逢いにゆきたや八尾の町へ おわら浴衣で風の盆

 女はねて身を返し、男から距離を取るものの、諦めきれずに歩み寄る。

 決死の思いで伸ばした右手が男の肩に触れた時、男は振り向きざまに女の肩を鷲掴み、たぐるように胸の中に抱き寄せる。


 その瞬間、笠で隠した互いの顔を見つめ合う。

 高音の糸引くような囃し小唄が町と体に染み渡り、千華は胸をつまらせる。


 ああ、この広い胸には触れられないのだ。もう二度と。

 渉の腕のこの重さ、手の熱を背中に感じることもない。

 相方を抱く渉の目は相方だけを見ていたが、岩崎千華を見ていない。千華はそれを知っていた。

 男女の顔は三日月型の網み笠で隠されて、観客達には見えないが、彼等には窺い知れない今の渉のこの顔は千華だけのものだった。


 女衆を抱きかかえ、渉が差し出す右手に手を重ね、しどけなく膝を折り曲げる。

 もう一度、笠に隠れた互いの顔を覗き込む所作に入った時、千華の手を取る渉の右手にぎゅっと力が込められた。


 涼しげな切れ長の双眸は何かを訴えるように眇められ、千華も息を凝らして瞠目した。

 と、同時に渉が小さく、

「後で」

 と言い、振りつけ通りに手を離す。渉は斜めに傾いだ女衆の千華を起こし、再び野良作業に没頭する男踊りを舞い出した。


 あとで何?


 千華は聞こうとしたけれど、一瞬の逢瀬を果たした後、その場を離れなければならなかった。女衆は男衆より先に退場する振りつけになっている。

 背中で渉の気配を追いながら、額に手の甲を左右交互にかざしつつ、千華は上の空で踊っていた。


 ぬしに逢わねば真の闇。

 あんたもそうなら私もそうだよ。

 囃子方はやしかたの哀愁漂う切ない小唄が、千華の中で反響する。

 

 互いにそうなら添わなきゃなるまい。

 月が隠れりゃ手をつなぐ。



                             【 完 】

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ぬしに会わねば真の闇 手塚エマ @ravissante

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