どんとまいんどみー

ヤギ執事

どんとまいんどみー

 ――ずっと、後悔していたことがある。


 三月半ばの昼下がり。あいにくの曇り空に包まれた校舎は、どこも卒業生たちで溢れていた。

 たった一つ、三年生の教室が入っていない北校舎の裏を除いて。


「うーん……場所はあってるはずなんだけど……」


 そこにいたのは可愛らしく小首を傾げる女子生徒。すらりと伸びた手足に、肩口まで伸ばして切りそろえられた黒髪。胸元についているブローチを見れば、彼女が卒業生であることが一目でわかった。

 各々が友人と写真を撮ったり卒業旅行の予定を立てたりする中、人気のない校舎裏に佇む彼女は異質ともいえる。


「やっぱりイタズラなのかなぁ」


 彼女は手に持った手紙を何度も裏返す。きっと、自分が何か読み違えていないか念入りに確認しているのだろう。あるいは、よりにもよってこんな大事な日に、悪質な悪戯を仕掛けてきた差出人の名前を特定しようとしているのかもしれない。

 いずれにせよ、彼女が痺れを切らしてしまう前に出て行くべきだ。深呼吸して鼓動の高まりを抑えつつ、意を決して飛び出した。


「久しぶり」


 男の声に反応してか、彼女はゆっくりとこちらを振り返る。目をぱちぱちさせながら不思議そうにこちらを見ている。


「えーと、元気にしてたかな」


 男は話の切り出し方がわからず、軽い世間話から入ろうとしてしまった。なにせ彼女に話しかけること自体が久しぶりなのだから、それも仕方のないことか。

彼女と男の関係は、よくある疎遠になった幼馴染だった。


「第一志望の国立、受かったんだってな。おめでとう。一緒に勉強してる頃はそんなに成績変わんなかったのに、すごいよほんと。俺も、一緒のとこ行きたかったんだけど……自分が情けねぇ」


 男の祝福にも、彼女は一切の反応を返さない。「こんにちは」の一言もなければ、目をきょろきょろと動かしていて中々視線も合わない。

 こうなることはわかっていたけれど、それでも男の心は抉られた。それでも、めげずに言葉をかけ続ける。


「こんなところに呼び出してごめんな。今日は伝えたいことがあるんだ」


 男がまず語り始めたのは、彼女との思い出だった。


「初めて会ったのは小学生になった頃だったよな。登校中に話しかけてくれて、初めての友達ができたんだった」


 初めて会った時から、よく笑い、よく泣き、よくからかい、よく拗ねる女の子だった。


「中学生になってからも、仲良くしてくれて嬉しかった。テストの順位競ったり、体力テスト勝負したり……色々したよな。幼馴染の関係は中学生あたりで終わっちゃうってのが色んな話の定番だし。思春期に毒されながらも幼馴染の女子と絶交しなかったってのが、俺の人生でも指折りの功績だろうな」


 話しているうちに熱いものがこみあげてきて、思わず涙がこぼれてしまう。


「高校生になってからは、お前が本気で可愛く見えてきて、上手いこと関われなくなってきてた。それでも毎日どっかしらのタイミングで話しかけてくれて、嬉しかったよ」


 いつしか本題を逸れ、男は彼女との思い出を語る機械になってしまっていた。


「まあ何が言いたいかって言うと、ありがとうってことだ。ずっと、友達でいてくれてありがとう」


 男の言いたかったことは、ここまでで半分。残るはあと半分。たった一言の半分だ。

 彼女に男の言葉は届いていないというのに、それでもどうしようもなく緊張してしまうのは、根本的に心が弱いのだろうか。

三度ほど深呼吸して息を整え、空を見上げる。一面に広がった曇り空を睨んでから、正面の彼女を見据えた。


「好きだ」


 一言、言葉を紡ぎ出す。すると、残りはダムが決壊するかのように感情の波が押し寄せてきた。


「ずっと好きだった! つまらない話をしても笑ってくれるところが好きだった! 感動系の映画を見たらすぐに泣いてしまうところが好きだった! 少し俺が失敗しただけで、全力でからかいにくるところが好きだった! 少しからかったら全力で拗ねてくるところが好きだった! どうしようもなく、お前の全部が好きだった!」


 男は心の中に閉じ込めていた愛を、全身全霊で叫んだ。涙と鼻水にまみれた情けない顔で、叫び続けた。

 もうこの世に存在していない男には、彼女に言葉を届かせることは物理的に不可能だ。それは、今まで何度も試してきた男自身が、一番そのことを理解していた。それでも何かの間違いで届いてくれと、泣く以外に手段のない赤子のように泣き叫んだ。

彼女がもし見ていたら、きっと破竹の勢いでからかわれ、笑い倒され、最後は優しく慰めてくれていただろう。しかし彼女には一切男の想いなど伝わっておらず、腕を組んで指をしきりに動かし、来るはずのない待ち人を待ち続けていた。


「やっぱり、無理か……」


 男は項垂れるも、その顔に絶望の色はない。


「できれば、これは使いたくなかったんだが……」


 苦虫を噛み潰したような顔で、男が手に持った――否、男の手元付近で風に浮かされているのは一枚の手紙。およそ高校生男児が書いたとは思えないものであり、平仮名のみで構成されている上ひどい字で、肝心の内容もたったの二行だ。

 男が手を振ると、手紙はふらふらと風に揺られながらも、目的地を見失わず真っすぐ飛んで行く。


「なんだろう、これ」


 彼女は不思議そうにその手紙を受け取る。


「なに、これ……」


 その内容に目を通した段階で、彼女は思わずその場に座り込んでしまった。制服を土に汚しながら、何度も、食い入るように手紙を読み返している。口元に手をあてて、信じられないものを見るかのように声を震わせた。


「そこに、いるの……?」


 彼女がおそるおそる差し出した両手に、男は手を重ねようとする。それでもやっぱり手が触れることは叶わなくて、すり抜けてしまう。


「うん、なんか、ひんやりした。そこに、いるんだね」


「……あぁ。今まで、ありがとうな」


「ごめんなさい。私のせいで……本当に、ごめんなさい」


「やっぱり、こうなるよな」


 泣き崩れる彼女に、男はもう一枚、木の下に用意していた手紙を風に乗せた。土に汚れた汚い紙は、彼女の細い指にそっと乗せられる。

 その内容に目を通して、彼女は大きく泣き叫んだ。いくら人気がないといっても、これだけ大声を出したらきっと


「ほんとに、なに、もう……ありがとうなんて、こっちの台詞なのに」


 ――もう、後悔はない。本当に、今までありがとう。


 男は言葉を返せなかった。もうそこに男の姿はなかった。





 ――修学旅行で起きた最悪の事故。それが当時、新聞に載った記事の見出しだった。

 事件の被害者は一名。修学旅行でスキーをしている最中、中級者コースに突如出現した熊に襲われ、男子生徒が山から転落して死亡。

 居合わせた女子生徒は、「私のせいで……」と涙ながらに語ったという。


「いってきます、って誰もいないんだった」


 春から一人暮らしを始めた女は、玄関でひとりごちる。ふと、棚に目を向けて、一番上の引き出しを開けた。その中には、卒業式にとある人からもらった手紙が三通、大切に保管されている。


『おまえのことがすきだった なかよくしてくれてありがとう なかむらそうた』


『おまえをかばったことはこうかいしてない おまえにはかんしゃしかない まえをむけ、アホ』


 およそ高校生が書いたとは思えないひどい手紙――差出人は、どれほどの苦労をかけて書いてくれたのだろうか。


「ほんと、バカみたい」


 彼女が最後に持ち上げた手紙には、見違えた筆跡でこう記されていた。


『今日の放課後、北校舎の裏に来てほしい』


 もう、一生男の声を聞くことはできない。からかってやることもできない。女はそれが、どうしようもなくやるせなかった。

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