番外 「バイバイ」は一番嫌いな言葉



問。あなたの嫌いな言葉はなんですか。

そう聞かれれば、私は一も二もなく「バイバイ」だと答える。

だって「バイバイ」は別れの言葉だから。

「莉希ちゃん、バイバイ!」

そう言って引っ越していった友達がいた。

「おじいちゃんとはバイバイなんだよ、莉希」

そう言って帰らぬ人となった祖父がいた。

「莉希、バイバイ!」

だから「バイバイ」は嫌いだった。会えなくなる、話せなくなる、見えなくなるのが怖かった。その恐怖を感じたくなくて、私は友達を作るのをやめた。一人で本でも読んでいれば、時間は過ぎるし怖くない。

でもやっぱり友達がいないのは寂しくて。高校生になって、友達を作った。みんないい子で毎日が楽しい。どんな思い出も、梅と、はるぴと、茉奈と、怜くんと共有してきた。そのせいであの恐怖は蘇ってしまったけれど。

「じゃあバイバイ、お疲れ」

最寄り駅前で、茉奈がいなくなる。

「また明日ね、バイバイ」

途中の駅ではるぴがいなくなる。

「じゃあ私バスだから。バイバイ」

「俺もこっち。バイバーイ」

乗り換え駅で怜くんと梅がいなくなる。そこから電車で三十分。莉希が一番家が遠いから、莉希だけが乗り換え後の電車に乗る。怖い。明日、会えなかったらどうしよう。そうして毎日怖くなって、翌日学校に行って安心する。そうやって毎日を過ごしてきた。あの日までは。

「コンビニ寄ってくるから待ってて」

小腹が空いてホットスナックが食べたくなって、通学路にあるコンビニに立ち寄った。それだけだ。いつもと違う行動なんてそれだけ。ケアのためののど飴とホットスナックを買ってコンビニを出ると、もうそこにみんなはいなかった。

「梅ー? はるぴー? みんなー? どこー?」

先に駅へ行ったのだろうか。スマホを取り出してグループを見てみたけれど、メッセージはない。駅へついても誰の姿もない。部長が立っていたから声をかけた。

「部長、梅たち見ませんでした?」

「さあ、見ていませんよ?」

時刻表を見るについ先ほど下り線の電車が発車したばかりだ。自然とため息が出た。

「先に帰るとか梅たちも性格悪いなー」

置いていかれたことに対する強がりだった。全身に恐怖が駆け巡る。電車がホームにやってきて、部長とは離れた開いている椅子に座る。自分の体を抱きしめなくては震えを抑えられそうになかった。

大丈夫、たまたま急いでいただけ。みんな私が嫌いなわけじゃない。明日になったら文句を言おう。先に帰るなよ、びっくりした。せめて連絡くらい入れてよね____

その日はどうやって帰ったかわからない。気が付けばベッドの上で泣いていた。


翌日、学校に行ってすぐに違和感を覚えた。いつも私より早く登校しているはずの梅の姿がない。教室を出て、はるぴと茉奈と怜くんのクラスに行く。生徒たちの中にみんなの姿はなかった。どこにいるのだろう。探したかったけれどチャイムが鳴って教室に戻らなくてはならなかった。ホームルームが始まるより前に、私は担任に手招きされた。

「松葉瀬、ホームルームはいいから生徒指導室行ってくれ」

「生徒指導室? なんで?」

「すまん、ここではあんまり話せないんだ。とにかく行ってくれ」

言いづらそうな担任の表情。説教にしては優しい声。後ろ髪を引かれながらも生徒指導室へ入る。中には校長と学年主任、それから見慣れない警察官の姿があった。

「ああ、松葉瀬さん。わざわざ来てもらっちゃってごめんね」

「いえ、別に……えっと、こちらの方は?」

警察官は駒田こまだと名乗った。優しそうな中年の男だった。

「松葉瀬莉希さんですね。お伺いしたいことがありまして」

「警察の人がなんで私に」

駒田の向かいのソファに座る。校長や学年主任が私を心配そうな目で見ていたのが気になった。

「あなたのバンド仲間の四人が昨日、家に帰らなかったみたいで。ご存じありません?」

「えっ、梅たちが……?」

世界から音が消えた。一拍遅れて金属が擦れるような耳鳴りが聞こえる。眩暈がしてきて、ソファの座面に手をついた。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫、です。あの、帰ってないはずないです。私、昨日おいていかれて」

「帰らなかった」という言葉が繰り返し脳の中を回る。段々息が浅くなってきた。酸素を求めて息を吸う。パニックで過呼吸をおこしかけた私を見かねて校長が背中をさすってくれた。

「最後に村雲さんたちを見たのはいつですか?」

「部活が終わったあと、一緒に帰っていて……ここから駅に向かう途中のコンビニに寄りました。その時が最後です」

「コンビニですか。その時村雲さんたちはどうしていました?」

「わかりません。コンビニの前でいなくなったんです!」

みんながいなくなったあの時、もっとちゃんと探せばよかった。どこかに閉じ込められたりしているのかもしれない。思考が私を責めてくる。視界にざわざわ蠢くものが入り込み、梅やはるぴが助けを求める声が聞こえてきた。

「……さん、松葉瀬さん、大丈夫?」

「ッ……すみません、大丈夫です」

「体調が悪いなら保健室で休んでいいよ」

駒田も私を気遣い、今日は帰りますと告げて名刺を差し出してきた。それを受け取ってブレザーのポケットにしまい立ち上がる。

「失礼します」

ふらつく足を叱咤して向かうは保健室ではなく、校門。あのコンビニに向かうにつれ、必死に助けを求める声がいくつも聞こえる。莉希助けて、莉希助けてと繰り返される梅の声に急かされて駆け出す。大通りに出て、コンビニの前で立ち止まる。近くの工事現場で働く作業員が栄養ドリンクを飲んでいた。

(昨日、みんなはどこへ……)

周囲を見渡すと木に隠れたオレンジのバリケードが目に入った。その瞬間、視界がぐにゃりと歪み頭痛がする。耳鳴りが酷くなった。

「ひっ……こ、ここに入ればいいの?」

ざわめきが収まる。生唾を飲み、バリケードを隠す木に手をかけた。大きく木を動かして隙間をつくり、そこに足を踏み入れた。大通りから隔たれた空間は静謐で不気味だ。

「ちょっとここ、立入禁止じゃない? やっぱり帰る」

ざわざわざわざわ! 踵を返そうとした瞬間目の前の木立が勢いよくざわめいた。耳鳴りが酷い。どうやら私を返したくないらしい。

「わか、った、行くから、行くから……」

足を無理やり進め、目の前にある階段を登る。一段一段登るたびに耳鳴りが収まっていった。

「これって……池? なんでこんなとこに」

階段の上にあるのは池だった。その場にあった立て看板に近づく。

「鏡池……?」

スマホの地図アプリを起動するが池があるとは書いていなかった。ここまで連れて来られたはいいが、何をすればいいかわからない。水面をじっと見つめていると、吸い込まれそうな気分がする。不意に水底で何かが蠢いた気がして一歩後ずさる。その瞬間ざわざわと木々が揺れ、耳鳴りが復活する。

「いや……なに、なにがしたいの! ここにみんなはいないでしょ!」

力任せに怒鳴っても耳鳴りは収まらない。ここにいたらだめになるような気がして駆け出した。






「……うるさい」

それからずっと耳鳴りは消えない。家にいても、電車にいても、学校にいてもどこにいても何かがつけてくるような気がする。視界に入る木はずっと揺れているし、眠ろうとすればみんなが助けを求めてくる。唯一、あの立入禁止の道に近づいたときだけはすべてが安らぐ。

(あそこに近づいちゃダメだ。私、きっと何かがおかしい)

歩くたびに息苦しくて仕方ない。目の奥から疼痛がにじみ出てくる。全身が重たくて動かない。鏡で自分の隈を見ようとすると、視界が黒く塗りつぶされて何も見えない。

「なんなの」

梅が、はるぴが、茉奈が、怜くんが、どこにもいない。孤独の中で体を蝕まれていくのは想像を絶する苦痛だった。解放されたいと川を見つめて、四人の顔がちらついて後退りした。苦しい、苦しい、それ以外に考えられない。駒田は私の憔悴ぶりと隈を見てぎょっとした。とうとう足がもつれて何もないところで転ぶ。もうだめだ。この苦痛から解放されたい。願った瞬間、誰かが私に囁く。

_____鏡池

繰り返されるその言葉に、私は正常な判断をすることができなかった。気が付けば学校を抜け出し、母親や先生や駒田の静止を振り切っていた。オレンジのバリケードと木の隙間に体をねじ込む。鉛のように重たい体を引きずって、私の心象風景のような大雨の中を突き進んだ。視界が滲む。みんなの名前を繰り返し呼んで、なんとか空元気で一段一段足を踏みしめる。階段を上がりきったその瞬間、私の体は動かなくなった。

「梅」

ただすがるように名を呼んだ。返事は小さな耳鳴りだけ。もう助けを求める声も木々のざわめきも聞こえない。ぼやける視界の中で見つけた鏡池。水面にできたいくつもの波紋。

「梅」

この池から出てきてくれればいいのに。自分の感覚さえ曖昧になるほど世界が遠い。

「梅、はるぴ、茉奈、怜くん」

出てきてくれないのは私のせい。私がみんなに届けられるほど大きな声を出せないから。名前を呼べば出てきてくれるだろうか。名前を呼べば呼び返してくれるだろうか。

「どこにいるの?」

来てくれないのなら私から会いに行ったっていい。だからせめて居場所を教えてほしかった。名前を呼んでくれればよかった。

「なんでいないの?」

返事は返ってこない。電話でもかかってくるかと期待したが不在着信は一つもなかった。希望は儚く打ち砕かれる。脳裏に浮かぶ願いはただ一つ。

「会いたい……」

水底で、また何かが蠢いた。今度は見間違いでも魚でもない。底に落ちている石が脈打ったような。思わず一歩後ずさった。逃げなければいけない気がした。誰かが、私の名前を呼んでいる?

「ぁ」

池から勢いよく何かが飛び出した。太い茨のような何か。それに押しのけられた。ふわりとした浮遊感を感じる。階段から落ちている。それに気が付くより先に、脳の奥まで響く水しぶきの轟音を認識した。

(え?)

体が水に沈んでいく。水面がどんどん遠くなって、周囲が深い青に染まっていく。

(海? なんで? 地面は?)

混乱していると、遠くに何かがきらめく。よく目を凝らすとそれは四色の光。水が手招きをするように脈打ち私をその光に連れていく。

「ここならみんなに会えるの?」

四つの光が、あたたかく眩しく思えた。怖くはなかった。この状況を不思議と受け入れてしまっている自分がいる。手を伸ばす。もう少しで、届きそうだった。

(! 光が!)

黒い波が私の体を飲み込んだ。苦しい、息ができない。光が黒に飲み込まれて消える。さらに体が深海へと沈んだ。

「……みんな」

手を伸ばしても、見えない光を掴むことはできなかった。

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異世界クインテット ~仲良し五人組、異世界で大暴れします~ 霰石琉希 @ArareishiLuki

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