かめら

@sakuram0chi

出会いと別れ

私、病気なんだ。


その言葉が静かな図書室に響いた。


声が出なかった。


いつも皆の輪の真ん中でふざけているように、どうせ暇つぶしのジョークだろうと思い笑ってごまか そうとして、君の方を見た。


返す言葉が見つからなかった。

いつものように笑っていた。


けど、泣いていた。


女の子が泣いているなんてどうしたらいいかわからない。


とりあえず泣いている顔を見ていないふりをして、いつものように 「そう」 と冷たく返した。


驚いたことに彼女は、いつものように声を出して笑った。


「あははっ!不思議くんはおもしろいね~」


「... どうも」


どうせお世辞だろう。君は僕のことを不思議くんと呼ぶ。


僕が君と呼ぶのを真似したかったらしい。


余計に意味がわからない。


少し沈黙が続いた。


本当は、僕から何て言えば、君の涙が止まるのか分からなかったから。


何も言えなかった。


「、、、本当だよ。病気。肺の癌なんだ。ステージ4の。余命は持って一年ってとこ。」

癌。そう聞いて思わず本を読む手が止まった。

5歳のとき、僕の母親が肺の癌で亡くなった。そんな事を思い出してしまった。


日に日に笑顔が暗く、少なくなっていく母親の姿が元気な状態でないことなんか、小さな僕にも分 かっていたんだ。


けれど、気付かないふりをしていたんだ。 僕は彼女に

「僕にそんな話をして意味は生まれない」

と少し冷たすぎる言い方をしてしまった。

彼女は笑った。


「うーん、、、不思議くんだから! いいの!」 意味がわからない。


さっきまでの涙が嘘だったかのように彼女ははじけるような笑顔で笑った。


その時突然、彼女は言った。


「毎日一枚。私を撮って」


全く意味不明だ。


「毎日一枚だけ、その日の中で一番綺麗だなと思った私の姿を撮るの。」


「私が死ぬまで。そのカメラで。」


手元のカメラを見つめた。


そんな言い方、半強制的じゃないか?と思ったけれど、彼女は良いと言うまで僕を離すつもりなど無 いのだろう。


だから、ついつい、わかった。

と言ってしまった。


生憎僕は、風景画を撮ってばかりで、人物の写真を撮ることはほぼ無いから、君を風景の、思い出の 一部として捉えることにした。

僕のこの大切なカメラはCanonのEos。 母親の形見でもあるこのカメラは、少し年季が入っているけれど良いカメラだ。

撮った写真は味が あって少しレトロな感じと画質の良さがいい感じに入っている。

手のひらサイズで持ち運びやすい カメラだ。だから僕はこのカメラを大切に持ち歩いてい 彼女と出会ったきっかけもこのカメラだった。


僕が校庭の真ん中にぼつんと咲いた花を撮っていた時、君は嬉しそうに


「花、好きなの?」


と聞いてきた。


少しびっくりした。彼女はいつも皆の輪の中心にいる人物であり、僕のような教室の端っこでずっと 趣味に没頭しているような人物には興味ないと思っていたから。


僕は写真を撮ることが好きなだけで、花はそこまで特別好きでは無い。

けれど、別に嫌いなわけじゃ ないから。

「まぁまぁかな」

と少しそっけなく返した。


そこから彼女は僕を見かける度に声をかけてきた。

正しく言えばちょっかいなのかもしれないが。

人気者な君のことが好きなのであろう人たちに睨まれてる気がして少し嫌気がさしたから僕は誰にも 見つからないような場所でこそっと写真を見返すのが密かな日課になっていた。

けれど彼女は僕を見つける。

必ず。

どんなに難しい場所でも探偵のように必ず見つける。

そうして逃げられないと分かった僕は諦めることにした。

これじゃ彼女の言いなりだ。

思うツボだ。

と思うかもしれない。

けど余命のある彼女にそんな厳しい事を僕は言える気がしなかった。

なんだか母と重なった気がしたから。

今日は初めて写真を撮ろうと約束していた日だ。

昼休み、一緒にご飯を食べようと彼女から約束してきたのに、約束の場所に彼女は来なかった。

放課後、僕は部活に入っていないから、いつも校舎の裏にある図書館に来ている。

図書館と言っても そんな立派なものでは無く、いわゆる古い館に本が沢山置いてあるだけ。

だから誰一人としてこの古い建物に興味なんて無い。

すごく静かで、僕がたまに掃除をしているのできれいな状態を保つ事が出 来ている。

この館の掃除も楽しいものだ。

たまに掃除をしていると古い本や昔の地図のコピーなど意外と珍しい ものが見つかって楽しい。

宝箱を開けるようなドキドキ感はやっぱり、いくつになっても良いものだ な、と改めて感じながら今日もほうきを手に取る。

そんな事をしていたら、急に、彼女のことが頭に浮かんだ。


きっと、きっと彼女のことだから約束なんて忘れていつものように友達と楽しく話していたんだろう。


そう信じていた。


不意に、本棚の奥の部屋から、すすり泣くような声がした気がした。


気になって覗いてみると 「彼女」が居た。


驚いて「えっ」と声が出てしまった。

彼女は僕の声ではっとして顔を拭い僕の方へ振り返った。


そして笑った。


「不思議くんだ! 今日は約束破っちゃってごめんね~。忘れちゃってた!」


あんなに楽しみそうにしてたくせに、そんな馬鹿なことあるか。


と思ったけれど、明らかに泣きじゃ くった彼女の顔を見て、なんて言えば良いのだろう。

という事しか考えることが出来なかった。

でも 僕は知っている。

上手く笑えない時の君は、本心から笑えてないときの君は、右耳を触る癖がある。

色々考えてたけれど、彼女は僕が何も言えていないのを見て、察したのだろう。


「もう私に付き合わなくて良いよ、ごめんね、振り回しちゃって。」


と、鈍感な僕にでも一目で分かるくらいの泣きそうな顔で言った。

僕の横をすっと通り過ぎようとしたその時


「僕の母。僕が3歳のときに癌で亡くなったんだ。」


何を言っているのか自分でも分からない。でも、でもだめだと思ったんだ。


このまま関係が終わってしまうのは、


泣いている彼女を離してしまうのは。


彼女は振り返って、驚いた顔で僕を見ていた。


「3歳の時、僕の母も癌だということを知った。僕は小さかったけど、母がどれだけ苦しんでいたかは 理解してた。」


彼女を傷つけないように、また泣かせないように、言葉を慎重に選びながら話した。


「そう、なんだ。 」


「頑張ったね。」


頑張ったね。

そう言われてなぜか、目頭が熱くなってしまった。

母が居なくなった悲しみを埋めるように仕事に打ち込み続ける父。

涙が枯れるほど泣き続け、魂が抜 けてしまったかのようになってしまった姉。

「死」の意味を理解できない小さな僕。

そんな事を思い出して少し、泣きそうになった。 お返しとは言わないが、


「君のほうが、頑張ってるよ。」


と言うと、 彼女は、ありがとうと小さな声で言って、また後ろに振り返った。


でも、もう一度振り返って、連絡先を交換しよう。と言ってきた。

彼女は右耳を触って笑いながら、 嫌なら大丈夫。

と笑った。


その時、理屈じゃ説明出来ない衝動が、僕の中をぐわっと駆け巡った。


僕はその瞬間、カメラを手に取りシャッターを切った。


自分でも何をしたか分からなかった。


彼女は驚いた顔をした。


けれど、笑った。


「ごめん、急に撮って。消すから安心して。」


彼女は僕のカメラを取り、写真を見て、


「うん、よく撮れてる。可愛いとは言えないけど笑」

「約束通り今日が初めての撮影記念日だね。」

彼女は笑った。

今度は本心のようだ。

家に帰ると、彼女からメッセージが届いていることに気がついた。


「私がもし、死ぬのが本当はすごく怖いって言ったらどうする?」


手が止まった。


今日はそのことで泣いていたのかもしれないな、と思い、

「そっか、って言うと思う。」


本当はなんて返せば良いのか分からなかっただけだ。


「笑笑 相変わらずそっけないなぁ~」


彼女の顔が頭に浮かんだ。


もう容易に想像できてしまう君の笑顔。

僕は頭がおかしくなってしまった のだろうか。


君の笑顔が待ち遠しいなんて。


そこからの君とのメッセージは楽しいものだった。

友達とやり取りするのも悪くない。

少し時間が経って、写真を見返してみた。


息を呑んだ。


驚いた。


彼女の写真が美しかった。美しすぎた。


うっすら目に涙を浮かべて、下手くそ過ぎて笑えてくるぐらいの笑顔。


いつもは向日葵みたいな明る い笑顔で笑っているのに。


目は腫れているし、顔は泣きじゃくった感満載なのに。


なんとも言えない美しさがあった。


だめだ。

だめなのに。

僕は彼女に惚れてしまったんだ。


その日からの学校生活は楽しいものだった。


灰色に染まっていた僕の生活は、すべて彼女の色に染まっていた。


写真を撮った。


日が照りつける菜の花畑の真ん中

緑色の葉が泳ぐ川

光がきらきらと反射した波打ち際

傘が反射する水たまり

瞳に反射した花火

髪飾りがいっそう光る浴衣

艶めき滴る傘

雨上がりのバス停

満開の朝顔の隣

ダイヤモンドみたいにきらきら艶めく海

落ちかけの夕日が見えるベンチ

晴れ上がりの虹の麓

透明なガラスをつたる雫に反射する光

星空の下

風鈴が鳴る縁側

少し古いブランコ

流行りのかき氷屋さん

サーフボードが沢山立てかけられているお店

蝉の声が鳴り響く小屋

赤く変色してきた葉が成る木

空にぽっかり浮かぶ十五夜の月の下

道の影に一輪咲く彼岸花

黄色が金色に輝く金木犀の木

木枯らしの木の葉が舞う公園

鈴虫が静にかに鳴く川辺

凍る公園の噴水

白い息を吹く人々の中

イルミネーションのトンネルの中

絵本から出てきたようなサンタ

舞い落ちる雪の中

透明な氷が張るスケートリンク

光が反射するくらい白く眩しい雪山

薄い桃色に色づいていく木

蒸し暑いいちごのビニールハウス

花見客が桜が降るのを笑顔で迎える賑わった公園

桜の花びらが舞い落ちる野原の真ん中

光が差し込む縁側

畳の真ん中に儚くも力強く座る雛人形の隣

季節の花々が花壇に行儀よく座る通学路

少し暖かい風が吹く駅のホーム

日光をたくさん浴びて、おひさまの匂いがする芝生の上

元気に空へと手を伸ばすように成長する草花

空に恋い焦がれてしまうほど美しい夕焼け

自由を象徴するかのように舞う鷺の群れ


長い時間を、カメラに収めた。


美しい場所で美しい君を撮った。

数え切れないほど。

すべて彼女が眩しいくらい笑っている写真だった。


余命のことはあれから一度も口には出さなかった。

ふたりとも。


彼女は美しかった。

僕が持って無いものすべてを持っていた。


そんな彼女に僕は惚れてしまったんだ。

苦しいほどに。

そんな恋が叶うとは思っていなかった。

でも少しだけ、少しだけは、彼女も僕のことが好きなんじゃないか。と思っていた。

でも心ではわかっていたんだ。


こんな僕を好きになってくれるはずがなかった。


けれど、そんな馬鹿げた望みに微かな期待をしてしまった。


彼女は写真を撮っている事にお礼がしたいと言ったが、ゆく先々で見る君の笑顔は何よりも価値が高 いものだと思い断っている。


不思議くん。


そう呼ばれるたびに、自分の名前よりも特別な温かい感情が胸に広がった。


僕は彼女への気持ちが毎日溢れた。


こんな幸せな毎日が当たり前のように続くといつからか思った。


だからこそ、このまま彼女に甘えてなんとも言い難い関係を続けてしまうのはなおさらだめだと思 い、僕なりの決心をした。


そんなある日、事件は起こった。


僕は君と放課後に図書館で集まるのが毎日続いた。

いつものように君が来るのを待って居た。


今日が勝負の日だ。


僕だってやるときはやるんだ。


飛び跳ねるようにうるさい心臓と真っ赤な顔を落ち着かせるのには時間が必要だった。

でも時間は十分過ぎるほどにあった。

彼女は空を飛ぶ白鳥のように気ままだから、来るのが遅くても別に気にしたことはなかったが、今日 は来るのが遅すぎる。


流石に僕も帰らないといけない時間になってしまった。


バケツをひっくり返したような雨が降る帰り道を歩きながら、携帯の彼女との会話を眺めていた。 約束もしていないのに今日はどうして来なかったのか何て聞いて良いのか。

けれど君の事が心配な気持ちが勝ってしまった。


「今日はなんかあったの? 大丈夫だった?」


何度も何度も文を消しては書き消しては書きを繰り返してやっと書けた文だ。


本当はもっと聞きたいことがあったけれど、しつこく聞いても気分を悪くさせてしまうかもしれない と思い、僕なりのシンプルなメッセージを届けた。


暗い暗い夜の中、見覚えのある制服姿で棒立ちしている女の子を見つけた。


「彼女」だと思った。


僕は彼女の名を初めて呼んだ。


「彼女」は少し振り返った。


遠くて表情は見えないはずなのに僕には少し微笑んでいるように見えた。


その瞬間。


太い鉄が切れるような、ちぎれるような、ギギッと鈍い音がした。


同時に、僕の息が止まった。


黒くて、大きい看板のような「何か」が彼女の上に落ちてきた。


手を伸ばした。


届くわけが無かったけれど、反射的に手を伸ばした。


彼女の笑顔が頭に浮かんだ、一番最初の写真。


下手くそな笑顔と爆発しそうなくらいバクバクなる心臓の音だけが僕の中で響いた。


嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


体が凍りついたようだった。


本当に自分の足なのかと疑うほど、少しも動かすことが出来なかった。


暗闇の中で、彼女の靴が溺れていた水溜りに濃い赤色が混じっているのを見た気がした。


眼の前が真っ黒になって、体が強く地面に打ち付けられた音を最後に、僕の意識は遠のいた。


目が覚めた時には、病院のペットの上だった。

僕の寝ていたペットの横にも、カーテンを隔ててもう一つ、誰かが寝ているベットがあった。

怖くて仕方がなかった。

悪夢のように何度も彼女が押しつぶされるシーンがフラッシュバックした。

勇気を出して、立ち上がった。

彼女は、 眠っていた。

彼女の呼吸をする音が妙に大きく感じた。

布団が上下している姿を見て、安心して足に力が入らずカタンっと音を立てて床に座り込んでしまった。

言葉にできない感情が涙となって頬を伝った。


その時。

彼女の瞼が開き、体を起こした。 彼女は言った。


「こんにちは。どうして泣いているの? もしかして誰かのお見舞いに来た子?」


冗談、なのか。

本当なのか。


僕に分からないはずが無かった。

「本当に僕を覚えていないの」


彼女は困った顔をした。


記憶、喪失


確信した。


暫くその場に立ち尽くしていたが、先に口を開いたのは彼女だった。


「えっと、私の親戚の方なんですか?」


記憶も無いまま見ず知らずの男が居たら怖いに決まっている。


僕は何と答えれば良いのか分からなかった。


友達、親友、どれもこれもしっくりこなかった。


ましてや恋人なんて言えるはずもないし僕なんかがそんなことを言っても良いのかと思った。


僕は悩み、声を震わせながら

「友人です」

と言った。


彼女は、右耳を触りながら、下手くそな笑顔で、


「あ、友達! そっか、私にも友達がいたんだ、 」


「良かったら私がどんな女性だったか教えてほしいな」


そう言った。


知っている。


僕は知っている。


そんな下手くそな笑顔だって、最高にキラキラ輝く笑顔だって、泣き顔だって、辛そうな顔だって嬉しそうな顔だって、全部知ってる。


君が言った言葉の一つ一つだって、僕は全部知ってる。


全部憶えてる。


でも、彼女は何も知らない、何も憶えていないんだ。


僕は僕は僕は僕は、彼女のことが大好きなのに、愛しているのに。


彼女は何も、何一つ憶えていないんだ。


気持ちを伝えておけば良かったんだ。


彼女に嫌われるのが怖くて、関係性が崩れるのが怖くて、踏み出すことが出来なかったんだ。


彼女に甘えていた。


甘えすぎていた。


僕はなんて情けないんだ。


実はあの日、彼女に僕から気持ちを伝えようと思っていたんだ。


こんな事、彼女に言ってももう冗談にもならないだろう。


もう後悔しても仕方がない事なんかわかり切っているのに、自分の不甲斐なさと意気地のなさに嫌気 が刺した。


そう思うと、目に涙が滲んだ。


黙って俯く僕に、彼女は優しく、

「無理しなくても良いよ」

と声をかけてくれた。


眼の前は溢れそうな涙で何も見えなかった。


こうしている今も、苦しいのも、悲しいのも、辛いのも彼女なのに。


顔を見られる訳にはいかなかったから、下を向いて話をし始めた。


「明るい、人だった。」

「いつもみんなの輪の真ん中に居た」

「暗い僕にも沢山話しかけてくれた」

「写真が好きだった」

「僕のカメラに興味を持っていた」


沢山話した。


彼女は小さな小さな声で、うん、うんと静かに僕の話を聞き続けてくれた。


涙は堪えきれなかった。


視界を覆っていた涙は床にỈれ落ち、止まらなくなった。


最後に、


「自分の辛さなんか誰にも悟られないように、笑顔を絶やさない人だった」


きっとくしゃくしゃだったけれど、顔を上げた。


そこには、目を見開いた彼女が居た。


「病気のこと、知ってるんだ」


小さく頷いた。


「私のことだから、誰にも内緒で静かに死んでいくと思ったんだけれどな」


死。口に出されると漠然とした言葉が妙に冷たくて体が震えた。


「君は、何を憶えているの」

「何も知らないよ」

「私の家族って名乗っている人がいっぱい来てくれたけど、みんなすごく、嘘に包まれている人たち だった」

「でも君は、私を見たときに、他の人とは違う反応をしてくれたね。」

「私は目が冷めてから何も信じていなかった。お医者さんだって、病気のことを話してくれたけれ ど、私は何も信じられなかった。信じたくなかった。」


「でも体だけは全て憶えてた。君に会ったとき、なんかすごく安心した。」


もう不思議くんなんて呼ばれない。


その声に懐かしさと悔しさが残った。


でも嬉しかった。


こんな状況でも僕に目を向けてくれるのが。

声を殺して泣いていた。


こんな姿君には見られたくなかったけれど、止まらなかった。


彼女が言った。


「私、あと一週間も保たない。 」


彼女に視線を向けた。

穏やかな笑顔だった。

右耳は触らず、落ち着いていた。


死ぬことが怖くないのかと思った。


彼女は即答するだろう。


怖くないと。


覚悟はしているのだろう。


まだこんなに若い少女なのに、いくつもの苦い苦しい気持ちを背負う彼女に少し恐怖を覚えた。


本当はとても怖いはずなのに。

僕はこのままではだめだと感じた。

彼女は何も知らないまま死んでいくことになってしまう。


頼りない涙を拭い、僕に出来ることは何かと必死に頭を回した。


もう一度彼女の人生の一部で在りたいという欲から彼女を楽しませようと決心した。


記憶を取り戻しに行こうと言った僕に、彼女はなんの疑問も持たずに一言。


いいよ。


と、言った 彼女はあまり遠出が出来なかったから、病院の許しを得て君との思い出の場所を巡ることにした。


許されたのはたった3日間。


毎日を憂鬱に生きる人々にとっては、なんてことない3日間だけれど、 彼女と僕にとっては、何よりも、何を捨ててでも生きなきゃいけない3日間。


彼女が記憶を取り戻すことが出来たら良いな、という気持ちが大きかった。


けれど、少しだけ、僕だけが君との楽しかった思い出を忘れられずにいることが悲しかったんだ。


そんなの僕のエゴだってわかってる。


けれど、僕といた時間が楽しかったならば、なんて期待をして いたんだ。


彼女は笑顔で全てを受け入れてくれた。


本当は絶対に辛いはずなのに。


言葉では表せないほどの苦しみや後悔や悲しみをその細くて小さな体 で背負っているのを僕は知っているのに、何もすることが出来なかった。

代わりに背負う事も出来ず、支えるには若すぎる自分が悔しくてなんだか痛かった。


今にとっては遠い昔、君が泣いていたあの日のように、苦しんでいることに気づいていないつりをすることしか出来なかった。


君に写真を見せるか迷った。


勇気が出なかったからカメラはまだ隠したままだった。


記憶をなくした彼女は、今まで僕と話してきたことと全く同じ反応をしてくれた。


僕にとっては二度目の話や場所でも、彼女は初めてだからいつもすごく楽しそうにしていた。 愛しくて仕方がなかった。


自然に呼ばれる僕の名前に、少し違和感を感じた。


彼女が外に出れる最終日、三日目に不意に体が動いた。


夕焼けの見える公園のベンチで話をしている 時、暮れの日が彼女に当たって硝子のように輝く彼女の笑顔を見た瞬間、自分では抑えが効かなく なって、彼女へと腕が伸びた。


抱きしめた。


理性がきかなくて自分でも怖くなった。


でも、彼女は嫌がりもせずに笑った。


一生分の幸せをこの瞬間に詰め込んだような感覚だった。


そこからは幸せの余韻に浸りすぎてどう帰って来たのか覚えてすらいなかった。


まるで恋の魔法をかけられたようだった。


もう外に出れなくなる彼女はあっさりと、もう帰ろうと囁いた。


次の日は学校があった。


本当は行きたくなんかない。


僕がこうして何事もなく呼吸をしている間にも、彼女は今大丈夫なのだろうかと心配で心配で苦し かった。


休み時間になるたびにスマホを見続けたが、僕がなんと連絡しても彼女からの返信は来なかった。


その度に何度も何度も背筋が凍る感覚がした。 出会っていなかった事になってしまうなんて嫌だ。


今日は授業数が多い日だったため、帰る時には教室の時計は八時を過ぎていた。


最近は彼女のことを囲って騒いでいた連中も、最初から存在なんかなかったかのようだ。


少し苛立ちを覚えたが、そんなことよりも彼女のことしか頭になかった。


鉛のように重い足を引きずりながらも、家に帰って彼女に電話をかけた。


やっと繋がったのは病室の固定電話だった。


いつもは優しくて安心する声が悪魔の声に聞こえた。


「私、今夜が山かも」


乱暴にカメラを掴み、高校生にとっても暗くて重い夜道を走った。


行先は病院。


高鳴る鼓動と走馬灯のように流れる彼女の笑顔しか今の僕には感じることができなかった。


まるで自分の足じゃないかのように足はいつもより早く回った。


彼女がいる部屋についた。


息切れを抑え、口から漏れてしまいそうなくらい重くてぐちゃぐちゃな感情をぐっと飲み込んだ。


病室のドアに手をかけた。


怖かった、


「入らないの?」


僕の行動を見透かすように病室の中から声が聞こえた。


カメラを握る手が無くなってしまったかのように冷たく凍りついた。


勢いよくドアを開けた。



彼女は、なんだか半透明に見えた気がした。



いつものように微笑む彼女は、まるで明日も、明後日も、何年も何十年も生きるかのように強く見えた。


でも、彼女が肺を抑えているのが見えた。


どんなに苦しくても僕に目を向けて笑ってくれていた彼女が、今は仰向けで苦しそうに下を見て ドのシワを目でなぞっている。


こんな、少女が、一体何をしたというのだろうか。


まだたったの17歳だ。


なんの問題もなく生きている人間であるべきなのに。


詐欺も窃盗も殺しもしていない、罪のない使き少女が、一体何をしたというのだろうか。

僕は立ち尽くした。


沸々と沸騰するような怒りを覚えた。


こんな場所で消えて良い存在ではないのだ。


やるせない気持ちが喉の奥に引っかかった。


何も出来ない自分にも、今もをのうのうと生きている堕落した人間に。


八つ当たりだってわかっていた。


運命には逆らえないのだ。


だが、 眼の前の枯れる寸前の花は、笑っていた。


目の端に、涙が滲んでいるのが見えた。


先に口を開いたのは彼女だった。


「私、怖い。」


もう動けないであろう体に僕は目を逸らしたくなった。


彼女は泣いた。


そんなの当たり前だ。


今までずっと耐えてきたのだ。


誰にも悟られないように。


なのにある日全て消えてしまったのだ。


目を覚まして何も知らない自分に、あなたはもうすぐ死にます。

なんて、これ以上に理不尽で苦しい ことなどあるわけがない。


彼女を抱きしめた。


嗚咽混じりの泣き声に、僕も涙が止まらなくなった。


こうしている今にも、彼女は死へと向かう。


「写真が、あるんだ。」


涙を勢いよく拭ってカメラを起動した。


「え、、、、、?」


「君の写真。君に頼まれたんだ。」


「毎日一枚。沢山の場所を巡って、写真を撮ったんだ。」


震えながら写真を一枚一枚見せた。


エピソード混じりの会話は、堪えられない思いが出てしまった。


「好きだったんだ。君のことが何よりも。」


彼女は微笑んだ。


どういう意味なのかは僕にも分からなかった。


「もっと見せて。」


写真の枚数は終わりに近づいてきた。


彼女の反応が段々と薄く弱々しくなってきたのがわかった。


近い写真から見せ続け、最後の写真は、一番最初に撮ったあの下手くそな笑顔。


「次が、最後。」


手が震えた。


「見せて。」


彼女に言われ、最後の写真を開いた。


隣でヒュッと彼女が息を吸い込んだのが聞こえた。

彼女へと視線を向けた。


目を合わせると彼女は驚いたような表情をした。


「不思議くん、、、?」


「え、?」


なぜその名前を呼ぶのか。

彼女にしか呼ばれない大切なあだ名。


「不思議くん、不思議くんだ。」


「私、思い出した。全部。」


「戻ったの? 記憶、?」


「うん、うん! 思い出したよ、全部全部。」


弱々しく掠れ始めたその声は、僕にとって愛しくて愛しくて仕方がなかった。


抱きしめた。


「私も、大好きだったよ、不思議くんのことが。」


「本当に、、、?」


「もちろんよ。でなきゃ目を覚ました君のことがあんなに愛おしく感じるわけがないもの。」


「体は覚えていたんだね」


彼女は久々にふふっと笑った。


震える手で彼女はカメラを手に取り、僕を撮った。


「ほら、泣き顔。これでおあいこ。」


「プレブレだよ。また今度かっこよく撮ってよ。デートしながら。」


強く手を握った。


「そうだね。約束だよ。」


「もう泣かないで。いつか会えるから。絶対。 」


「大好きよ。世界で一番。何よりも。誰よりも。」


彼女の声は囁くように小さくなっていった。


「僕もだよ。何よりも君を愛してる。」


世界で一番強くて脆い愛しき女性にキスをした。


顔を遠ざけると、繋いでいた手から力が無くなった。



ピー



心電図のラインは憎らしく一直線になり、僕にしか届かない無機質な音が病室内に響いた。


ただ美しく眠っているように見える彼女を見つめた。


どれほど時間が経ったのかは分からなかった。


長い廊下の先からドタバタと看護師さんたちが駆けつけてきた音がした。


手を強く握り直し、もう一度キスをした。


冷たくなった唇は、彼女の死を実感せずにはいられなかった。


その日から僕は、いつか出会える彼女のために前向きに生きることにした。


大切な彼女の死の真相を知っているのは、このクラスで僕だけだ。


彼女が記憶をなくしたことも、取り戻したことも、僕以外の誰も知らない。


いつかまた出会えた時、想い出話をしよう。


そうカメラの中の彼女に問いかけた。


返事は来ないが。


カメラの中の彼女は、泣いていて、苦しくて、うんざりするほど愛おしかった。



愛しているよ。



いつまでも。



そう言うと、カメラの中の彼女が微笑んだ気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かめら @sakuram0chi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ