勘違いにはご注意ください
寺音
勘違いにはご注意ください
「あー、駄目だ! やる気でなーい!」
指先からシャープペンシルを放り出し、私は勉強椅子に座ったまま上半身を後ろに反らした。
三月に入って卒業式も終わり、私たち二年生には四月から受験生だというプレッシャーがかかってくる。
土曜日の今日は天気も悪いし、真面目に宿題でもやるかと机に向かったが、やっぱり私には勉強は向いていない。
「まぁ、明日も休みだし、ちょっと休憩を」
椅子から立ち上がり、スマートフォンを片手にベッドにダイブする。柔らかく私を受け止めてくれたベッドに感謝しつつ、だらだらとスマートフォンを眺め始めた。
友達からの連絡に返事を返して、SNSを開く。その時、ふと目に止まったのは、従姉妹の歩美お姉さんの投稿写真だった。
厚さ三センチはあるだろうか。お皿に乗っているのは、分厚くていかにもふわふわなパンケーキだった。フルーツや生クリームがたっぷりトッピングされていて、正に「映える」盛り付けだ。
本文には『日頃のご褒美にあの有名パティシエ、カトレーヌさんのパンケーキを食べに来ました』などと書かれている。
歩美お姉さん、大学進学を機に東京へと上京したんだったっけ。
「へぇー、いいなぁ。やっぱり都会は違うなぁ」
飲み物や店の内装もお洒落だ。試しに本文に書かれていたパティシエの名前を検索してみると、雑誌やネットで見たことのある男性の写真が出てきた。
すごい、この人のお店に行ったんだ。
「良いなぁ! こんな有名店の有名なパンケーキを食べるなんて憧れちゃうなぁ」
そう呟いた瞬間、私の背筋になんとも言えない悪寒が走る。
何度か経験したこの気配。……確実に、いる。
「そこだぁっ!?」
叫びながら、掴んだクッションを思い切り投げつける。
『もぅふぅっ!?』
潰れたような声を発したのは、私の部屋の片隅に置かれたクマのぬいぐるみだった。
ポンという破裂音を立て白い煙が上ぼり、腰まである黄金色の髪を持つ青年が現れる。
「な、何をするのだ芽衣!」
「
狩衣のような服装に三つの尾と狐の耳、何を隠そう彼は本物の化け狐である。
私に危ないところを助けられたのをきっかけに、恩返しをしようと纏わりついているのだ。
黄太は尾を揺らしながら立ち上がり、ルビーのような色をした切れ長の目を私に向ける。
「何をいう。常に芽衣の傍にいなければ、いつ芽衣が助けを求めているか分からないではないか! それに、好いた相手の傍にいたいと言うのは自然なことで――」
「あー、はいはい! 分かった分かった!」
私は慌てて黄太の言葉を遮った。
全く、この私への執着っぷりは何なのだろうか。
腕を組んでため息を吐くと、黄太がいそいそと私の近くに寄ってくる。
「そう言えば芽衣、先ほど言っていた『ぱんけえき』とは何のことだ? その者が何かするのか?」
黄太の目線は、私のスマートフォンの画面に向けられていた。
「ああ、パンケーキって言うのは、スウィーツ……お菓子のことよ。この人はそれを作っている有名人。パンケーキは、こんがり焼いた生地と生クリームとかフルーツなんかを組み合わせて食べることが多いかな。餡子とか抹茶とか和風のトッピングもあるし、甘くてふわふわでとっても美味しいのよー!」
私の言葉をぶつぶつと繰り返した後、黄太は顔を輝かせて耳をピンと立てる。
「おお、それならば見たことがあるぞ! なるほど、芽衣は甘味が好きなのだな。そんなところも愛らしい……」
「それは良いからっ!」
全く、よく動く口よね。私はなんとなく落ち着かない気分になって、黄太から視線を外す。
「なるほど、甘味か……。うむ、それならば……」
横から、黄太が呟く声が微かに聞こえてくる。
うーん、何か企んでいるようだけど、変なことにならなきゃいいなぁ。
不安を覚えながらも全力で阻止できないのは、やっぱり黄太の行為が善意からきているものだと分かるからだろうか。
ウキウキしている黄太を盗み見て、私は二度目のため息を吐いた。
「ただい――っ!?」
次の日、買い物から帰ったら家に有名パティシエがいました。
「はい?」
全身を真っ白なパティシエ服に身を包み、ダークブラウンの前髪を後ろに撫で付けている。その男性は髪と同色の瞳で私を見ると、きらびやかな白い歯を見せつけるようにして笑った。
「け…………警察ぅぅぅっー!」
「ま、待て、芽衣落ち着け! 私だ!」
「え?」
スマートフォンを取り出し通報寸前だった私は、聞き覚えのある声に驚き動きを止めた。
まさか、アンタ。
「
私が思わず叫ぶと、黄太は得意気に胸を張る。
「芽衣がそのすまほ? を眺めながら『こんな有名店のぱんけえきを食べるのが憧れ』だと言っていたではないか。だから、その憧れを叶えてやらねばと、わざわざあの菓子職人に
確かに、見た目だけなら歩美お姉さんが行ったパンケーキのお店のパティシエさんだ。
中身は完全に黄太だけど。
「と言うわけで、だ。今から芽衣に、極上のぱんけえきを作ってやる! 材料もそろえてきたのでな! 待っておれ」
黄太は自信満々に言うと、うちのキッチンに引っ込んでいく。今さらだけど、なんでうちのキッチンの場所を把握してるのよ。
ああ、でも正直パンケーキは楽しみかも。一旦手を洗いに行こうとして、私は足を止めた。
「――あ、でも待って」
あの黄太が、有名パティシエに変身したからといって、上手くパンケーキを作れるわけがないじゃないの。
キッチンが、キッチンが危ない……!?
「黄太!? ……あれ?」
「なんだ芽衣、待ちきれぬのか? ふふ、そんなに慌てずとも『ぱんけえき』は逃げないぞ」
慌ててキッチンに飛び込めば、そこにはとても慣れた手つきで泡立て器を動かす黄太の姿があった。卵を割る姿も妙に様になっている。
「う、ウソぉ! だって、アンタいつもあんなに不器用じゃないの」
「失敬な! 私は何でもできるのだ! 菓子作りくらい造作もない!」
えー、そんなことってある。変化の術ではいつも失敗してたくせに。
あ、もしかして、変化に関してだけ不器用なのかしら。
驚く私に、黄太はどこか得意気な表情を向ける。いわゆる「ドヤ顔」というやつだ。
「惚れたか? 今すぐ私の嫁に来ても良いのだぞ?」
「行きません!!」
全く、こういうところなのよね。
私は勢いよく体を反転させると、改めて洗面所へと向かった。
大丈夫だから座っていろと言われたものの、やっぱり落ち着かない。私がリビングをうろうろしながら待っていると、やがて何かが焼ける良い匂いが漂ってきた。この香りは期待できそう。
胸を踊らせながら、私は椅子へと腰かける。
「できたぞ芽衣! さぁ、私の極上のぱんけえきをしっかりと味わうが良い!」
バーンと効果音がつきそうな勢いでリビングに入ってきた黄太は、まだ変身を解かず有名パティシエの姿のままだった。
「もう少し私が完璧であれば、店の中なども幻術で再現できたのだがな」
「じゅうぶんよ、ありがとう」
私のお礼の言葉に微笑むと、黄太は実に優雅な動きで皿をテーブルに置いた。
「さぁ、食べるが良い!」
「わー……わぁ?」
こんがりきつね色に焼けたふわふわの生地、生地は二段に重ねられており、その間にたっぷりと挟まっているのは瑞々しい餡子――あんこ?
「コレ、どら焼きだぁぁぁぁっー!?」
「何っ!? ぱんけえきではないのか!?」
驚いた拍子に、黄太は音を立て元の姿に戻ってしまった。
「パンケーキって言うのは……これ、こういうお菓子のことよ」
私がスマートフォンでパンケーキの画像を見せると、黄太はガックリとその場に崩れ落ちた。
「なんと……!? てっきりこの菓子のことだと思ったのに……」
「まぁ、私の説明も悪かったね。ごめん」
最初からパンケーキの画像を見せてあげれば良かった。
黄太は膝を床につけたまま顔を上げ、がっかりした表情で私の顔を見上げてくる。
「私はまた失敗してしまったのだな。今度こそ芽衣の役に立てると思ったのだが」
うっ、また狐のくせに仔犬みたいな瞳を。
どうしようかと一瞬迷った後、私は黄太が作ってくれたどら焼きに思い切りかぶり付いた。
ふわりと香ばしい香りが広がって、舌触りの良い生地が口の中で解けていく。そしてつぶ餡の優しい甘さが広がった。
「美味しい! 黄太、このどら焼きすっごく美味しいよ! ……作ってくれて本当にありがとう」
「本当か!? ぱんけえきではないが、良いのか!?」
黄太が思わずといった調子で立ち上がる。私は黄太に向かって笑みを浮かべた。
「パンケーキは別に良いよ。私、どら焼きも大好きだから」
「おお、そうか芽衣……。喜んでくれてとても嬉しい。うう、その笑み、なんと尊い……」
黄太は片手を額に当てて何やら天を仰ぐと、いつかのように私の両手を自分の両手で包み込む。
「そう言えば、人の祝言では『けえき入刀』という甘味に刃を入れる儀式があるのだろう? 私たちの祝言にふさわしい『けえき』は、この私の手で完璧に作ってやるからな」
「結婚はしません!!」
キッパリと言うと、黄太はショックを受けた様子でまたガックリと項垂れてしまった。
というか、『ケーキ入刀』のことを知ってるくらいだったら、パンケーキのことも知ってて良かったんじゃないかな。
知識、妙な感じで片寄ってるわね。
私はペタンと折れた黄太の耳を眺めながら、再びどら焼きにかぶり付いた。
勘違いにはご注意ください 寺音 @j-s-0730
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