音が聞こえてきて、はっとして体を洗うのを再開した。


 シャワーで体を流していると涙が出た。

 泣き声が佑馬に聞こえないように唇を噛むと、苦しみも自分の内側に閉じ込めてしまったようで、泣いても泣いても楽になれなかった。


 どうして私はこんなに苦しい思いをしてるんだろう。

 これも杉崎くんのせいだ。

 彼のことを思い浮べると、ひどく冷たい目で私を見下ろしていて、「苦しいなら会わなければいいのに」と言われているようだった。


 自分の行動で自分が苦しめられるなんて愚かにもほどがある。

 そう思うのに杉崎くんのことになると行動がコントロールできない。

 まるでもう一人の自分がいるみたいだった。

 佑馬と付き合って会社で働きながら安定した生活を送る私と、杉崎くんのことばかり考えて破滅の道へと進んでいく私。

 後者の自分を葬ることができたら、どんなに楽だろうか。もう一人の自分を殺してしまいたかった。




 そこまで高校のことをなぞらなくてもいいのに、私は会社に行けなくなって休職することになった。


 高校のときと違うのは佑馬がいることだった。

 家事をする力はなんとか残っていて、佑馬が会社に行っている間に、掃除と洗濯と夕食の準備を時間をかけてやった。

 昼は自分のために準備する気力が起きず、何も食べなかった。


 佑馬に休職の理由を話すことはもちろんできなかった。

 佑馬は知りたがったけれど、私が口を閉ざしていると、よっぽど大変なことがあったのだと思ってくれて「落ち着いたときに話してくれればいいよ」と言ってくれた。


 杉崎くんとは二か月も会っていなかった。

 私からメッセージを送ったり、電話をかけたりしても無視された。

 無駄だと分かっていても、一日に何度もLINEを開いた。

 まだ杉崎くんからの連絡を待っているのだと思うと自己嫌悪に襲われた。


 付き合ってから五年目の記念日は土曜日で、熱海に旅行に行く計画を立てていた。

 けれど、当日の朝に私が眩暈を起こして中止になった。

 吐き気がおさまらず、ベッドの上から動けずにいると、悔しさのあまり泣いてしまった。


「佑馬、ごめん。ごめんね……」

「そんなに気にしないでよ。調子が悪いときは休んで治すのが一番じゃん」

 優しくされればされるほど、自分にはふさわしくないと思ってしまう。

「旅館で渡すつもりだったプレゼント、渡していい?」


 佑馬の気持ちに応えたいという気持ちと、受け取る資格なんてないという思いの間で切り裂かれそうになる。


「私、用意できてなくて悪いから……」

「そっか」

 佑馬は目を伏せた。

 見るからに気落ちしていて、彼にそんな思いをさせてしまったことが申し訳なくて、明るい声を頑張って出した。

「でもせっかく用意してくれたんだし、見たいな!」

「ほんと!?」

「うん」

「じゃ、待ってて」


 戻ってきた佑馬が持っていたのは白い小さな箱だった。

 アクセサリーだろうか。

 横になりながら受け取るのも失礼だと思って、体を起こした。


 佑馬は両膝を床について私より視線を低くした。

「家で渡すもんじゃないだろうって悩んだんだけど、タイミング逃したくなくて」

 佑馬が箱を開けると、中に入っていたのは指輪だった。

 銀色のシンプルなデザインで、真ん中には大ぶりの宝石が輝いている。


「俺、結婚するなら涼花しかいないって思ってる。これだけ長く付き合ってれば、そうだろって感じだけどさ。タイミングを考えたときに涼花が休職になって、こういう大変なときに支え合えたらいいなって思ったんだ」


 佑馬の存在がまばゆすぎる。

 恋人が休職していたら、お金のことが不安になって、結婚をためらうものじゃないだろうか。休職を理由に結婚に踏み切るなんて、人間ができすぎている。


「俺と結婚してください」


 私も結婚するなら佑馬しかいないと思っている。

 けれど、今の自分は佑馬に不釣り合いで彼の隣にいることがどうしようもなく苦しい。


 佑馬に全てを打ち明けたい衝動にかられた。

 私は最低の人間で、佑馬にはふさわしくなくて、佑馬なら他にいい子が見つかるよと言いたかった。

 けれど、それは私が楽になるためだけの行動で、佑馬のことを傷つけると分かっているからできなかった。

 一番いい道は、もう杉崎くんには会わないで、彼とのことを一生佑馬に隠し通すことだった。


 頭の中で佑馬への返事を考える。

 結婚は心の整理が追い付いていないから、すぐにはできないけれど、働けるぐらいまでに落ち着いてきたら、そのときは私と結婚してください。

 そう伝えようと思った。


「お願いします」


 自分の口から出た言葉に耳を疑った。

 考えていたこととは全く違っていた。


「よかった。断られたらどうしようって思ってた」


 佑馬の安心した顔を見ていたら、撤回しづらかった。


「手、出して」


 手を出すと、なぜか佑馬は吹き出した。


「右じゃなくて、左手! 涼花ってしっかりしているようで抜けてるところもあるよね」


 佑馬に合わせて笑ってみるが、顔の筋がこわばって、上手く笑えている気がしなかった。

 浮かべた笑顔が佑馬に向けたものじゃなく、自分のことを嘲笑しているように思えてくる。


 佑馬は私の左手の薬指に指輪をはめた。

 部屋の照明を受けて宝石は輝いた。

 ずっと見ていると目がチカチカしてきて視線を逸らした。


「お祝いしたいな! 涼花ってケーキ食べられそう?」

「クリーム多いのはしんどいけど、さっぱり系のやつなら。ゼリーとかの方がいいな」

「わかった。買ってくるから待ってて」


 佑馬が外に出て行くと私はLINEを開いて杉崎くんにメッセージを送った。


『結婚することになったの』


 それだけ送るとスマホを両手で握りしめた。祈るように胸の前に持ってくると、返信が来ることを願っているのか、来ないことを願っているのか、分からなくなってきた。


 スマホを体から離しておそるおそる確認すると返信がきていた。


『おめでとう』


 こんなに早く、杉崎くんから返事が来るのは初めてだった。




***




 私の真上に杉崎くんの顔があった。

 左手に視線を向けると婚約指輪があった。

 指輪は外したかったのに、杉崎くんに付けたまましようよと言われてしまった。

 きゅっと締め付けてくる金属の感触が私を責めているみたいだった。


「式ってあげるの?」

「うん」

「いつ?」

「来年の二月」

「楽しみだなぁ」

「……なんで?」

「呼んでくれないの?」

「呼ぶわけないでしょ」

「ウエディングドレス姿の涼花とするの、楽しみにしてたんだけど」


 杉崎くんの言葉で頭に映像が思い浮かぶと、それだけで体が熱くなった。


「……そんな時間、あるわけないでしょ」

「そうなの? 控え室の近くまで行ってあげてもいいよ」


 杉崎くんの瞳が残酷に煌めく。

 冗談じゃなく、彼なら本当にやりかねない。


 杉崎くんと会ったあとに式なんてしたら、どうなってしまうのだろう。

 私の様子はおかしくて、会場のみんなに不審に思われる。

 杉崎くんだけは全てを知っていて、私のことを馬鹿にするように見下ろしているのだろう。


「もうこんなになってる。想像しただけで気持ちよくなっちゃった?」

 下着の中に手を入れられると快感に体を貫かれた。


「蓮、蓮、蓮っ……!」


 脳が溶けて物事を考えられなくなった私の口からは彼の名前しか出てこなかった。

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致死量の蜜 ~私の人生を破滅させる男~ 秋月ゆうみ @akizuki_yumi

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