夜行列車と妖精

倉沢トモエ

夜行列車と妖精

 あくる朝、列車は雪の中を走っていた。個室から顔を出すと、凍えた窓の向こうには白々とし始めた空が透けて見えるが、まだ暗い。


「おはようございます」


 車掌が通りがかり、列車は無事に国境を越えたと告げた。


「食堂車の準備もはじまっていますよ」


 ありがたい。起き抜けだが、熱いコーヒーにありつけそうだ。


   ◆


 身支度を済ませて食堂車に向かう途中、どうもわたしは早すぎたらしい。どの個室からもまだかすかにいびきが聞こえてくる。


「ああ」


 食堂車にも、[準備中]の札が下がっている。

 そうだ、車掌は『準備もはじまっていますよ』と言ったのだ。わたしが慌て者だった。

 だが個室へ引き返そうとしたその時。

 食堂車の中から言い争う声がする。

 それがだんだん大きくなる。


「失礼」


 扉を開けると給仕と料理番がにらみ合っていた。


   ◆


「条例違反ですよ」


 給仕の言い分をわたしは聞いた。


「このコーヒーカップの中なんです」


 カウンターテーブルの上に、大きいカップが伏せられている。


「妖精を閉じ込めるなんて」


 わたしは思い出した。

 国境を越えた先に、妖精のいる地域があると。


「妖精の虐待は条例違反です」

「虐待じゃないよ。食堂車に紛れてきたから人目につかないよう隠してあげたんじゃないか。これから火を使うから危ないしね」


 妖精が列車に紛れてくることなどあるのか。聞いたことがなかった。


「カップを伏せたところで相手は妖精だよ。僕のやり方が気に入らなかったらさっさと姿を消して逃げ出してるだろう。奴さんたちは僕らの一枚も二枚も上なんだからね」

「出してあげてください。氷の精なら溶けてしまう」


 双方のどちらの言い分がどうなのか、それすらわかりかねた。

 妖精について受けた諸注意は、給仕の言う通り虐待をしないという条例が主だった。慣れない外国人はあまり関わり合いにならないことだとも言われた。

 閉じ込めている妖精が氷の精だったとして、それを溶かしてしまったら、それも虐待に当たるのだろうか? なにも知らぬまま国境を越えてきた不用心が恥ずかしい。


「ほら」


 料理番がカップを上げた。


   ◆


 カップの下には何もなかった。カウンターテーブルのつやつやした木目があるばかりである。


「騒がしくしたから、いなくなったんだよ」

「きっと妖精は、この列車のことなんか嫌いになってしまいましたよ。あなたがいじめたから」


 二人はこの列車での仕事が長いのだろう。何度も妖精を見ていそうだしその生態もそれなりに詳しそうだ。


「すみません、つまらない話に巻き込んでしまって」


 仲裁のお礼にと、熱いコーヒーが出された。

 望んでいたものを得ることができたが、わたしは妖精に出会い損ねたことを少しだけ惜しく思った。

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夜行列車と妖精 倉沢トモエ @kisaragi_01

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