ひなあられ
土井タイラ
ひなあられ
遠い遠い未来。
異世界転生という現象が、科学的に解明された頃のおはなし。
カーテンの隙間から陽光が差し込み、寄宿寮の各部屋に設置されたスピーカーが起床時間を告げる。
ヤミとアンジールは、布団の中で互いの体温を感じながら目を覚ました。
ヤミはしばらく無言で、アンジールの端正な顔を眺めた。自分の凡庸な容姿とはかけ離れた美しい横顔を堪能する。それから視線をずらして、壁掛けの情報端末で今日の日付を確認した。
「あ、三月三日か」
そうつぶやいたヤミは、掛布団から腕を出して枕元を探る。ヤミの指先が、小さな種のような何かに触れた。
「ねえ、アンジール、これ何か知ってる?」
そう問いかけながらヤミがつまんで見せたのは、小指の爪ほどの大きさの紡錘形の粒だった。薄緑色で、表面がザラザラしている。
「何それ。知らない。虫の卵?」
アンジールはそっけない返答をしながら、布団の中で寝そべったまま体をひねった。アンジールはヤミに覆いかぶさるような体勢で枕の方を見る。すると、同じような小さな粒が二つあった。アンジールが見つけたのは白とピンクの粒だった。
「ちょっとアンジール、変なこと言わないでよ! 私、ちゃんとシーツ交換してるし、掃除もしてるからね!」
「別に君が不潔だなんて言ってないよ」
「このツブツブ、毎年三月三日に必ず枕元に落ちてるんだよね。私が小さい頃からずっと。引っ越しても、寝る部屋を変えても、三月三日の朝に必ず二、三粒落ちてるの。一度、徹夜して見張ってたんだけど、やっぱりいつの間にか落ちてて。気味が悪いよね」
「季節性があるってことは、やっぱり虫の卵なんじゃ……」
アンジールはヤミの手にあった粒も受け取り、手のひらに乗せてまじまじと眺めている。
ヤミは、語ろうか語るまいか少し迷ってから、過去の経験を話し始めた。
「これ、美味しいんだよね」
「食べたことあるの?」
ヤミの発言に、アンジールは驚いて聞き返した。
「うん。私、五歳くらいの頃までね、枕もとでこの粒見つけたら食べちゃってたの。いつも寒くてお腹すいて目を覚ましてたんだけど、一年に一回だけ、何だかわからないけどかわいい色のツブツブが落ちてて、しかもそれが甘いんだよね。腹の足しには全くならないんだけど、甘くて、幸せな味なの」
「今はもう食べないの?」
「小学生の頃に残飯あさって、めちゃくちゃにお腹壊したことがあって、それ以来、どんなにひもじくても拾い食いするのは止めたんだよ。だからこのツブツブも食べてない。何かわからないから」
「ふーん。たぶん今日の授業つまんないから、この粒のこと調べてみるよ」
気付けば、登校の刻限がせまっていた。
高校の制服に身を着け、二人揃ってヤミの部屋から出た。ヤミの青いネクタイは普通科、アンジールの赤いネクタイは異世界科を表している。
丸顔で目鼻が小さく童女のような肢体のヤミと、筋肉質ですらりとした長身に堀の深い顔立ちを持つアンジール。二人が並ぶと、見た目の調和に欠けた。学業成績も、ヤミは並で、アンジールは抜群だ。何もかもが、釣り合いの取れない二人だった。
「また後でね、ヤミ。この粒のこと、調べておくよ」
それぞれの教室へ向かって分かれるところで、アンジールはそう言った。
寮生は、自室以外の場所での寝泊まりを禁じられている。アンジールはそれを無視して、たびたびヤミの部屋で夜を過ごしていた。
アプローチはアンジールの方からだった。アンジールは積極的にヤミと会話をしたがり、肉体的な接触を望み、甘く聞こえる言葉をささやいた。
従来の学問を扱う普通科と、異世界を探求する異世界学科。卒業後はそれぞれの進路へ分かれていくだろうと思いながらも、ヤミはアンジールとの逢瀬を楽しむようになっていった。
幼少期から孤独に慣れていたヤミは、アンジールから受ける庇護を嬉しく思っていた。
次第にヤミはアンジールとの甘い時間に溺れていった。
「ねえ、君も異世界科に転科しなよ。そうしたらもっと多くの時間を共に過ごせる」
アンジールはたびたび、このようにヤミを誘った。
これに対してヤミの答えはいつも同じ。
「私もう頑張れないよ。三度のご飯を食べられて、温かい布団で眠れて、安全なこの寮に入れただけで、もう人生の目標を達成してしまったの。転科試験のために勉強を頑張る気力は、もうないよ」
今日この日も、アンジールはヤミに転科を勧め、ヤミはそれをいなした。
これで五回めだ。
次第にアンジールはヤミへの興味を失っていった。
* * *
それから一か月後。
アンジールはヤミに何の相談もせず、異世界転生することを決断していた。
「アンジールってクズだよね!」
ヤミは普通科の友人に、アンジールとの関係を打ち明けて愚痴をこぼしていた。
ランチタイムの学生食堂はにぎわっていて、ヤミが多少声を荒らげても誰も気にしない。
「んー、でも、ヤミとアンジールって将来の約束とかしてたわけじゃないんでしょ? 今まで転生科のスーパーエリートを繋ぎ止められてたことの方が奇跡だよね」
友人は正論を述べた。
「まあ、それはそう」
ヤミはその正論をわりあいと素直に受け止めた。
「どうしてアンジールは、ヤミみたいな目立たない子に構ってたんだろうね?」
友人は心底不思議そうに疑問を呈した。
「アンジールは、暇な私を選んだんだよ」
ぼそりとヤミが答えた。
アンジールは、人の心に深く踏み入りたがるところがあった。
表面的には級友や教職員と適度な距離を保ちつつも、時折、一対一での対話をしようとする。放課後であったり、帰り道であったり、授業中に学用端末からこっそり送信するテキストチャットであったり。相手が誰であっても、その心の裡を知りたがった。
寮住まいである上、帰省する実家も縁者もないヤミは、いつでもアンジールと過ごす時間を用意できた。
アンジールがヤミを選んだ理由は、ただそれだけだ。
「えー、あたしだって暇ぐらいあるよー」
友人はおどけてそう言ったが、すかさず、かぶせるようにヤミが切り返す。
「いや、私の暇さを舐めんな。クリぼっちで、夏休みぼっちで、寮の管理人より寮にいる時間長いから」
「あー……、あー、なんか、ごめん……」
「初めてだったんだよね。家族っぽい時間」
アンジールとの日々を思い返したヤミの表情は曇った。
その気まずい雰囲気に耐えかねた友人は、いったんは謝ったものの、前々からヤミに対して抱いていた疑問をぶつけることにした。
「あのさ。アンジールは
「まあ、顔? 顔だよね。アンジールの見た目、最高でしょ」
ヤミはそれだけ答えて、友人より先に一人で食堂を出た。
午後の教室へ向かう廊下を、ヤミはうつむきながら早足で歩いた。
(今すぐ手に入るぬくもりが眼の前にあれば、そんなの欲しくなっちゃうに決まってるでしょ)
本当は友人に向かって吐き捨てたかった言葉を、口の中で反芻しながら。
* * *
アンジールは、今生で接触できる人間の感情のすべてを知りたがっていた。
なぜならアンジールは、転生に転生を繰り返す、流転の者であるから。
魂というエネルギーが世界を越えて移動する現象が、異世界転生だ。かつて超常現象だと思われていた異世界転生が、再現可能な技術として確立されて久しい。
転生の一歩先に、転移がある。
魂ではない物質を移動させる異世界転移の実証実験に参加するために、アンジールの魂は異世界へと旅立つのだという。
アンジールの決断を人づてに聞いたヤミは、何度もしつこくアンジールと連絡を取ろうとしたが、アンジールはそれを遮断し続けていた。
* * *
アンジールの旅立ちの日。
アンジールはヤミの部屋に現れた。
「ヤミ、三月三日のあの粒の正体、わかったよ。虫の卵じゃなかった。ひなあられというものだった」
「何それ。知らない」
今度はヤミの方がそっけない返事をする番だった。
「ヤミのルーツは日本だろう。女の子の健康や幸せを願う行事が、かつて日本に存在したらしいんだ。それに関連した食品の一つが、ひなあられ。めでたいものだったよ。虫の卵とか言ってごめん」
「健康や、幸せ?」アンジールの言葉を復唱したヤミは険しい表情になり、まくしたてるように言葉を紡いだ。「私のルーツの話をしないで。ヤミってどういう意味か知ってる? 勝手に産み落としておいて、こんな名前で出生届出して、私を育てずに捨てた奴らのことなんか思い出したくない」
「ああ、ごめん……。それについては謝るよ。君の背景を知ってたのに配慮が足りなかった」
ヤミには、アンジールの謝罪の言葉が他人事のように聞こえた。ヤミはこらえきれずに泣き出した。嗚咽を上げながら言葉を絞り出す。
「私、こんな気持ちでアンジールとお別れしたくなかった。嫌なこと全部忘れて、楽しくアンジールを送り出したかったよ。なぜ今日、こんなこと言うの。今日で最後なのに」
アンジールは表情を変えずにヤミを抱き寄せ、耳元でささやく。
「なぜと問われたならば、こう答えるしかない。好奇心がそうさせるんだ。ヤミのことをもっと知りたい。だからヤミのそばにいたい」
「じゃあどうして異世界科の異世界行きに志願するの? 私を置いて行かないで」
ヤミは再び問うた。
「異世界転生するのは魂だけだ。この肉体はヤミのもとへ残していくよ」
しかし、アンジールは問いに答えなかった。
求める答えを得られなかったヤミは、質問を変える。
「いつかまた、この世界へ転生して戻ってきてくれる?」
「それはわからない。ただ、今回の異世界学科の目的は、物質転送の実験だ。世界間で物質を転送できるようになったら、君に手紙の一つも送ってみせよう。魂が時空を超えるように、良き物を君へ送るよ」
「物はいらないよ。戻ってきてほしいのは魂という情報だけ。アンジールの魂がほしい」
「物に願いを込めることだってあるよ。ヤミ、今までありがとう」
ひなあられ 土井タイラ @doitylor
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