KISS & SMILE MACHINE.2025.02.22.

紙の妖精さん

When you wake up in the morning, you are asleep, and this world is the history of a sacred star.

イイスは、小学校のカウンセリング室の白い椅子に座っていた。時間は無表情に過ぎていった。


「つらいです」


そう言った瞬間、先生は何も驚いた様子もなく、ただうなずいた。そして、机の引き出しから小さな銀色のカプセルを取り出し、イイスの手にそっと乗せた。


「KISS & SMILE」


先生は微笑みながら言った。


「この薬を飲めば、心が楽になるわ。辛いことも、悲しいことも消えて、毎日が幸せになるの」


イイスは無言でそれを見つめた。


一週間前、親友のルミナもこの薬を処方された。そしてその翌日、ルミナは亡くなった。


「事故だった」


大人たちはそう言っていた。でも、イイスは知っている。ルミナは薬を飲んだあと、ぼんやりとした顔で学校を歩き、まるで夢の中を漂っているようだった。そして次の日、彼女は屋上から転落した。


本当に事故だったのだろうか? それとも……


イイスは、震える手で薬を握りしめ、学校のカウンセリング室を出た。



学校を出て、なんとなく歩いていると、ふと目に留まったものがあった。


「キスとスマイルで世界を救う」


そんな言葉が書かれたカラフルなポスター。


ポスターの下には、こう続いていた。


—— 無料のキスと笑顔を提供するイベント、開催中! ——


なんだろう?。


イイスの足は、なぜかポスターに描かれたカフェの住所へと向かっていた。




カフェの扉を押すと、やわらかなベルの音が鳴った。


店内は暖色の灯りに包まれ、ふわりと甘い香りが漂っている。壁には写真やポスターが貼られ、テーブルにはカップが並び、人々が楽しげに笑い合っていた。


イイスは戸惑った。



「いらっしゃいませ」


ふと目の前に立ったのは、明るい笑顔のウェイトレスだった。


「あなた、疲れてるね」


彼女はそう言うと、イイスの頬に軽くキスをした。驚いて後ずさるイイスを見て、ウェイトレスは優しく微笑んだ。


「ここではね、みんな、心からの笑顔を取り戻すんだよ」


イイスは、そっとポケットの中のカプセルを握りしめた。


そして、ポケットの中から、小さな透明なカプセルを取り出した。


KISS & SMILE。


小さな銀色の文字が光を反射している。


ウェイトレスはカプセルを見て、静かに息を吐いた。


「……これは…」


ウェイトレスはカプセルを指でそっとなぞるようにしながら言った。


「このハッピードラッグは、悲しみや絶望を排除したいという、この世界の“欲望”が作り出したんだと思う」


「世界の……欲望?」


イイスは聞き返した。


ウェイトレスはゆっくりと頷く。


「負の感情をなくせば、きっと人はもっと生きやすくなる。みんなが明るく、楽しく、前向きになれる。だけど……」


彼女は少し言葉を切り、イイスの目を見た。


「薬で負の感情を消し去るのは簡単だけど……悲涙、痛み、自分の負の感情と向き合うことは不幸せなことばかりでは無い………。」


イイスは幸せってなんだろうと思った。


ウェイトレスの手のひらの上で、KISS & SMILEのカプセルが冷たく転がった。



「イイスちゃん、もしよかったら……」


ウェイトレスは少し考えてから言葉を選んだ。


「ここのキャンペーンのスタッフとして参加してみない?」


「スタッフ?」


イイスは思わず聞き返した。


「そう。落ち込んでる人にお茶やコーヒーを入れたり、無料のキスと笑顔をプレゼントしたりする。そんなに難しくはないと思う、どう?」


イイスはウェイトレスの顔をじっと見た。


「……私?」


「うん、イイスちゃんがよければ。」


イイスは少し迷った。だけど、ウェイトレスの優しい目を見ていると、不思議と心が落ち着いた。


「やってみる」


そう答えると、ウェイトレスはふっと微笑んだ。


「よかった。学校が終わってからここに来てくれれば大丈夫だから、1日1時間くらいでいいよ。それにね、ちゃんとアルバイト料も出すからね」


イイスは驚いたようにウェイトレスを見た。


「お金、もらえるの?」


「もちろん。大切な仕事だからね」




イイスは、それから毎日、学校が終わるとカフェへ向かった。


最初は慣れなかった。見知らぬ大人たちにお茶を出したり、ぎこちなく「元気出してね」と笑顔を向けたり。キスなんて、ほんの軽く額や頬に触れるだけでも恥ずかしくて、最初の数日はぎこちなかった。


だけど、不思議なことに、彼女がそうするたびに、カフェに来る人たちの顔が少しずつ明るくなるのがわかった。


「ありがとう、なんだか少し楽になったよ」


そう言われたとき、イイスの胸の奥がふっと温かくなった。


ただの笑顔や、小さなキスだけで、人の心が軽くなるなんて思ってもいなかった。でも、それが確かに誰かの助けになっているのを感じると、イイス自身の中にも、少しずつ生きる力が湧いてくるような気がした。


彼女はまだ、この世界のことも、自分の気持ちのことも、よくわからない。


でも、ひとつだけ確かだった。


「ここでの時間は、悪くない」


イイスは、そう思った。



ある日、イイスはカフェにいつものように行くと、少し迷うような表情を浮かべながら、ポケットからKISS & SMILEのカプセルを取り出した。


それを、ウェイトレスに差し出す。


「これ、処分してください」


ウェイトレスはイイスの顔をじっと見つめ、静かに頷いた。


「わかった」


そして、イイスの頭を優しく撫でた。彼女の目には、どこか温かさと安堵が混じっていた。まるで、長い間抱えていた重荷を降ろしたようなイイスの姿を、ウェイトレスは感じ取ったのかもしれない。


「ありがとう」


イイスは小さく呟く。


ウェイトレスはカプセルを丁寧に受け取り、無言でそれをしまった。




イイスは、学校を卒業した後、カフェに就職することを決めた。カフェは相変わらず、笑顔とキスを提供し続けていたが、イイスはもう、薬(KISS & SMILE)を必要とはしなかった。


就職したカフェでイイスはそれまで以上に積極的に働いた。


政府はKISS & SMILEを製造し続けた。誰もがその薬を持っていたし、それを使うことが普通のこと。薬がなくなることはなかった。


ある日、イイスはカフェのカウンターでふと考えた。薬で人々の負感情を消すことを………それを選ばず、自然の感情にまかせて生きる…………笑顔と心のつながりを求めた自分は、正しかったのだろうか。イイスは、心の中で自問自答していた。この世界は、彼女を試すように、優しさを与えたり、奪ったりする。


だけど…きっと、自分が選んだ道は間違っていない。


笑顔が、少しでも他の誰かに届くのなら…………。


カフェの窓の外に広がる街を見つめた。


悲しみは絶望があるからこそキスや笑顔が意味を持つ。


イイスは今日も笑顔でお客さんを迎える。心からの笑顔で………。

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