今年もまた甲子園の夏がやってきました

多田島もとは

今年もまた甲子園の夏がやってきました

「今年もまた甲子園の夏がやってきました」


 高校野球……夏の甲子園大会がまもなく始まる、興奮気味に伝えるアナウンサーの大きな声が広いリビングにこだまする。


「テレビ消しましょうか?」


「いや、これでいい」


 気を回す妻の言葉を遮り、球太は画面を見つめる。

 涼しいリビングの真新しい大型テレビの中で、泥だらけの高校球児が初出場を決めて喜びの声を上げていた。


 ”球太”という名前は野球好きの父親に名付けられたが、息子にそのような名前をつける親だけあって、球太をプロ野球選手に育てようと友達とも遊ばせず毎日厳しく練習させていた。


 一見児童虐待にも見えるが、球太自身もうまくできると父が大喜びで褒めてくれるのが嬉しく、遊びも勉強も二の次で野球に打ち込む毎日を続けていた。


 少年野球でエースで四番だった球太は自分が一番野球が上手だと信じきっていた。

 中学では投手に専念し、高校に進学する頃には数ある才能の中の一粒でしかない現実を突きつけられる。


 それでも諦めることなく努力を続け、高校3年の夏の大会前、ついに球太はエースの座を掴む。

 甲子園常連の名門校で背番号1を勝ち取ったのだから球太の実力は本物だったに違いない。

 事実、県大会では最多奪三振記録を更新する大活躍だった。

 残念ながら県大会決勝で敗退し、夢の甲子園のマウンドに立つことなく球太の夏は終わった。


「9回裏ツーアウト満塁……あそこで打たれなければ甲子園に行けたのにな……」


 球太は独り言に気づいた後で妻に聞かれていないことを確かめ安堵するも、その口元には悔しさが滲んでいた。

 一回戦負けなら恐らくここまでの悔しさは感じなかっただろう。

 あと一歩、しかもその前年出場した甲子園はスタンドからの応援だったこともあり、悔しさもひとしおだろう。


(いやいや、甲子園に行けなくて逆に良かったんだ)


(もし甲子園に出場していたら受験勉強が遅れて大学進学に失敗していたかもしれない)


(炎天下の無理な連投で肩を壊していたら、大学で野球を続けることもできなかった)


(甲子園に出場していたら今の自分はいなかったかもな……あれで良かったんだ)


 同期の出世頭であり、ライバルとの熾烈な競争を勝ち抜き、社会的な地位と財産と美しい妻を手に入れた球太は誰もが認める人生の勝者となっていた。

 普通なら自慢話になる高校野球の思い出だが、球太にとっては辛い記憶として心に深く刻まれていた。


(一瞬のために残りの人生すべてを捧げて燃やし尽くすなんてバカのすることだ。今の自分なら絶対にしない!)


(しかし、あの夏の甲子園のマウンドに立っていたら……腕が折れるまで絶対に投げるのを止めなかっただろうな)


「そろそろ時間じゃない?」


 妻の声にハッとした球太は時計を見て急いで準備する。


「それじゃ、行ってくる。今日の巨人戦で甲子園ともしばらくお別れか」


「頑張って投げてきてね、テレビの前で応援してますから!」


 そう言って見送る元女子アナの新妻を背に、今や阪神のエースとなっていた球太は静かに闘志を燃やすのであった。

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