第51話「王女、帰還す」
グレイトバース軍旗を掲げた戦艦は、灰色の海を静かに切り裂いて進んでいた。
「……以上だ。反逆者マリナおよび関係者三名、捕縛完了。ルルの能力については帰還後に詳細検査。ベラはマリナとの戦闘で負傷したため、治療室で治療中」
「了解した。父上に報告しておく」
サイラスの報告を受け、銀糸のような髪が無風の湖面みたいに静かに揺れた第二王子グレイ。
彼はマリナたちに一瞥すらくれず、手綱を引く騎手のような無駄のない所作で書簡を受け取り、視線だけを落とした。
(……グレイお兄様)
呼びかける声は喉まで出かかったが、飲み込む。
今の彼はフォスター家の“刃”であり、自分は“反逆者”。
「……対象四名、確保。抵抗軽微。損害なし」
低く乾いた声で要点だけ読み上げ、魔導通信器の蓋を起こす。
「父上。報告します。『例の物』——収得。併せて、反逆者マリナ・フォスターとその同伴者三名、拘束完了。輸送中」
通信器の向こう、玉座の間の空気までも冷えていくのが分かるほどの沈黙。やがて、辛辣な理性の声が返る。
「よくやった、グレイ。家族の大半を送った甲斐があったというもの。……マリナ? そうか。失敗作も拾えたか。予定通りだ。マシューと結婚させ、その血を返してもらう。あれは個ではなく資源だ——以上」
「御意」
グレイは短く呟くと、淡白に踵を返すのだった。
厚い鉄扉が棺の蓋のような音を立てて開く。
冷気のような潮風が滑り込み、灯籠の炎が小さく揺れた。
エマ、ルル、ファブリスは同じ牢。鎖で壁へ固定された鉄格子、床の錆に潮が滲む。
マリナだけは一つ扉を隔てた向かいの独房へ。
彼女の牢の前には兵士が二重に立ち、交替の合図も規律正しく、無駄がない。
そこへサイラスがやって来る。
「告げる」
その声音は宮廷の判決文のように硬い。
いつものような愉悦的な表情は一切なかった。
「従者エマ。お前は俺の
「くそっ! 勝手なこと言ってんじゃねえ!」
格子を掴んだファブリスの指が白くなる。怒りで声が割れる。
「みんなに指一本触れてみろ。俺がぶっ飛ば——」
「クク、勇者よ」
サイラスは穏やかに指を一本立て、ファブリスの胸に向ける仕草だけをした。
指先で雷が小さく踊る。ファブリスの喉奥で声が止まる。
「言葉は選べ。俺はお前の心臓の鼓動を何度でも好きに止められる」
エマが一歩前に出る。
「私は未来永劫、マリナ様にのみ仕えます。あなたの“モノ”になることは絶対にありません」
その言葉に、サイラスは不敵な笑みを返す。
「反抗期の少女のような返答だ。だがよい。馴らす愉しみが増えるだけだ」
ルルは縄で手首を縛られたまま、サイラスを睨む代わりに、エマの袖をつまんだ。
「だいじょうぶ。絶対にみんな助かるから……」
しばらくして、マリナの独房に、足音が響く。
虚ろなほど澄んだ瞳に、陶酔の光が宿る。
「姉さん。また会えたね」
両手を鉄格子に乗せ、そこから伸びる指先が、格子越しにマリナの手を探す。
「……マシュー」
「やっぱり、ボクと姉さんは結ばれる運命だったんだよ。ボクたちの結婚を、みんな祝福してくれるんだ。嬉しいね。……楽しみだよ、マリナ姉さん」
マリナは指先を引き、片手で胸元を押さえた。
呼吸の上下に痛みが走る。声だけは形を崩さない。
「マシュー。わたくしは——あなたの姉ですわ」
「うん。だからこそだよ……可愛いボクの姉さん」
目の前の少年は優しく笑う。
その表情は夢見心地であり、マリナを愛おしそうに見つめる。
「怪我、したんだね……。かわいそうに。でももう大丈夫。ボクと結婚したらもう痛い思いはしないから」
鉄格子ごしにマリナの頬に触れようと手を伸ばすマシュー。
その時。
背後で踵の音が止まる。
「そこまでですよ、マシュー」
ナタリー・エプシロンが女性兵士2名を伴って立っていた。
相変わらずその表情からは感情が読み取りがたい。
「この区画の見張りは女性兵士が担当します。規定により、不必要な接触は禁止です。退出を」
「ボクたちは結婚するんだ。仲を深める時間は——」
「規定、です」
抑揚なく淡々と告げる声。その一点で、マシューはたじろぐ。
年齢はマシューより一つ上。任務の達成率、父王からの信頼、序列——その全てが彼女に軍配を上げていることを当人も理解している。
「……わかったよ。じゃあ——おやすみ、マリナ姉さん。また明日来る。愛してるよ」
幼い祈りのような声色で手を振り、マシューは去っていった。
牢の前に残ったナタリーへ、マリナが静かに声をかける。
「ナタリー……久しぶりね。勉強は順調かしら?」
ナタリーの視線がマリナを一瞥して、すぐに逸れる。
「反逆者マリナ。あなたと私が話すことはありません」
丁寧で、整った敬語。
幼いころから変わらない“優等生”の話し方——なのに、あの頃よりも、そこには色がない。
「そう……真面目ね、相変わらず」
マリナはかすかな微笑を浮かべるが、ナタリーは反応しない。
彼女は女性兵士に指示を出し、持ち場へ戻っていく。
幼いナタリーと、庭園の端で一緒に本を読んだ記憶がはるか遠くに感じられる。
(ナタリー……あなたの心は、どこへ置いてきたの)
グレイトバースの城、尖塔の高みにある広い鏡の間。
少し幼さの残る外見の赤毛の少女が、足をぶらつかせながら巨大な鏡の前に腰掛けていた。
巻き髪に宝石のリボン、頬は薔薇色。
「鏡よ鏡。フォスター家の娘たちの中で一番美しいのはだ~れ?」
得意げな声の少女の問いに、鏡面が薄く波打ち、古語のような声が返る。
『それはマリナ様です』
頬がぴくりと引きつる。
「鏡よ鏡。フォスター家の娘たちの中で一番可愛いのはだ~れ?」
『それはアン様とチェルシー様です。』
「……ぐぬぬ。鏡よ鏡。フォスター家の娘たちの中で一番優しいのはだ~れ?」
『それはベラ様です』
「……んん゛っ! 鏡よ鏡ぃ! フォスター家の娘たちの中で一番かしこいのは誰なのっ!?」
『それはナタリー様です』
「むきぃぃっ……鏡よ鏡〜バ鏡っ! フォスター家の娘たちの中で一番強いのは誰!」
鏡台をパンパンッ、と叩いて最後に身を乗り出す。
『それは——クラリッサ様です』
ぱぁっと満開の笑顔。
「うんうん、よくわかってるじゃなぁい♪」
鏡は少女の満足げな笑いを静かに映し続けた。
彼女の笑い声が、別邸の廊下に軽やかに響いた。
数日後。
濃い霧が割れ、断崖が現れる。
黒い城壁、巨大な城塔、港に並ぶ軍船の列。
「……グレイトバース」
甲板へと引き出されたマリナは、懐かしくも忌まわしい輪郭を見つめる。
潮風が頬の傷に沁みる。
「到着だ。」
サイラスの一言で鎖が解かれ、縄が引かれる。
(まさか、こんなに早く戻ることになるなんて)
胸の内で言葉が転がり、喉の奥で熱に変わる。
(悔しい。でも——絶対に屈しない)
背後で、エマがそっと呼吸を整える音がする。
「マリナ様、私はマリナ様の盾……どんなことがあっても必ず守ります」
ファブリスは、口角だけで笑った。
「ここからだ。ここから取り返す。勇気を持ち続けるんだ」
ルルは両手をぎゅっと握って、いつもの合言葉を心で唱える。
(ステージオン……絶対、大丈夫。わたしはもっとたくさんの人に夢を届けたい)
「見ていなさいフォスター家——いいえ、お父様。わたくしはあなたの“失敗作”などではありませんわ」
彼女の"PRIDE"は失われていない。
反逆者と呼ばれた最強の王女は、再び故郷の石畳を踏みしめた。
その足元で、小さく、しかし確かな炎が揺れていた。
——赤い髪が、海風にそっと揺れた。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
これにて「第二章」終了です。
PRIDE ~追放された最強王女、爆破で全部吹き飛ばしますわ!~ 第一部 蟒蛇シロウ @Arcadia5454
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