3月4日の雛人形【KAC20251 1回目「ひなまつり」】
Bamse_TKE
3月4日の雛人形
たんと伝わる 昔の話
嘘か誠か 知らねども
昔々の 事なれば
誠の事と 聞かねばならぬ
古来より人は降りかかる災厄や凶事からその身を守るため、人に似せた紙細工やはたまた人を模した人形を身代わりとして、人の身に降りかかる災禍を引き受けてもらっていたとか。それら人に成り代わって災いを被る作り物を形代と呼んでいたとか。
形代は古くは紙切れや木の枝細工であったようであるが、その後時代が変わるたび、その形は変わり、細工は洗練されいつしかそれは美しく、人と見紛うような人形に変わっていったそうな。
それら人形はいつしか本来の目的が失われ、愛玩用や観賞用となり、いつしか毎年決まった時期に飾られるようになったものがあるとか。その家に生まれてきた大事な娘を祝うために。いつしか桃の節句と呼ばれる春の風物詩として、俗にお雛様と呼ばれる女雛はその美しく飾り付けられた姿を、多くの臣下や男雛に守られながら、皆の前にその艶やかな姿を皆に見せてくれるとのこと。
「4歳と11か月か、もうすぐ日菜は誕生日だねぇ。」
夜の病院、無人のナースステーションで看護師の遠藤由紀奈は電子カルテを見ながら呟いた。今夜は準夜勤、もう少しで日付が変わりもう少しで勤務が空ける由紀奈は一人感傷に耽っていた。
「このカルテの中では日菜は年を取るんだね。」
そう言いながら由紀奈は化粧が崩れぬように目尻を拭い、深いため息をついた。
【元シングルマザー】
由紀奈は自分の素性をこう語る。由紀奈が看護師になって4年、結婚してすぐに子宝に恵まれた。3月3日に生まれた可愛い娘、その日にあやかり日菜と名付けた。
「三年間は幸せの絶頂だったのよね。」
由紀奈の独り言は止まらない。
「そして地獄の一年間・・・・・・。」
由紀奈の娘日菜は三歳で脳腫瘍と診断された。脳腫瘍は日菜と成長を競うかのようにその大きさをどんどん増していった。一日も早い回復を願っていたのは半年ほど、その後由紀奈の願望は変わりすぎるほど変わった。突然意識を失うのはいつものこと、日菜はてんかん発作と呼ばれるけいれんに苦しめられていた。骨が砕けんばかりに身を不自然に捩り、これでもかと顔面を苦痛に歪める日菜。それをなんとか薬で治めれば、ひどい頭痛と嘔吐に苦しむ日菜。この頃由紀奈が望んだのは日菜の回復ではなく、彼女を苦しめ続ける発作からの解放だった。夫は苦しむ娘を見続けられず、心を病み、ある日突然由紀奈の前から姿を消した。こうして由紀奈はシングルマザーとなった。
「やっと楽になれたね。」
四歳を迎えた3月3日、その日を境と決めていたように日菜は翌日息を引き取った。由紀奈の頬を幾筋もの涙が伝ったが、それは哀しみの涙だけではなく、ようやく楽になれた日菜へのうれし涙でもあったのだ。こうして由紀奈は元シングルマザーとなった。
「日菜、お誕生日もうすぐだねぇ。」
由紀奈は同じ言葉を繰り返した。二歳のころ同じ病院に勤める仲の良い皮膚科医に、乾燥肌用の薬を処方してもらったことから日菜のカルテがこの病院にも存在する。だが亡くなったのは違う病院なので死亡登録が為されておらず、カルテ上の日菜は今でも時が止まっていない。
「死んだ子の年を数えるってこういうことなのね。」
由紀奈はやり場のない感情を必死で押し殺そうとした。
「大丈夫?」
同じく準夜勤の同僚に声を掛けられ、由紀奈はびくっと肩をすくめた。担当している患者さん以外のカルテを見るのはご法度だが、誰もが由紀奈の心情を鑑みそれを不問に付していた。
「ミミレレミミラファ、ミミファファミ・・・・・・。」
看護師を呼ぶナースコールボタンが押され、ナースステーションに軽やかな音楽が響く。それはもうじき訪れるひな祭りの有名な楽曲のメロディーを模していた。由紀奈の何とも言えない悲し気な表情に、同僚は再度由紀奈の肩に手を置いてそのままナースステーションを出た。ナースコールに応じるために。同僚への感謝の念を抱きつつも由紀奈はもう一度呟いた。
「日菜のお誕生日はひな祭りだったねぇ。」
「ひな祭りかぁ。」
身の入らない準夜勤が明け、同僚に礼を言いつつ病院を由紀奈は後にした。家に戻って押入れを探ってみると、大きな段ボール箱が二箱、押入れの一角を占領している。これは由紀奈が産まれた時に家族が用意してくれた立派な五段飾りのひな人形。由紀奈が嫁入りした時に持参し、日菜が産まれてからこの家でも毎年飾り付けていた。日菜が亡くなる前の日を除いては。
最早無用の長物となった段ボールの中にあるひな飾りを眺めていると、それまで気付かなかったある文字に気付いた。
【御身守】
由紀奈はこの文字に気付いてかっとなった。思わず夜中に声が出た。
「守ってくれなかったくせに、この役立たず。」
由紀奈は段ボールごとひな飾りを叩き潰そうとして、ふと手を止めた。
「日菜は大好きだったなぁ、おひな様。」
同じ名前の人形を自分に見立て、おひな様よろしくひな壇の前で愛らしくお澄ましする病前の日菜を思い出し、由紀奈は力が抜けたように座り込んだ。最愛の娘が愛していたひな飾りをどうすることもできず、由紀奈は少し思案した。
「日菜のところに送ってあげよう。」
そう言いながら由紀奈は人形を焼いて供養してくれる、いわゆるお焚き上げを思いつき、由紀奈が眠るお寺にひな飾りを持参することにした。段ボール箱から一度も出すことなく、由紀奈はひな飾りの処分を決めた。
「ちょっとお話宜しいか?」
3月4日に由紀奈のスマホが着信を告げた。それは日菜が眠り、先日ひな飾りのお焚き上げを依頼した寺の若坊主、威厳を見せようとしているのか、変わったしゃべり方をする坊主だったが、そのしゃべり方は電話でも変わらない。一周忌の打ち合わせかと由紀奈は勘ぐった。
「人形についてお伺いしたいことが御座いましてな。」
要領を得ない坊主の説明に業を煮やした由紀奈は直接寺に行って話を聞くことにした。
若坊主による堅苦しい挨拶を潜り抜け、ようやく本題に入った由紀奈は実際のひな飾りを見せられ愕然とした。人形がひどく損傷している、しかもそれぞれ違ったやり方で。
矢筒を背負い赤ら顔だった老人の人形はその顔色さえも分からぬほどに焼かれ焦げていた。それと対を為す若者はびっしりとカビにたかられ、異臭を放っていた。
可愛らしくおかっぱ頭を並べて、楽し気に楽器を持った五体の子供たちはどれがどれだかわからないほどに切り刻まれ、美しい着物を羽織った女の人形はそれぞれ一部を残して三体ともどろどろに溶けていた。
そして坊主の話では黒い服に長い飾りがついた、一番上の段に飾る黒い装いが特徴的な男性の人形はその胴体と顔に大穴が空いており、日菜が大好きだったおひな様の人形に覆いかぶさるように重なっていたようだ。まるでおひな様の人形を守るかのように。おひな様を守り切れなかったのか、おひな様の首が胴体から抜けていたらしい。ただおひな様だけはそれ以外の損傷は無かった。
「よろしいか、おつらいお気持ちは察しても余りある、しかし人形たちをこのような目に合わせるとは・・・・・・。」
由紀奈の前で坊主が説教を始めたが、由紀奈の耳にはまるで入ってこなかった。日菜が亡くなってから由紀奈が触れることすらなかった、まるでなにかと戦ったように人形はみんなボロボロになっていた。おひな様を除いて。そしておひな様だけが最後まで皆に守られたかのように、奇麗な姿を保っていた。
「ごめんね、みんなも日菜を守るために戦ってくれてたんだね。ありがとう、みんなありがとう。」
長々とした説教を続ける若坊主とその前で泣き崩れる由紀奈、その全く嚙み合わない二人の光景は若坊主が参拝客を泣かせていると勘違いした老住職が止めに来るまで続いた。
3月4日の雛人形【KAC20251 1回目「ひなまつり」】 Bamse_TKE @Bamse_the_knight-errant
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