妖精の泉にガラケーを落とした生徒会見習いのお話

浮地 秤

妖精の泉にガラケーを落とした生徒会見習いのお話

 ◇



 五月の炎天下。


 生徒会見習いメンバーの私、浅見あさみ莉子りこは、林間学校の下見に来ていた。


 とはいってもこの森は、私たちの全寮制学院の広大な敷地内のほんの一角。

 学院の正門を出て、たったの徒歩十分である。



 ◇

 

 「莉子りこ。あなた、バンガローの様子を見に行ってくれない?夕方までに、終わればいいから。もちろん、奉仕活動の一環として、あなたへの加点も約束するわ」

 養護教諭であり、生徒会担当教諭でもあるまゆずみ先生は、そう私に促した。



 ◇



 まゆずみ先生から受け取ったチェックシートにレ点をつけながら、私はバンガローの窓を開け、水を通し、埃を払った。ブレーカーは上げてはいけない決まりだったから、エアコンは使えない。

 

 「ああ、暑い!」


 胸から下げた学院の星の紋章のネックレスに、汗が伝った。

 これは、進級試験の首席に贈られるものだ。

 一通りの作業を終えた私は外に出て、白いマスクを外した。


 「ぶはあっ!」


 森の木々は青く、泉は輝いている。

 生徒会見習いメンバー。

 その実態は、タダの雑用係なのだった。


 「私って、実に模範的な生徒だと思わない?ねえ。ステファニーステフ

 

 私は携帯をパカリと開けると、待ち受け画面で笑う、親友のステフに話しかけた。

 これは、もう十年使っている私のガラケーだ。

 今どきガラケーなんて周りにはドン引きされるけど。

 これは、とてもとても大事なものなのだ。



 ◇

 


「り、莉子りこちゃん!私と、Liineライーン、交換しない?」


 入学一ヶ月後の生徒会室。

 私が、同じく生徒会見習いメンバーの麗子れいこの膝の上に座り、差し出された卵焼きをあーんと食べていると、同じく見習いメンバーの雪穂ゆきほが、おずおずと私に声をかけてきた。


 大きな胸の前には、ゆるりと結ばれた白いスカーフ。

 ふんわりとした茶色のウェーブヘアが、春の風にゆらりと揺れると、日だまりと花の香りが漂った。

 白い肌。

 薔薇色の頬。

 雪穂ゆきほはさながら、紋白蝶もんしろちょうの妖精だ。


 「雪穂ゆきほさん、抜け駆けはいけませんよ?莉子りこさんの連絡先は、このわたくしも、まだ聞いていませんのに」


 私の取り巻き女子の一人――もちろん私が望んだわけじゃなく、気づけば勝手に居た――麗子れいこは、雪穂ゆきほに冷たく言い放った。

 麗子れいこの白いスカーフの結び目は、ぎゅうむと固い。

 リボンは幾重にも重なり、さきはツンとしている。

 整った輪郭。

 上がった目尻。

 彼女はさながら、揚羽蝶あげはちょうの妖精だ。

 ちなみに、私が食べている幕の内弁当は彼女のお手製だ。


「あら、雪穂ゆきほ。あなたのスマホ、iPhoOneアイフォーオンじゃないわね?」


「ほんとだわ、型落ちのAnnedrooidアンドローイドじゃない。いやだわぁ」


 麗子の取り巻きである、双子の美音みおん凜音りおんは、ケタケタと笑った。

 彼女たちも見習いメンバーではあるが、蝶というよりは、……芋虫?個性的な顔立ちファニーフェイスだった。


 雪穂ゆきほは、自分のAndrooidアンドローイドの携帯を揶揄からかわれて、ハッとすると、少し涙目になった。


「……えっと。あたし、ガラケーだけど」


 私はおしぼりで口を拭き拭き、もう片方の手を挙げながら、おずおずと切り出した。


 麗子れいこは、目を点にした。

 美音みおんに、凛音りおんもだ。

 雪穂ゆきほだって、目を丸くした。


 「ま、ま、まさか。莉子りこさん、御冗談を!眉目秀麗びもくしゅうれい才色兼備さいしょくけんび、学年首席の貴方が、まさか、そんな」


「ホントよ。じゃーん!楽々シルバー・ガラケー・フォン!!」


 私は、二つ折りのガラケーをパッカン!と開き、画面ディスプレイ麗子れいこの眼前にずいっと押し出した。


 「Liineライーンのスタンプだって使えるよ!!」


 「……ああっ!文字が、凄く、大きいっ!」


 麗子れいこは額に右手を添えて、クラクラと後ろへよろめいた。


「れっ、麗子れいこさま!」


「保健室へ行きましょう!」


 美音みおん凛音りおんは、麗子れいこの肩を抱いて生徒会室からぱたぱたと出ていってしまった。


 「え、ええ……。まあいいや、雪穂ゆきほ。連絡先交換しましょ……」


 「ご、ごめんなさい、莉子りこちゃん!わ、私、次の授業のタブレット取りに行ってくるね!」


 雪穂ゆきほはそう叫ぶと、パタパタと廊下へ出て行ってしまった。


 「……あれ?」


 ヒュルリラー……と、凍りつく生徒会室。

 他の生徒会見習いメンバーたちが、ざわざわ、ひそひそと騒ぎ出した。


 「え、ガラケー?」


 「やば」


 「動くの?」


 「爆発しない?」


 「ちょっと!みんな、警戒しすぎ。大丈夫よ!触ってみてよ。ちっとも怖くないわよ。ほら、電池パックも膨らんでないでしょ」


 私は見習いメンバーのみんなに、画面を見せて回ったけれど、みんなそそくさと私と距離を置いてしまった。


 えー。

 そんなあ。


 


 まゆずみ先生に声をかけられたのは、その後のことだった。



 ◇



 「通話ができて、Liineライーンも出来れば、それで良くない?ねえ、ステファニーステフ


 私はひとりごちて、ガラケーを畳むと胸のポケットへと収めた。

 

 それから、バンガローにほど近い、森の泉の木製の桟橋さんばしへ立ち、革靴ローファーを脱ぎ、白いハイソックスを脱ぎ捨て、桟橋さんばしへとぺたりと足を降ろした。


 「あちちっ!」


 桟橋さんばしは思いの外熱く、足の裏がジュウッと灼けた。片足でぴょんぴょんと日陰へと避難し、腰を下ろす。それから灼けた足を、泉へどぶんと浸した。


 「ひゃっ、冷たいっ!気持ちいい!」


 両足の指を開き、ゆらゆらと左右に水をかく。

 白いリボンスカーフのスナップボタンをプチリと外し、白いセーラー服の胸元をパタパタと仰いだ。

 

 その拍子。

 胸ポケットからガラケーがスルリと滑って。

 泉にぽちゃりと落ちた。


「えっ!!」


 ぷくぷくぷく。


 私のガラケー!!

 アンテナのさきにある、透明スケルトンのネコちゃんアクセ。その瞳が、悲しげに水底へと遠ざかっていく……。


 「うそ、うそうそ!!」


 私はへなへなと座りこんだまま、ぽかんと口を開けて、泉を見つめた。



 ――ずっとお揃いの携帯にしようね。

 ――私以外の連絡先、入れちゃ駄目だよ。



 親友のステファニーステフとの約束が脳裏をよぎる。

 なんてこと!!

 私たち、二人で約束したのに……。

 めまいがする。

 頭がガンガンとして、眼の前が真っ白になった。



 ◇



 すると。

 森の泉が真っ白に光り輝いた。


「きゃっ!!」


 私は思わず身じろいで、尻もちをついた。

 光の中には、女の子のシルエット。

 キラキラと輝く金髪ロングに、みどりの瞳をした泉の妖精だった。

 彼女は私の前に、両手をすっと差し出した。


莉子りこ。あなたが落としたのは、この最新型、金のiphoOneアイフォーオンですか?それともこの最新型、銀のAnnedroidアンドローイドですか?」


 泉の妖精は、右手で金のスマホ、左手で銀のスマホを差し出したので、私は思わず吹き出した。

 すると、泉の妖精さんだって首をナナメ下に降って、ぶっと吹き出した。


 もう!

 私のガラケーと似ても似つかない!

 そういう世界観なら、別にガラケーを用意してくれてもよくない?

 まさか、泉の中ですらガラケーって在庫切れなの?


 でも、私は面白くなって、わざと迫真の顔をして泉の妖精に迫り、首を振って悲しげに、睫毛まつげを伏せてみせた。


「……いいえ、泉の妖精さま。わたくしの携帯は、金のiphoOneアイフォーオンでも、銀のAnnedroidアンドローイドでもございません。楽々シルバー・ガラパゴス・フォンなのです!」


 泉の妖精さんは、ぷるぷる震えている。


 「地下の礼拝堂では、アンテナをびょーんと伸ばすのです。そして、腕を天井に伸ばすのです。すると、電波を受信し、アンテナのさきの、猫ちゃんアクセの透明スケルトンボディが、七色にピカピカと光るのであります!」


 泉の妖精さんの全身が、がたがたと震え出した。


 「電池パックをご覧になってください。親友のステファニーとわたくしとの、ズッ友と書かれたプリクラが貼ってございます!」


 泉の妖精は、耐えきれない!!と言わんばかりに大笑いした。


「あっはははーー!莉子りこ。あなたの誠実さには、ほとほと参りました。この金のiphoOneアイフォーオン。銀のAnnedroidアンドローイド。楽々シルバー・ガラパゴス・フォン。全て、あなたのものです。持ってお行きなさい」


 わあお。

 両手に華ならぬ、両手にスマホ!あとガラケー!

 これが、iphoOneアイフォーオンと、Annedroidアンドローイド

 つるりとした黒い画面と、ずしりとした重みに、胸がバクバクと高鳴った。


 そして、泉の妖精に促されるがまま、側面の電源ボタンを長押しした。

 しかし。

 二台のスマホの画面は真っ暗なまま、ぴくりとも動かなかった。

 

 ただ、楽々シルバー・ガラパゴス・フォンの起動音だけが、ピロリロリーンと森へ響いた。


 「水没からの故障……だよね。いいのよ。私、一生、楽々シルバー・ガラパゴス・フォンを使うって決めてるんだから。ね、ステフ!」


 私は泉の妖精、もとい、親友のステファニーに話しかけた。


 「私が、ステフの居る天国に行く日まで、私はずっと、楽々シルバー・ガラパゴス・フォンを使んだから!」


 「莉子りこ!」


 ステフは私の手を握った。彼女の手は冷たく、ひんやりとしていた。

 ステフのみどりの瞳と濡れた金色の髪が、木漏れ日の下でキラキラと光った。

 そうして、私とステフは二人でしばらく見つめ合った。

 しかし、だ。


 「……ごめんなさい!」


 「へ?」


 「莉子りこ。私もう、ガラケーは卒業したいの」


「え、え、ええ?!そんな、だって、先に言い出したのは、ステフのほうじゃない!!」


 「莉子りこ。聞いて。天国にもね、新しいスマホは出てるの!それにね。年の近い、女の子だってたくさん居るのよ……。それから……」


 ま、まさか!!

 クラクラする。

 聞きたくない。


 「もう、私、機種変更しちゃったの……」


 そう言ってステフは、おもむろに自分のスマホを出すと、天国のお友だちとの集合写真を見せてくれた。そこには私の知らない、ステフの晴れ晴れとした、満面の笑顔があった。


 ああ、やっぱり!!


 「そっ……そっか!そうだよね!私どうかしてたよお」


 「莉子りこ、泣かないで!!ごめんね……」


 「ステフこそ!!泣かないで!!ごめんね……」


 そうだよね。

 小学生の口約束なのだ。

 もちろん、当時の私たちは大真面目。

 だけど、未来のことなんて、私たちにはまるでわからなかったのだ。


 携帯の機種は、変わってゆく。

 人の心だって、変わってゆく。

 そしてそれは、ステフだけじゃない。

 私だって、雪穂と連絡先を交換しようとしてたんだから……。


 私たちは桟橋さんばしの上で、ぎゅうむと抱き合った。

 裏切りじゃない。

 私たちは、ズッ友……。

 


 ◇



 ――目が覚めると、そこは保健室だった。


 「莉子りこさん!良かった、目が冷めたのね」


 「えっ?!」


 「もう。莉子りこさん。エアコンもつけずに、猛暑の中で奉仕活動なんてするから!」


 「莉子りこちゃん、桟橋さんばしの上で倒れてたんだよ」


 「そう……なんだ……」


 じゃあ!!

 私の、ガラケーは?!

 私は、ベッドサイドの透明スケルトンの猫ちゃんアクセの付いたガラケーを見て、ほっと胸を撫で下ろした。

 良かった。

 夢だったんだ。

 そうだよね。

 ステフ。

 ……ごめん。

 やっぱり。

 約束は、約束。

 裏切りは、駄目だよね。

 

 「あれ?」


 私が、親友のステフの顔を見ようと、楽々シルバー・ガラパゴス・フォンを開くと、画面は真っ暗。

 ただ、私の顔が反射して映り込むのみだった。


 「うそ!うそうそ!」

 

 「莉子りこ。形あるものは、いつか壊れるのよ。残念だけどね」


 養護教諭のまゆずみ先生は、私の額を撫でて優しく言った。


 「倒れたのは、私にも責任があるわ。ごめんなさい。お詫びに新しい携帯は、私に買わせてちょうだい」


 「ねえ、莉子りこちゃん!それなら、良かったら、私とお揃いのAnnrdroidアンドローイドにしない?」


 「ゆ、雪穂ゆきほ!!あなた、抜け駆けはいけませんわよ。莉子さん!私とお揃いのiPhOneアイフォーオンにしましょう!!」


 「二人とも静かに。保健室よ。……それにしても。一体、誰が通報してくれたのかしらね?」


 「えっ?」


 「学院に通報があって、私たちが駆けつけたときには、もう誰もいなかったのよ。女の子の声だったんだけど……。学院の子なら、加点してあげたいんだけど、名前もわからないんじゃ、どうしようもないわねえ……。莉子りこ、あなた、心当たりはある?」


 うむむ、と唸るまゆずみ先生に、私は、いいえ、と答えた。


 「じゃあ、私は、先生たちに報告に行くわ。雪穂ゆきほ麗子れいこ。あなた達も、教室に戻りなさい」


 「はい」


 「じゃあ、また後でね、莉子りこちゃん」


 「ちょっと雪穂ゆきほ!私も、あとで来ますわよ!莉子りこ


 三人は、ぱたぱたと保健室から出て行った。


 私以外、誰もいなくなった保健室は、しんと静かになった。


 ガラケーの裏蓋を外して電池パックを確認する。

 そこには、変わらない私とステフのプリクラ。

 電池パックを戻したけれども、やっぱり画面は動かなかった。


 私は、窓辺に立つと、楽々シルバー・ガラパゴス・フォンのアンテナをびよーんと伸ばし、天に向かって腕を伸ばした。


 尖端の透明スケルトンの猫ちゃんアクセは、夏の陽を受け、一瞬、七色に光り輝いた。

 そして、また元の透明スケルトンボディへと戻っていった。



 (終)

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