幽霊屋敷の猫好き女
まさつき
幽霊屋敷には猫がいる
私が生まれ育った近所には、幽霊屋敷が建っている。
築六十年ほどのこじんまりとした木造の平屋建て。
たまに植木屋が来て手入れをするけど、長年人の住む気配はなかった。
最近その屋敷の前を通るのが、通勤で憂鬱な朝の小さな楽しみ。
だってそこには、猫がいるから。
屋敷の縁側に鎮座する茶白の猫は、私とおんなじ、たぶん女子。
丸まって寝てたり、のんびり毛づくろいをする姿を見るたび癒される。
勝手に、ミミと名付けた。
ミミが現れたのは、ここひと月ぐらいから。
いつのまにか、夜の幽霊屋敷には明かりが点くようになり、どうやら人が住み始めたらしく、ミミの世話は住人が焼いているらしい。
休日の私はときどき朝から出かけて、ミミの写真を撮ったりしてた。
今日も垣根の前で屈みこみ、隙間から覗いてスマホを構え――。
「おい」
いきなり後頭部を低い声に叩かれて、びっくりした。
男物の暗い
「キミ、何やってるの?」
「えと、猫の写真を……」
首を横に振りながら、ため息交じりに睨まれる。
「人の家を勝手に撮るなんて」
「すみませんっ」と言い措いて、私は慌てて逃げ出した。
誰だろ? まさか、屋敷の幽霊?
とにかく。
しばらくは、ミミの姿をチラ見するだけにしておこう……。
チラ見通勤で我慢する日々の中。
数日前から、ミミの姿が消えていた。
気になって日曜の朝、幽霊屋敷の様子を見に出かけた。
暗い六月の雨が降る。
屋敷の二件手前で、駐車場の車の下から聞き慣れた鳴き声を聞いた。
なんだか、弱弱しい。
近づいて覗き込む。濡れ雑巾みたいになって痩せ細ったミミがいた。
「ミミ、大丈夫?」
呼びかけによたよたと立ち上がり近づいてくる。具合が悪いらしいのは心配だけど、私を信頼してくれたのはけっこう嬉しい。
足元まで寄って来た小さな体を抱き上げた。
幽霊屋敷に連れ帰ろうかと、落とした傘を拾い上げて立ち上がると――。
あの単衣の男性が、ずぶ濡れで目の前に現れていた。
「わわっ」「チャチャっ」
私の驚く声と、幽霊男の声が重なった。
じっと腕の中のミミを見て――いや、もしかしてチャチャなのでは?
「キミが見つけてくれたのか?」
柔和な声にこくりと頷くと、同時に猫がミャァと鳴く。
「そのまま連れてきて」と、男の安堵を交えた声につられて、私は彼の後をついていった。行く先はやっぱり、幽霊屋敷。
初めて入った平屋建ては、内装はしっかりリフォームされていた。
男はチャチャの世話をしながら私に礼を云う。第一印象とは大違いで、物腰は柔らかだし、礼儀正しい人だった。
名は
家の中は廊下まで本が積み上がり、台所には無造作に食器が放置されていて――その日さっそく、とまどう早野さんをほっといて大掃除をかって出た。
それからだ。私の押しかけ女房みたいな生活が始まったのは。
もちろん、目当てはチャチャ。支払いは家事一般で。
あの日すぐ病院で診てもらったチャチャは、たいしたこともなくすぐに快復。今では五割り増しぐらいに丸くなり、私の膝の上でごろごろしてる。
始めは「また来たの?」なんて呆れてたけど、猫好き同士、やっぱり気が合う。
博識な早野さんの話が面白くて、二人と一匹で縁側でのんびりするのが当たり前になり、すっかり楽しい生活の一部になっていた。
普段の彼は、無口なのにチャチャを前にすると饒舌で。
「かわいいねえ」なんて言いながら猫を撫でる声を聞くと、なぜだか私までドキドキして。幽霊屋敷に住む変な人だと思っていたのに、いつの間にかチャチャと早野さんのことを半々に考える自分が、不思議だった。
そんなある日の夜。
屋敷の留守番を頼まれて、チャチャとリビングでテレビを見ていたら、文学賞のニュースが流れた。龍田川賞とかいう有名な賞らしいけど――知った単衣姿が映って驚いた。今季の受賞者、早野壮士。受賞作の中編は『幽霊屋敷の猫好き女』?
早野さんて、作家だったのか。
山のような蔵書、進入禁止の仕事部屋、難しい言葉を呟く癖、そういうことだったのね。てかさ、「猫と人との触れ合いを通じて人生の機微を描く」って、それ私とチャチャのこと書いてるよねえ。幽霊屋敷が舞台だなんて、そのまんまだし。
ひとしきりソファで笑い転げてから、チャチャを寝床に連れて行き、朝餉の下ごしらえをして、私は間に合わせの寝室で眠りについた。
少し遅い冬の朝。
朝ごはんの遅刻にニャーニャー抗議するチャチャを縁側で
「遅くなって悪かったね」
「朝ごはん、出来てるからね」と言いながら、私は帰り支度を始める。
「またね、大……先生っ」
いろいろ聞かずに、少しだけからかってみた。
「大先生は、よしてくれよ」
はにかんで笑う壮士さんに、小さく手を振って。
私は家路につき、呟いた。
また明日ね、大好きな先生――って。
幽霊屋敷の猫好き女 まさつき @masatsuki
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