笑わないセールスマン

夜澄 司

雨の日と来客

 その日は雨が降っていたこともあり客足が少なかった。

 老後の趣味として始めたこの喫茶店も近所の人が常連になってくれたこともあり楽しく続けられている。

 娘は仕事も引退したんだからゆっくり過ごせば良いのになんて言っていたが、やはり何かしている方が性に合っている。


 そろそろ閉店だなと思っていると、カランカランという扉が開く音が聞こえた。


 こんな時間に来店とは珍しいと扉に目を向けると、初めて見る男性のお客様だった。


 男性の雰囲気は暗かった。

 身長が高くすらっとしていて、高そうなスーツを着こなしている。

 左手には大きめの鞄を持っていて、見る人が見ればセールスマンと言った雰囲気をしている。

 髪の毛はオールバックにし、鼻筋も通っており、一般的に見てイケメンだろうと思う。

たが無表情なのと目の下の隈が全てを台無しにしている。


「……遅くにすまないが、まだやっているだろうか」


「えぇ、やっていますよ。カウンターでもテーブルでも、お好きな方にお座りください」


 これでも喫茶店のマスター5年目だ。


 どんなお客様だろうと丁寧に接客をしてみせるさ。


 男はカウンター席に座って荷物を隣の椅子に置いた。


「……ブレンドコーヒーをホットで一杯頼む。ミルクと砂糖もつけてほしい」


「かしこまりました」


 あの風貌でミルクと砂糖をつけるのは、なんだか意外だなと思ってしまうが、好みなんてものは十人十色だ。勝手に偏見を押し付けるのは良くない。


 いつものルーティンでコーヒーを淹れる。

 コーヒー豆の良い匂いが広がっていく。


 私はこのコーヒー豆の香りが広がる瞬間が好きだ。

 この時は嫌なことも余計なことも考えないでいられる。


 コーヒーをカップに注ぎ、ミルクとコーヒと共に男性に前に置く。


 ここで音を鳴らさないように置くのがポイントだ。


 彼は頭を下げると、早々にミルクと砂糖を入れて混ぜ始めた。


 その所作はとても丁寧で洗練されているように見える。


 ただ疑問なのはここら一帯は老後のスローライフに適したような田舎だ。


 彼のような質の良いスーツをビシッと決めている人がいるようなところではない。


 作業着を着て農業をやるようなところだ。


 彼は一体何しにきたんだろうか。


 そんなことを考えていると、彼がこちらを見つめていることに気付く。


 生まれながらの目つきなのだろうか、鷹を彷彿とさせる鋭い目に見つめられると、心臓が跳ねそうになる。


 だか私もマスター5年目の男。

 これ程度で動じる私ではない。


「どうかされましたでしょうか?」


「……こちらをマスターに」


 その男が鞄からあるものをカウンターに置く。


 黒色の存在感を放つ。


 ハンドガン。


 自分の心が冷めていくのを客観的に捉えていた。


「…俺はもう5年前に引退してるんだ。今更こんなの持ってこられても困る」


「……隊長、緊急事態なんです。あなたの力が必要なんです」


「もう隊長じゃねぇ。俺はただのマスターだ」


 こんな美丈夫、うちの隊にいたっけかなぁ。

 最後の方は幹部達としか関わってなかったから、俺が引退してから頭角を表したのかもしれない。


「……もう一度、死のセールスマンとして恐れられたあなたの力を貸してください。そのためならこの命を捧げます」


「だからなぁ、どこの誰に言われてここに来たのか知らんが、もう引退してるんだよ俺。ただのロートルにできることなんてないんだ。わかるだろ?」


「……ロートルだなんてとんでもない、この店に入ってから一切隙がない。殺せるチャンスが一度もなかった。あなたはまだまだ現役ですよ」


「そうさなぁ…一度だけだ。一度だけ手を貸しちゃる。それ以降はどんなことがあっても貸さん。次またここに来たら額に穴が開くと思え」


「…本当に、本当にありがとうございます」


 そいつが深々と頭を下げる。


「さっさと内容教えてくれ。残業は趣味じゃねぇんだ」


 あー、おそらく元部下であろう男の願いなんだ、聞かないのは男が廃るしな。


 これでも5年目の喫茶店マスターだ。


 どんな客だろうが丁寧に接客してやるさ。

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笑わないセールスマン 夜澄 司 @hikkyoumu

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