中国古典と人民網日本語版 V.1.1
@MasatoHiraguri
第1話 報道機関とは
英国のロイター・BBC、米国のABC・CBS・CNNといった世界的な報道機関というものがありますが、彼らの報道姿勢に特色や特技なんてものは(感じられ)ない。要は、英国・米国といった世界的に影響力のある大国、早い話が軍事力が強い国の理不尽な行為を糊塗・美化する宣伝・洗脳機関というだけのことで、彼らの記事や論説に、何ら勉強になることが書かれているわけではない。いわゆる、権力者にくっついた「ぶんや(人や社会のあら探しで飯を食う)・瓦版や」でしかない。
英国がナポレオン(1769~1821)を倒して世界一になった頃から、BBC(1927年設立)が世界の主流メディアになったというだけで、別にBBCの報道姿勢だの報道理念だの、ポリシーだが崇高で、普遍的ともいえる真理を突いた記事を書いているという訳ではない。第二次世界大戦後、(長い人類の歴史から見れば)瞬間風速的に世界最強となった米国も同じこと。彼ら報道機関そのものの見識や思想が優れていたというわけではない。米国という狂国・大国あっての宣伝機関というだけのこと。
英米仏といった「世界的に有名な」これら報道機関とは、凶暴な軍事力をベースにした政治力・経済力で世界中に大きな顔をしてのし歩き、その野蛮な行動を正当化するための提灯持ちに過ぎない。日本の韓国脳政治屋とマスコミ屋の関係も、昭和天皇の頃から始まった侵略時代以降、全く同じです。
第2話 何を以て世界を説得するか・尊敬を集めることができるのか
一方、ここ十数年でその存在感をぐんぐん増してきた中国の場合、軍事力ではなく圧倒的な経済力と文化力によって、世界中から注目を集め初めている(多くの国々を説得・感化している)。
英米のように「でかい顔(つら)」をして、世界中を荒らし回って好き放題やるというのではなく、「桃李言わざれども下自(おの)ずから蹊(みち)を成す」と、周囲の国々から自然に中国に寄り添ってくるという形態が(国家としての努力によって自然と)できあがりつつあるようです。
英米の報道機関とは、軍事力(暴力)で世界を荒らし回る海賊の行為を正当化して、世界中の人間を納得させるための「報道機関」でした。政府の広報機関ではなく経営的に独立した報道機関とはいえ、過去、彼らが独自の道徳・倫理をベースにした厳正に中立・人道的な報道なんかしたことがない。政府を非難するように見せかけて、人道的支援なんていいながら、結局は自分たちの政府・国(の野蛮な行為)を正当化してきただけ。
だから、過去の彼らの記事や論説は、人類の資産とはならない。人類共通の普遍的論理や倫理を以て書かれた内容ではないから。
(その点、日本の朝日新聞社に在籍していらした、松山幸雄という方の書かれた何冊かの書物は、日本人のみならず、汎く世界・人類の資産ともなるべき普遍性を持った、ものの見方・考え方を提供してくれます。まあ、朝日新聞社自体は、これまた政府のご用機関というか、お下劣な韓国脳マスコミの代表ではありますが、「掃き溜めに鶴」というのは、こういうこと、という勉強にもなりました。)
人民網日本語版もまた、中国政府の報道機関である以上、英米の報道機関以上に政府べったりであるのは当然ではあるでしょうが、ここ数年の記事を見る限りに於いては、「さすが中国(人)、(中国古典籍と同じで)普遍的なものの見方・考え方、或いはヒントというものを与えてくれるではないか。」と感心する記事・論説・論考が多く見られます(私が全部の報道を見ていたわけではありませんが)。
まあ、これは私個人における「普遍的・汎用性」という評価ですから、私が感心した記事を提示しても、他の人にとっては「馬の耳に念仏」、あるいは「猫に小判・豚の真珠」の如し。全く関心もしなければ、むしろ「お前は中国に洗脳されている」なんて寒心されるかもしれません。
しかし、大学日本拳法で「現実にぶん殴るリアリティー」というものを骨の髄まで体験し、且つ、勝利とは何か、なんのために戦うのか、と内省し哲学する機会を持った人であれば、私に限らず(たとえ中国人ではなくても)人民網日本語版という存在のリアリティーを感じ、その波長にチューニング調律・同調・調整)できるにちがいない。
別に武道だの格闘技だの、或いは一般のテニスやサッカーのようなスポーツに於いても、チャラチャラした遊びばかりで、「仮想空間の殴り合い」という、自身の内にも外部に対しても真剣味のある戦いをしてこなかった人間には、「人民網日本語版なんて単なる共産党の機関誌・宣伝媒体でしかない」という話で終わってしまうかもしれない。そうであれば、誠にもったいないことです。
第3話 「普遍的な報道」への道 人民網日本語版
中国野菜だとか中国料理、或いは中国古典籍と、中国(人)を象徴する・これぞ中国(人)というくらい中国や中国人を表現する・実感させてくれるものがありますが、人民網日本語版とは、それらに匹敵するほどの存在感がある記事や論説が多い。
中国人固有のものの見方・考え方・行動形式を知ることができるだけでなく、より普遍的な哲学を読者自身の中でさせてくれる、触媒であり媒体となりうる報道(機関)として、これからもその道を往くことを期待しましょう。
○ 漢詩の精神 簡潔は知恵の精神、そして文学的意匠(趣向)・(大)自然観
○ 数字の多用 数字は嘘をつかない。「統計で嘘をつく法 講談社ブルーバックス」という名著もありましたが、数字とは論理的思考の源泉です。
○ 形而上的思惟 目に見える事実だけではなく、その裏にある世界をも思惟するだけの力(を持つ人間が執筆している)。
分析すればいくらでもその特徴・特長というのはあるでしょうが、基本、上記3つだけでも心の隅に置いて人民網日本語版を眺めれば、この嘘ばかりの韓国脳日本社会の中で、まともな精神のバランスを保つためのバラスト(船を安定させるために船底に積む重し。底荷。脚荷(あしに))となるにちがいない。
かつて二葉亭四迷が「牛のよだれの如く、だらだらと私的な文章を書き連ねた私小説」的なる、昨今の韓国脳マスコミ屋のくだらない新聞や雑誌の記事に辟易した人には、一服の清涼剤ともなるでしょう。
*** これまで大学日本拳法や人民網日本語版という素晴らしい触媒によって、自分自身を追求する(かっこよく言えば哲学する)ことができました。その幅や深浅・軽重の度合いはまだまだ足りないという感はありますが、ただ本を読んだり、座禅をしたりするよりも、ずいぶんと自分を掘り下げることができた、と実感しています。
大学日本拳法も人民網日本語版も、自分から探して行き当たったわけではなく、偶然の出会いです。この偶然が必然となるまでに煮詰めることができる、というところに動物ではない人間の面白みがあるのではないか。大学日本拳法も人民網日本語版も、これからの私の(短い)人生で、良き友としてお付き合いさせて戴くとしても、まだまだ世に優れた触媒(となるような人や書は)あるはず。
まあ、「中国古典名言辞典」や「スーパーアンカー英和辞典」、スーパーのレジのおねえちゃんからも、人生の深淵を教えられる、ということも少なくないのです。
諸賢達はどこにでもいる、或いは「求めよ、されば開かれん」更には「鰯の頭も信心から」ということなのかもしれません。***
2025年02月27日(木)
V.1.1
平栗雅人
中国古典と人民網日本語版 V.1.1 @MasatoHiraguri
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