【番外編】カミツレに誓う(完全版)

 時は2200年代、バーチャル世界と現実世界が重なり合った街、ポートシティにて。

 バーチャルとリアル、双方の警備を担う治安維持組織STARSスターズでの、何て事はない昼下がりの出来事である。


 明るい窓際の休憩スペースで、紫咲ムラサキはのんびりとあたたかいカモミールティーを啜っていた。

 異世界からポートシティへと意識だけを潜り込ませているムラサキには、電脳世界の体――DeltAデルタしかない。いわゆるアバターであるそれが現実世界に顕現したところで、体は物を貫通してしまうし、帝都に住むリアルの人々にとって、ムラサキは幽霊も同然の存在だ。

 だが、技術が発展した2200年代では、バーチャル世界にさえ自分が存在していれば、デルタの体にも電脳世界の物質・マテリアルで作られた食品の味や香りは、しっかり伝わってくる。


 そんなムラサキの元へ、おもむろに寄ってくる人影があった。

 この春に出逢い、紆余曲折の末、プライベートでも仕事上でもパートナーになる事になった青年・夜明ヨアだ。

 彼はムラサキの目の前にやってくると、慎ましやかに、だが得意そうに胸を張った。


「ねえねえ。どうかな、これ」


 もう何度目になるかわからない台詞に、ムラサキは思わずカモミールティーを吹き出しそうになった。


 STARSの制服のマントには、胸元にきらりと隊の徽章きしょう――金色のバッジが光っている。

 笑っては失礼だ。そう思っても緩みそうになってしまう口元を、必死で紙のカップで隠して、ムラサキはぷるぷる肩を震わせながら答える。


「う、うん……よく似合うんじゃないかな」

「そうだよね。別に必要なモノじゃないけど、こういうのが目に見える形であると、仕事にも身が入るっていうか」


 口では何でもないように言いながらも、ヨアは得意満面だ。

 

 ムラサキとバディを組んではいるが、ヨアは警備部の隊長――多くの隊員達を率いて部隊の指揮を取り、戦闘の最前線に立つ立場でもある。

 その映えある隊長職にヨアが抜擢されたのも、今年の四月、ムラサキが入隊してくる少し前の事だ。


 まだ一般人と警備員として、お互いの立場の違いを気にしていた頃、ヨアはムラサキに対して、仕事や階級を進んで打ち明けるような事はしなかった。

 異世界から時空を渡って突然ポートシティに現れる人間の理屈は、未だに解明されておらず、本人にもなぜ異世界へログイン出来るのかはわかっていない。そんな彼らは“密航者”と呼ばれている。

 折しも、そんな密航者であるムラサキが現れたのを見計らったかのように、帝都では謎の紋様が体に入った人々による、異能の暴走事件が起こっていた。

 もし事件に絡んでいるとなれば、ムラサキの事をいつか、自分が捕まえなければならなくなるかもしれない。

 そんな不安から、ヨアはムラサキとの出逢いや交流を通し、仄かな恋心を抱きながらも、約一ヶ月もの間『自分はSTARSの隊長である』という事実を秘密にしてきたのだ。


 異能の暴走事件に関しては、未だにすべては解決していないが、少なくとも今回の一件に関しては、ムラサキは無関係であるという事は証明された。

 故に、懸念事項が全て解決し、ムラサキが仲間となり、晴れて両思いにもなれた今。ヨアは、ムラサキに自分の職務を誇れる事が、嬉しくて仕方ないのである。


 そんなヨアの可愛らしい一面を見てしまったムラサキは、彼のプライドや気持ちを傷付けたりする事の無いよう、内心非常に微笑ましく思いつつも、何とか普段通りの顔を装って、ヨアの為にソファの席を空けた。

 わざわざマントの襟からバッジを外したヨアが、それをムラサキに突きつけてくる。


「そうだ、ムラサキもバッジ見る?」

「う、うん。ありがとう。磨いてあげよっか?」

「えっ。そ、そんなつもりじゃなかったんだけど……で、でも、ありがとう」

(もう十回くらい磨いたんだけどね、そのバッジ……)


 徽章なんて形だけだから必要ない、と嘯きつつ、ヨアは隊長のバッジを相当大切にしているみたいだ。

 ムラサキがさわれるこのバッジも、もちろん実物ではなく、現実世界のバッジに重なり合って構成されたバーチャル世界のマテリアルなので、実際のバッジが綺麗になっている訳ではない。恐らく、ムラサキが手を出さずとも、ヨアは自分で本物のバッジを磨いてピカピカにしている事だろう。

 それでも、そっと掌に乗せられた小さな金の飾りを、ムラサキが柔らかい布と指先で拭いていくのを見て、ヨアは隣で眩しい物を見つめるように瞳を細めている。

 ムラサキに磨かせるのは下働きをさせてるみたいで嫌だ、とヨアは言うが、あまりに嬉しそうにするので、ムラサキはバッジを見せられる度に、必ず磨いてあげていたのだった。

 

「いいのかなあ、私みたいな人間がこんな大事な物触っちゃって」

「いいよ、サキの事は信頼してるし。っていうか、徽章って言っても物は物だからね。任務が激しければ落としたり失くしたりする事もしょっちゅうだし、再発行も珍しくないし……」

「でもヨアさん、これすっごく大事にしてるでしょ?」

「べ、べべべ別に、たかだかバッジなんてボクにとってはどうでもいいからッ! 大事なのは、隊長っていう立場その物であって……」


 そう言いながら、太陽の下で輝く鮮やかな色の目を露骨に逸らすヨアを見て、素直じゃないなあ、とムラサキは笑う。


「その隊長だって、苦労してなった物なんでしょ。ヨアさん、こんなに若いのに、ほんとすごいね」

「う……ま、まあボクなんて元はバイトからだし、一回辞めて警察にも行ってるし、色々立場があっちこっちしてるのに認めて貰えたのは、ボクの実力っていうよりは運も良かったからで」


 何故か急に謙遜してもぞもぞと声を小さくしてから、ヨアはムラサキのまっすぐな瞳に観念したように、小さく溜息を吐いた。


「……ホントは、悔しかったんだ。ボクを虐めてきた奴らがいる組織とか社会なんて、クソ食らえだと思ってた。でも、それで終わるのはなんか絶対に嫌で。とおる翔子しょうこちゃん達とも出会って、無我夢中になって走ってたら、たとえ貧乏くじを引きっぱなしでも、この街を守れたらそれでいいかって思えたんだよね。ボクが出来る事なんかたかが知れてるけど、それでも、手が届く範囲だけでも、何とかしなきゃって」

「ヨアさん……」

「だから、隊長って、本当はずっと憧れてた。そこに立ったら、見えないはずの物もボクの目で見えるようになるんじゃないか、いない事にされてた誰かも守れるんじゃないか、って思って……すごい幻想でしょ。サキ以外には内緒だよ」


 そっと人差し指を唇にあてて無邪気に笑う姿に、ムラサキの胸が苦しくなる。

 その誇り高い使命感やまっすぐな眼差しは、ともすれば純粋すぎて、とても壊れやすい物だ。

 それを抱えたまま、日々の困難にぶつかっていくヨアの事を、ムラサキは改めて好きだと思った。


 ヨアの祈りと気持ちが込められたバッジを、ムラサキは窓から差し込んでくる光に翳してじっと眺める。


「これ、カミツレ……カモミールの花がモデルになってるマークなんだね」

「そう。STARSのシンボルマークは、カミツレの花と茎に星が付いてて。隊長みたいな上級職に就くと、花とか葉っぱの数が増えるんだよね」

「素敵。花言葉は“苦難の中の力”かな。まるでヨアさんみたい」

「よく知ってたね?」

「元の世界で読んでた本に出てきたの」


 目を丸くするヨアに、ムラサキは苦笑する。それこそ、その花言葉への幻想と浪漫だけで、自分はよく覚えていたのだ。


「そういえば、デートに行った時も、ヨアさんはカモミールティーがノンカフェインのお茶って知ってたよね。私がお腹壊しやすいって話をしたら、喫茶店ですぐ頼んでくれて」

「ああ、まあ……」

「ヨアさんも、カモミールティーは好きだったの? 隊の徽章だったから?」


 たまたま知っていてムラサキに合わせてくれただけなのかと思ったが、ヨアは少し気まずげな沈黙の後に、頬を赤らめて首を振った。


「花言葉やSTARSの徽章に憧れてたのはホントだけど、元々結構好きだったんだ、カモミール。中学生の頃、眠れないって言ったら母親がよく持ってきてくれて……こんな時だけ母親面しやがって、こんな物効く訳ないって思ったのに、何故か寝る前に飲むとよく眠れて」

「あらら、そうだったんだ」

「今まで、あんまり人に言った事ないんだ……前に休憩室で飲んでたら、女々しいって揶揄われたから」


 そう零すヨアの話をじっと聞いていたムラサキは、ふと席を立って、バーチャル世界でも現実世界でも使えるウォーターサーバーの方へ向かった。

 新しく入れたお湯で、マテリアル製のティーバッグを抽出すると、紙コップに入ったカモミールティーを、ヨアに向かって差し出す。


「はい。私が作った奴だから、本物じゃなくてこの世界バーチャルでしか味わえないけど」

「ムラサキ……」

「だったら、これからいっぱい好きになろう。私も、カモミールのお花大好き。でも、ヨアさんの思いと徽章のシンボルなのを知って、もっと大好きになりそう」


 ふわっと笑うムラサキから、湯気の上がるカップを受け取ったヨアは、穏やかな表情でそれを一口啜った。林檎のような甘く優しい香りと、ほんのりした味わいが口の中に広がる。ほっと息をついて、ヨアは呟いた。


「よかった……サキがこの花、好きだって言ってくれて。サキのお陰で、ボクにもこの花と一緒に守りたいものが増えた」


 じっとこちらを見つめながら告げられた言葉の意図を汲んだムラサキは、人気のないソファ席で重ねられた手の温もりを感じたまま、煌めくバッジを反対の手でぎゅっと握る。


「ふふ、ありがと。でも、そんなにこのバッジが大切なんて、私ちょっとヤキモチ妬いちゃうな。私がプレゼントしたリボンと、どっちが大事?」

「まーたそういう事言う」


 わざと肩をぶつけたヨアが、楽しげに笑う。

 仕事中には見せない素顔を晒したヨアとの束の間の時間は、春の日差しの中で穏やかに過ぎていったのだった。


*****


 そして、時は流れ。

 あれから四年の月日が経過した。


 ここは、オメガバース世界にある、鈴木家の居間である。

 ひょんな事からオメガバース世界に流れ付いたヨアが、紆余曲折あってこの世界で家族同然に親しくなった直生なおの生家だ。


「で? 紫咲むらさきとの惚気話はわかったんだが、オレにどうしろと」

「だからッ、あの徽章きしょうがもう一度欲しいんだよッ!」


 昔の思い出話を滔々と語っていたかと思えば、ヨアが突然そんな事を言い出したので、直生は困惑していた。

 ちゃぶ台をひっくり返しかねない勢いで荒ぶっているヨアに、直生は若干引いた目を向ける。


「ほ、欲しいったって、お前、隊長職からはもう退いちまったんだろ……こっちの世界でモデルの仕事やる時に」

「そうなんだけどさ……そうなんだけどさあ……!」


 2200年台の弍本国にほんこくでは、かの事件の過程において、実は秘密裏に次元を行き来する方法が開発された。

 それによって、現在のヨアは、バーチャルの世界に限らず世界間を移動する事が可能になっている。


 ただ、それだけでは接続が不安定になるため、これまた都合よくヨアの前にバーチャルを超越する存在として現れたのが、“魔法”という概念だ。

 ヨアは魔法使いの夜羽よるは恵李朱えりす達の力も借りつつ、このオメガバースの世界では、モデル兼ダンサーとして活動している、という訳だった。


 それもこれも数年前、紫咲の恋人であると知りつつもヨアの事を気に入った直生が、ヨアを自分のいる世界に引き留めるべく仕掛けた、一世一代の大勝負が原因だ。

 しかし、結果としてそれがヨアの新たな才能を開花させる事にもなり、ヨア自身も表現活動を楽しんでいた。


 せんべいの置かれた、昔懐かしい座卓にでろんと突っ伏しながら、ヨアがぼそぼそと喋る。

 こんな弱気な姿は家の外では見せないので、直生は半ば面白い気持ちになりつつも耳を傾けた。


「一応、今だってステム社とかSTARSの仕事には関わってるんだよ……ダンサーって肉体労働だし、中途半端にする訳にいかないと思ったから、あっちの仕事はシステム整備とか最低限の顔出しだけにしてて。でも、やっぱりやりたいんだよ、警備……。あの、現場に出てヒリつくような緊張感の中で走り回る興奮が、なんか急に懐かしくなってきて」

(そう言えば、この間ヨアがオレの仕事の見学に来てた現場って、確か刑事モノの撮影やってたな……)


 ヨアは、俳優である直生と同じ事務所に所属している。

 その直生が出演したショートムービーでの役柄が、まさしく街を守る保安官だったのだ。

 狭いスタジオでありながら、壁を蹴って移動したり、ビルに見せかけた壁を登ったり、趣味で普段からバイクに乗っている直生の地の利を生かして、実際に外で走行場面を撮影したり、はたまたその現場で爆発を起こしてみたり。

 正直、映画でもない作品にこれはやり過ぎだろという所までやり切った撮影だったのだが、それが見ていたヨアの心に火を点けてしまったらしい。


 震える拳で、ヨアが熱弁する。


「だ……ッてさぁッ! 中学の頃からバイトしてるとはいえ、隊長にまでなったのあれが初めてだったんだよッ!? それなのにこっちの世界に飛ばされてきて一時的に記憶喪失になって、そのまんま芸能関係に転職しちゃって。ボクあのバッジ実質一年ちょいしか付けれてないんだけど!」

「い、言われてみればそうなるか……そりゃ確かにちょっと気の毒だな」


 ヨアが今の仕事を気に入っているのは確かだが、そもそもヨアがこのオメガバース世界に異世界転移させられて来なければ、そして直生がヨアに新たな道を教えなければ、彼の隊長生命が断たれなかった事もまた、事実なのである。

 どこか亡霊のように茫洋とした瞳で、ヨアが言った。


「ああ……直生があの警察手帳みたいなのを犯人に突きつけるシーン、カッコよかったな……あれ見たら、みんな息を呑んで黙っちゃってさ……ボクにカミツレの徽章があれば、この世界で最初に直生に会った時も、一発で黙らせてやったのに……」

「いや、異世界の組織なんかオレ知らねえし、そもそも記憶喪失だったんだからそれは無理だろ。バッジでいいなら、オレが段ボールで作ってやろうか?」

「そんなチャチな代物じゃ意味がないんだよッ! ボクは隊員として、ちゃんと責務と役割を背負った隊章が欲しいのッ」


 凄まじい我儘だが、幾ら演技だけでなく小道具を作った経験もある直生とはいえ、そこまでは再現出来そうにない。

 自分の演技や生き方が、そこまでヨアに影響を与えた事自体は喜ばしいと思いながらも、直生は困ったように頬を掻いた。


「まあ、お前の好きにすればいいけど……向こうの世界で、今から隊長職に復帰って出来るのかよ?」

「一応、籍はずっと置いてるから、あとは昇格に必要な条件を満たせるかだけど……暁人あきとにちょっと聞いてみよう」


 そう言って、異世界にいる年下の上官・暁人に通信を繋ぐと、あっさりとこんな答えが返ってきた。


『お前がその気なら、復帰は可能だと思うぞ』

「マジ!?!?」

『こう言うのも何だが、STARSは仕事柄、万年人手不足だからな……。最近は粒砂の件も落ち着いてきているものの、不可解な事件は度々発生する。ヨアがやる気だと言うのなら、こちらはいつでも歓迎しよう。まあ、今以上にSTARSの仕事に比重を置くとなると、ある程度そちらの世界の仕事とは調整が必要になるとは思うがな』

「あ、ありがと、暁人……!」

『何なら、そっちの世界に支社を置いて、出張という扱いにしてやってもいい。そちらの世界でも警備員自体の需要はあるだろうし、時空を渡る装置を維持する以上、我が社としても他次元の調査や治安維持は必要な事だ。お前の今の職は、隠れ蓑にも丁度いいだろう』


 暁人も、オメガバース世界を自身の管轄として、秘密裏に見守る用意は始めていたようだ。

 その周到さに感心するヨア達の前で、暁人は真面目な顔で言った。


『だが、幾ら隊長経験があるとはいえ、昇格試験までは免除してやれないぞ。他にも上役を狙っている奴はいる。そいつらと競い合って、実力でここまで登って来い』

「言われなくても」


 ヨアの瞳に、舞台で踊っている時とはまた違う闘志が燃える。

 そしてヨアは、もう一件の仕事先に交渉する為、スマホで早速メールを打ち始めた。


*****


「……という訳なんだが、ライラ」

「よかった〜! 直生くん達が真面目なトーンで大事な話があるっていうから、ヨアくんついにうちの事務所辞めちゃうのかと思ったわよ!」


 芸能事務所の一室。

 椅子にどっかと背を下ろした、直生のマネージャー兼事務所社長のライラが、安堵したように声を上げる。

 小柄な体はそのふかふかのクッションに埋まってしまいそうだが、長年身につけてきたスタミナと根性のお陰か、その小ささに負けないほどにライラはいつも元気いっぱいだ。

 すぐに起き直ったライラに、ヨアは恐縮しながら頭を下げた。


「す、すみません、いきなりで……それに、こんなに今まで良くしてもらってきたのに」

「いーのいーの! そもそも、直生くんの出る予定だったMVに代わりに出てくれ、なんて無茶振りを最初にかましたのは私達の方だし、その後も何やかんや、ズルズル残ってもらっちゃってたしねえ。ヨアくん、本当にいいダンサーになったんだから」


 偽りのない心からの賛辞に、ヨアは照れたように頬を赤らめる。かつてバレエダンサーだったライラには、ヨアもダンスの指導の際、世話になっていた事があるのだ。

 書類を用意したライラが、唇の上にペンを乗せて遊びながら言った。


「しかし、すごいわねえ。次元の警備員? みたいな事をやりながら、ダンサーもモデルもやっちゃう訳でしょ。正体を隠してる潜入捜査官とか公安みたいでカッコいいね〜。それを私だけが知ってるっていうのも、またゾクッとするというか」

「お仕事、減っちゃいますかね……」

「だいじょーぶだいじょーぶ、元々ヨアくんは、そこまで芸能界にどっぷり浸かるつもりないの分かってたし、こちらとしても最初からセーブして受けてたから。単発や短期間で出来る物も色々あるし、目立って売り込もうとさえしなければやりようは幾らでもあるわ!」


 要は、直生のように俳優専業で稼ぐつもりでないのなら、別にこのままで構わないという事らしい。 

 ずっと緊張していた胸のあたりを撫で下ろしてから、ヨアは大きく息を吐いた。


「まずは、試験に合格しなきゃいけないのよね? ま、努力家のヨアくんなら何の心配も要らないでしょうけど、頑張って! 私のスパルタバレエ指導を乗り越えたヨアくんなら、大丈夫よ、きっと」

「う、うう……頑張ります」


 仕事柄、直生と共に筋トレや体力作りは欠かしていないつもりだが、それでも隊長に匹敵する職務をこなせる程度となれば、相応の物が求められるだろう。知識面でも、筆記のテストがあるはずだ。

 励まそうと背を叩いてきた直生に頷いてから、ヨアは両手を頬で挟んで気合いを入れ直した。


*****


 ヨアさんが隊長への復職を決意してから、数ヶ月後。

 私は、自分が生まれ育った世界にある今の家のリビングで、輝かしいバッジを手に報告をくれたヨアさんを、お茶とおやつでもてなしていた。


「すごいね、本当に取り返してきたんだ、隊長のバッジ……」

「正確には、隊長格と同じバッジ、だけどね……。次元を渡るにも渡った先で警備をするにも、今んとこは秘密保持の為に、基本はボク単体で動く事になりそうだから、下につく隊員がいないんだよ。たまに、ぽぽちゃんとか人羽ひとはちゃんぐらいは、こっちに来るかもしれないけど。でも、階級としては隊長と同列か、それ以上」

「そんなすごい職務を背負ってたら、そりゃそうでしょうね!?」


 昇進してカミツレのバッジを手に入れる、という夢を、ヨアさんはもう一度叶えてきたのだ、という喜びで、こちらも胸がいっぱいになる。

 私は、モデルでダンサーのヨアさんも、隊長で警備員のヨアさんもどっちも好きだけど、誰かを守る仕事はヨアさんにとって、特別な思い入れのある物だと思うから。

 ヨアさんが見せてくれたバッジを、一緒に住んでいる我が家専属の可愛い魔法使い・夜羽よるはくんと恵李朱えりすくんが、交互に取り合いながら興味津々で眺めている。子供らしい無邪気な反応に、ヨアさんは苦笑していた。


「落とさないでよ?」

「すごーい、ぴかぴか。カッコいいねえ、ヨア、すごいねえ」

「夜羽、ボクにももっとよく見せてよ」


 あまりにはしゃぐので、二人の指紋ですぐベタベタになってしまいそうだ。

 私も釣られて笑いながら、ヨアさんに言った。


「ふふ。これで私もまた、ヨアさんのバッジ、磨いてあげられるね」

「そっ、それは……!」

「あら。やっぱり、一人で磨いて綺麗にしたかった?」

「お、お願いします」


 昔を思い出したみたいで、ヨアさんは居た堪れなさそうに赤くなった。

 手元に戻ってきた、心なしか前より立派になったように見える徽章を、私は幸せな気持ちで眺める。


「うう、見せびらかしてた自分が恥ずかしい……」

「どうして? ヨアさんの誇りなんでしょ。これからも見せびらかしてよ、ずっと」


 綺麗に布で磨いたバッジを返すと、ヨアさんは少し驚いたように目を丸くした。

 艶やかな褐色の指先が、輝いた徽章をスーツの胸元に付ける。

 眩く光を反射するそれを見て、ヨアさんは一瞬泣きそうに瞳を潤ませてから、私の方を見つめ。そして擽ったそうに笑った。


「……ねえ。どうかな? これ」

「最高! ヨアさんのカミツレは、どんな時も凛々しくて、眩しくて、どんな世界にあってもやっぱり最高にカッコいいよ!」


 笑い合った私達の間に咲く黄金の花が、これからもずっと咲き続けますように。

 ヨアさんの守りたい世界をこれからも見つめ続けていけるようにと、私もカミツレの花に祈った。

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抗えないほど、青くて蒼い マルメロ @Marmelo2253

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