エイリアンズ・アース
tei
エイリアンズ・アース
人間であるためには、それほど多くの要素は必要でない。酸素・炭素・窒素・水素といった元素、水分・タンパク質・脂質といった分子、それらが形作る約六十兆の細胞……そうしたものから人間はできている。
だから、「私」もそれを模倣している。
元々、地球への潜入計画にはそれほど興味がなかった。地球を支配していると推定される、小型で平べったく頑丈で羽根のある原始的な昆虫の研究には興味があったが、このたった一億年だかの間にぽっと現れてそこらの環境を破壊し尽くしたとかいう「人間」なるものには全く興味がなかった。なんなら、さっさと滅亡してくれれば昆虫たちの研究に集中できるのにとすら思っていたほどだ。
だが、「人間」に擬態して社会に溶け込み、昆虫の研究に勤しんで良いという公の許可が出るとなれば、話は別だ。「人間社会」なんて見るからに退屈そうなもの、ほとんどの研究者には人気がなかったのだろう。国立研究機関の末端にしがみついていただけの私にまで話が回ってきたのは、今考えてみれば人材不足ゆえだったのだろうと思う。
ともあれ、私は晴れて地球の「人間」に擬態し、その社会に溶け込むことに成功した。外から見ていた時には気づかなかった「人間」たち特有の感情の機微というものを会得するのは大変だったが、生活するうち、我々の星より遥かに低い次元をさまよっている彼らに、ただの憐憫以上の感情を抱くようになっていったのも事実だ。
簡単に言えば、私は出身の星に残してきた家族や同僚たちに対するのと同様に、目の前でヒョロヒョロと頼りなげな細長い体を揺らす「人間」たちのことも、愛し始めていたのだ。
「
目の前で、頼りなげな細い体を揺らしながら伏し目がちに私を見ている彼女のことも、私は愛している。これは「人間」になってみないとわからないことだろうが、彼らは弱く脆い生き物なりに、互いに助け合って生活している。相互扶助の精神というものは我々の星にはあまり浸透していないため初めは面倒だったが、今ではその良さがよくわかる。
そして、「人間」は助け合ううちに、特定の相手に特別な好意を抱くようになるものなのだ。
「私、あなたのことが……」
ためらうように口を開く彼女、蟹屋敷さんは、私にとっての、そういう相手である。私が「人間」として日本の研究所に溶け込んで間もなく、配属されてきた若い女性。人間社会に慣れていない私に何かと話しかけてくれ、仕事でもそうでないところでもサポートしてくれた。
「好きです、付き合っていただけませんか」
その言葉と同時に、緊張と恥じらいから真っ赤になっていた彼女の耳から、触手が飛び出した。
「え」
私が、彼女の言葉に対するのとは違った種類の驚きに動けなくなっていると、彼女もようやく自分の身に起きた異変に気がついたようだった。私の視線を追いかけるように動かした手が、自分の右耳から垂れたタコの脚のようなものに触れ、「きゃっ」と叫んだ。そしてそのままそれを右耳に押し込んで、私に尋ねた。
「み、……見ました?」
「そりゃあ、もちろん」
答えながら、私は最近の地球人類は耳の中にタコを飼育する技術を獲得したのだったか考えていた。地球に来るまでに読んだ資料にも、来てから確認している資料にも、そんなことは記されていなかったはずだが……。
「え、ええっと……」
蟹屋敷さんは何度か目をあちこちに泳がせたが、やがて観念したのか、自分の顎に手を添えて、頭部を上に持ち上げるように引き剥がしてしまった。彼女の「人間」としての頭部は完全に取り外され、中に鎮座していたタコそのものが、「人間」の言葉で喋った。
「実は私は、ここから遠く離れた太陽系からやってきた、クァニ星人なんです。地球の海洋生物を研究するため、地球人類に擬態して暮らしていました」
「そうだったのか」
よく考えてみれば、地球という様々な生物が生きる珍しい星が、別の太陽系の星々からも同様に注目されているかもしれないというのは、かなりあり得る話だった。これまで全く思いもよらなかったことだが、理論的にあり得る話であれば、それほど驚くには値しない。
しかし蟹屋敷さんは、私が予期したほど驚かなかったことに驚いたのだろう。タコの目を大きく動かした。
「百百さん、あまり驚かないんですね」
「……まあ、いろんな生物を研究してきたから、地球外生命体がいても不思議ではないと思うんだ。あ、蟹屋敷さんのことを前から宇宙人っぽいなと思っていたとかではないから安心してほしい。僕も、蟹屋敷さんのことが好きだよ」
「えっ。わ、私はこんな……地球のタコそっくりなのに……?」
蟹屋敷さんは、タコの脚と一緒に、「人間」としての足までガクガクと動かして驚きを表した。
「うん。まあ、この世にはいろんな生き物がいるからね。僕は一つの生き物として、蟹屋敷さんが好きだよ」
この言葉に嘘偽りはなかった。元々こちらが「人間」でないのだから、相手が「人間」でなかったからといってどうということもない。そんなことで、彼女への愛情が揺らぐわけはない。
蟹屋敷さんはようやくほっとしたのか、再び「人間」の頭部を被り、「人間」の頭で喜びを表現した。
「嬉しいです! 私、この地球人類の社会で本当に人間に溶け込むために、地球人類のパートナーが欲しいと思っていて……。それなら百百さんがいいなと思っていたから、本当の私を見ても受け入れてくれて、本当に嬉しいです!」
「いやいや、僕のほうこそ、数多いる地球人類の中で僕を選んでくれて嬉しいよ」
まあ、私は地球人類じゃないわけだが。
でも、今のところはまだ、私の正体を明かすことはないだろう。向こうが気づいていない以上、擬態は続けておいた方が、余計な軋轢を生まずにすむはずだ。
すっかりいつもの「人間」らしくなった蟹屋敷さんとレストランへ向かう道で、私は夜空を見上げた。ここからでは、クァニ星も私の星も見えない。地球人類は相変わらずの密度で街を闊歩し世界に溢れ、私も蟹屋敷さんも彼らに正体を隠したまま、生活している……。
しかし。
街を足早に歩いていく「人間」たちを眺めていると、ふと、ある疑念が湧き上がってきた。
ひょっとすると蟹屋敷さん同様、私とは別の星からやってきて「人間」に擬態している者が、他にもいるのではないか。
今、酔っ払って路上で嘔吐しているサラリーマンの口から、一瞬「人間」の食べ物ではない物が見えなかったか。楽しそうに肩を寄せ合っている女の子たちのスカートからはみ出て垂れているのは、本当に衣服の裾か。路上の車窓から見える男たちの目が、変な場所についていないか。耳にイヤホンを突っ込んで歩く若者の耳にはまっているのは、あれはよく見るとイヤホンではないんじゃないか。
「百百さん、どうかしましたか」
蟹屋敷さんが、不思議そうに私を見つめている。
「いやね。ひょっとしたらこの地球上には、もう本物の地球人類なんていないんじゃないかって、そう思ってね……」
私の言葉に、蟹屋敷さんは首を傾げた。
「百百さんは本物の地球人類じゃないですか。変なこと言いますね」
「あはは……」
本物の地球人類の笑いに聞こえているように願いながら、私は笑った。
エイリアンズ・アース tei @erikusatei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます