隣のあなた

かなぶん

隣のあなた

「大変にゃ! 暫定ご主人が攫われたにゃ!」

 扉を開け放つなり、真っ青な顔で叫ぶ少女。

 猫耳のような形のオレンジに白が入り交じった髪を振り乱し、金の眦に涙を溜めたその姿は、いつもの彼女にはない悲壮感に満ち満ちていた。

 しかし、そんな少女をちらりと見たこずえは、読書中の本へ視線を戻した。

「そう」

「そう……って、魔女様! ウソじゃにゃい! 本当に、ミミの目の前で、暫定ご主人は攫われたにょ!」

 素っ気ない梢の返しに必死に訴えかけるミミ。

 この思いが通じたというよりも、うるさくて読書に集中できないといった様子で本を閉じた梢は、ミミへ向けてため息一つ。

「別にミミの言うことを疑ってないわよ。ただ……あのね、ミミ? この館の主は誰? この空間は誰が作ったものかしら?」

 現世との境界に存在する館。

 居候するには大それた場所の由来を問えば、一先ず涙を引っ込め、鼻を啜ったミミがおずおずと答える。

「えと、えっと、暫定ご主人……?」

「正解」

 言って手を伸ばした梢は、ミミの頭を撫でつつ、

「だから、ね。もしも御影みかげちゃんに何かあったら、そもそもこの場所自体に異変があるはずなの。でも何もないでしょう? つまり、御影ちゃんは無事ということ」

「でも……」

「……ミミはその場面に出くわして驚いたかもしれないけど、御影ちゃんは特に抵抗しなかったんじゃない? 本当に、御影ちゃんの意思に関係なく攫われたのだとしたら、この場所はこんなに穏やかではいられないから」

「それは……そうかも?」

 あやすような言葉に、梢が座る椅子の傍で跪くミミ。

 預けられた膝上の頭を撫で撫で、梢は言い聞かせるように続けた。

「大丈夫よ。御影ちゃんはああ見えてとっても強いから。まだ戻ってこないのなら、何か理由があって留まっているだけ」

「うぅ……でも、たくさんがうわーって来て、がーって暫定ご主人攫ってったにょ。たくさんにょ人形がいきにゃり、ぐおーって。追いかけてもいにゃくて、ニオイもにゃくにゃってて」

「……まあ、状況は分からないけど、要は人形が御影ちゃんを攫ったってこと?」

「うん」

「じゃあ、なおさら大丈夫よ。なんたって御影ちゃんはこの人形館の主なんだから」

 梢がそう気楽に言えば、ようやく緊張がほぐれたのか、ミミの姿は一匹の猫に変わり、膝の上で丸くなった。その姿に笑んだ梢は、見た目ほど重くもない身体を数度撫でると、再び読書へ戻る。

 ミミに告げた通り、梢は真実心配していなかった。

 この屋敷の主である御影は、彼女が心配などしていい存在ではないのだから。


 ――とはいえ。


「丸一日音沙汰なしってのはどういうことよ!!」

「ま、魔女様、落ち着いて!」

 昨日、ミミの涙を鎮めたのとほぼ同時刻に苛立ちを叫ぶ梢。

 今もって心配はしていないが、一昼夜音信不通は只事ではない。

 何より、

「明日は学校なのよ!? そりゃ、一日くらいならお休み連絡でいいけど、どれだけいないかも分からない内から、練れる対策なんかあるわけないでしょうが!」

「あ、アタシに怒られても困るにゃ」

「怒ってない! 困ってるの!」

「うにゃあああ……」

 つり上がった目、紅潮した頬、強い語気……。

 どこからどう見ても怒っているようにしか見えない梢は、戸惑うミミを尻目に、白い指揮棒に似た杖を取り出した。

「こうなったら、迎えに行くわよ」

「にゃっ!? ま、魔女様、暫定ご主人の居場所を知ってたにょ!?」

「知るわけないでしょ。だけど、見失うほど弱くないのよ、御影ちゃんは」

 言うなり、白い杖を一振りした梢。

 遅れて軌跡通りに空間が裂けたなら、極彩色のそこに躊躇いなく入っていく。

 呆気に取られるばかりだったミミは我に返ると、慌てて後を追っていった。


* * *


 極彩色の空間で、入った時と同じように振られた白い杖が空間を裂く。

 その先に目当ての姿を見つけた梢は、見慣れない格好に眉を寄せた。

「御影ちゃん……これってどういう状況?」

「あ、梢さん」

 特に挨拶もなく尋ねたなら、御影はどこかほっとしたような顔をした。

 ――見慣れない、古風な和装姿で。

 金の屏風の前で親王台に似た台に座るその姿は、冠や脇差しはないものの、ひな祭りに飾られる男雛に似ていた。

(ううん、似ているどころか、これはたぶん……そういうことよね)

 梢の視線が、御影から元凶と思わしき集団へと移る。

「わー! 暫定ご主人、かっこいいにゃ!」

「ありがとう、ミミ」

 背後のやり取りの声はほどほどに大きい。

 しかし、何やら揉めに揉めている様子の集団はこちらに目もくれず、自分たちの話題にのみ集中しているようだった。

 梢が近づき、傍で聞いていても誰も気づかず、

「だから! 私が旦那様の隣に座るのよ!」

「貴方じゃ華がないわ! わたくしの方が相応しいでしょう?」

「着替えもできない洋装は引っ込んでなさい!」

 等など、口々に女性型の人形たちが言い合いする傍では、

「み、皆さん、そろそろ決めないと明日になってしまいますよ?」

「そうそう、当日までには終えていただかないと」

 男性型の人形たちが悲壮感たっぷりの声を上げている。

(金屏風やぼんぼり、赤い敷物。御影ちゃんの格好と空いている隣の台。揉めている人形の種類、そして、明日……そっか。明日って)

 合点がいった梢は、白い杖で一番近い男性型の人形を突いた。

「いてっ!? な、なんだよいきなり」

「ねえ、これって明日のひな祭りのお雛さまを決めようとしているの?」

「はあ? そんなの見れば分かる……うげ!? なんで人間がここに!?」

「ただの人間が来られるような場所ならその反応もありだけど。その目は作り物だとしても、動けるなら節穴ではないかしら?」

「うっ! ま、魔女か……? しかもその容姿……彼を連れ戻しに?」

 放っておけば増援を呼びそうな人形に、梢はもう一度、先ほどより強い力で白い杖を突きつけた。

「早合点しないで私の話を聞きなさい。これはお雛さまを決めようとしているのよね? 明日のひな祭りのために。で、ひな祭り後は御影ちゃんを解放する……でしょう?」

 確認ではなく、その後まで断定して聞けば、突かれた箇所を抑えて悶えていた人形が、首をガクガク上下に振った。

「も、もちろん、そのつもりだ。彼さえよければこのままいて貰おうとも思っていたが、彼には帰る場所があると聞いたから、せめてひな祭りまでは、と」

「そのくせ私たちへの連絡は許さず?」

「うっ……ほ、本当はすぐにでもそうすべきだと、私は考えていたのだ。特に、彼のところにいる魔女――貴方には伝えるべきだと。だが、あそこのヤツらが、ヘタに連絡したら彼がいなくなると言い出して、せめて女雛が決まるまで待つように」

「で、いつまで待っても決まらないから、連絡しそびれて今に至る?」

「うぅ……」

 冷ややかな梢の視線に呻く人形。

 これ以上責めても仕方ない。

「なるほどね。状況は分かったわ。でも、このままじゃいつまで経っても決まりそうにないわよね。明日はせっかくのひな祭り。貴重な人形中心のお祭りだって言うのに。じゃあ、これならどうかしら?」

 言って白い杖を一振りした梢。

 杖先がぴたりと御影へ向けられたなら、その姿は男雛から女雛の姿に早変わり。

 どこからともなく感嘆する声が無数に上がれば、自分の格好の変化に驚く御影と、きゃっきゃと喜ぶミミを見もせず、口の端を上げた梢が言う。

「お雛さまに誰がなるかで決まらないなら、御影ちゃんがお雛さまはどう?」

 これならさっさと決まるだろう。

 そう思っての提案は――……。


「何故、こうなるのかしら?」

「まあまあ」

 目の前で始まった、人形たちによるどんちゃん騒ぎ。

 紛れるオレンジの猫は、いつもの四つ足ではなく、人形たちに倣って二本足で千鳥足のような踊りを披露している。

 実に楽しそうである。

 これを恨めしく見つめる梢は、手にした笏で自分の膝をぺちぺち叩く。


 ひな祭りの主役は男雛より女雛だろう。

 そう考えて、御影を女雛にしたなら話は早いと考えた梢。

 だが、事はもっと厄介な方向に転がっていった。

 男雛選びに変わった途端、女雛で揉めていた人形は元より、女雛ならばと一歩引いていた男性型の人形たちまでもが、御影の隣に座りたいと殺到してきたのだ。

 そうして最終的に始まる、人形たちの武闘大会。

 男雛ならば力で決めるのが筋、ということらしい。

 思わぬ開催に逃げようとした梢だが、時すでに遅く、発案者兼元凶として審判を務めることになってしまった。

 それでも力という判断基準がある分、難航していた女雛決めよりも大会はサクサク進み、決勝戦を経てようやく決まった男雛の人形。

 が、ここで何を思ったのか、連勝に次ぐ連勝で気が大きくなっていた男雛は、事もあろうにこれからも御影の隣にいるのは自分だと言い出した。そうして何故か、居候でしかないはずの梢に戦いを申し込んできたのである。

 この時点で、深夜零時間近。

 ひな祭り直前も直前の宣戦布告。

 何より、普段の入眠時間を越えた末の暴挙にいよいよ我慢の限界を超えた梢は、眠気に任せてせっかく決まった男雛を再起不能にしてしまった。

 ――結果。

「でも、似合ってるよ、梢さん」

「御影ちゃんに言われると腹が立つ」

「ええ……そんなぁ」

 最終的に勝った方が男雛になる、という即席の決まりにより、御影の隣に据えられてしまった梢は、どこからどう見ても完璧に美しい御影の女雛姿に、頬を膨らませるのだった。

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隣のあなた かなぶん @kana_bunbun

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