3話

 アイドルの、というか、ライブに参加すること自体が初めてだった。

 何をどうすればいいのか、勝手が分からない。

 チケットは電子で、スマホさえ持っていればいいらしい。

 あとは何がいるのだろうか。

 ペンライトだろうか。

 そんなもの持っていないし、どこに売っているのかも見当がつかない。

 結局、スマホと財布だけ持って、あとは手ぶらで会場に向かった。

 いいのか、こんなんで。


 開場10分前、会場に着くと、すでに多くの参加者がたむろしていた。

 男性と女性の比率は7:3くらい。

 思っていたより女性が多い。

 しかも、オシャレな人間も結構いる。

 自分のファッションを改めて確認する。

 全然、ただのパーカー。

 良くない気がしてきた。

 物販があると聞き、ちらっと覗いてみたが、橙花のグッズだけすでに完売していた。

 橙花がこの光景を見たら喜ぶだろうか、と考えた。



 入場後、自分の席を確認し、探す。

 席は全部で3000席とネットに書いてあった。

 それが多いのか少ないのか分からないが、実際目の当たりにすると、かなり多い気がした。

 こんな場所でパフォーマンスをするのか。

 そんなことを思いながら、自分の席を見つける。

 ステージまでの距離は遠い。

 まあ、こういうものなのだろう。

 橙花の姿がちゃんと見えるか不安だったが、その後自分の前に立つ人物の背がそこまで高くないことが分かり、ほっとした。


 ライブが始まった。

 音楽が鳴り、歌声が響く。

 ステージの上には5人の人影。

 センターは橙花。

 知らない曲だった。

 来る前にちゃんと予習しておけばよかった、と後悔する。

 周りを見ると、合いの手やコールらしきものがあるらしく、ファンの人たちはペンライトを振りながら声を出していた。

 どうしようかと思いつつ、ステージに目を向けた。


 その瞬間、目を奪われた。


 橙花のパフォーマンスに。

 目を逸らせなかった。


 この感情を、私は知っていた。

 感動、そう、神秘に触れたときの感動だ。

 どうでもよくなった。

 わたしが抱えていたあらゆる悩みが、どうでも。

 クラスメイトの視線も、橙花への罪悪感も。

 言葉にできない不安が、塗りつぶされていく。


 ああ、そうか。

 橙花がなぜアイドルになったのか、私は今、理解した。


 富士山になりたかったのか。


 あの圧倒的な自然。

 大きくて、どうしようもなく、すべてを飲み込んでしまう神秘に。

 あの日、橙花を覆い尽くした、あの感覚の正体。

 彼女を救った存在に、彼女自身がなりたかったのだ。


 それからの2時間は、あっという間だった。

 知らない曲ばかりだったけれど、どれも素晴らしいパフォーマンスに思えた。

 帰るころには、興奮しすぎてヘトヘトになっていた。

 同時に、明日から学校へ行こうと思った。

 橙花に謝らなくちゃいけない。



 翌朝、ホームルーム前に教室へ行くと、橙花がいた。

 昨日のような神秘を纏うでもなく、ただ、いつもの橙花がそこにいた。

「橙花……」

 声をかけると、彼女は振り向いて微笑んだ。

 謝罪の言葉を口にしようとした。

 それより先に、橙花が口を開いた。

「どう?びっくり巨乳だった?」


 アイドルは、こんなんでいいのだろうか。


 謝罪の言葉は迷子になり、代わりに口から出たのは

「私もアイドル事務所、応募しよっかな」

という言葉だった。


「ひはは」と橙花は笑い、

「俺がついてるぜ」と続けた。


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幼馴染がアイドルになった @mukimukihinanan

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