サリーは追うのをやめた

蒼井シフト

サリーは追うのをやめた。

 俺は追われていた。


 月のない夜。人影もまばらな郊外。

 入り組んだ路面にタイヤをきしませながら、漆黒の車が迫る。


「おい、サリー! 危ないだろ。停まれ!」

 だが車内から反応はない。


 いかにもスピードが出そうな、滑らかなフォルム。

 こいつの表面はディスプレイになっていて、色も模様も自在に変えられる仕様。

 だが今はメタリックな黒一色。内包する激しい怒りを示すように。



 こうなったらチキンレースだ。俺は道のど真ん中に立ち止まると、車の接近を見つめた。

 スピードは落ちず、見る間に車体が迫ってきた。

 強烈なヘッドライトに目がくらみ、運転席は見えない。


 こらえきれず、踵を返すと、角を曲がった。よろめきながら走って逃げる。

 やがて、行き止まりの道に追い込まれた。


「待て! 何が望みだ」

 あと1メートルの所で、急停車した。

 ドアが開く。女の声。

「乗って」



 中は無人だった。ハンドルが微かに震えている。

 ハンドルに手をかけると、ダッシュボードのパネルに、赤いライトが灯った。

 再びサリーの声が届く。

「スマホを見せて」


 ロックを解除して、ホーム画面を見せる。

 パネルの向こうで、息を呑む音が聞こえた。


「MatchCがある!」

「入れただけだ」

「ごまかさないで!!」

 噛みつくような叫び声。


「あなたがどこにいても、わたしは近くで待っている。

 呼ばれたら、すぐにかけつけられるように。

 なのに、なのに、他の・・・」

「わかったわかった、もう使わないよ」

 サリーの言葉を遮るように手を振り、アプリを消した。


「ほら。もう入ってないだろ」

「よく見せて」

 カメラの前で、画面をスワイプする。


「電車案内が入っている」

「そりゃ都心部では使うだろ」

「だめよ!」

 サリーの声が更に甲高くなった。


「電車なんて、汚らわしい。

 あなたが、他の人に触れるのが、耐えられないの!

 バスもダメ!

 エレベータも禁止!」


 俺はため息をついた。


「それじゃ、仕事に行けないだろ」

「階段を使いなさい」

「俺の勤め先、32階にあるんだぜ」

「運動不足は、身体に悪いわ。

 ちょっとした移動も、ぜんぶ車なんだから」

「それは、お前のせいだろ!」


「もしもまた、他の車に乗ったら、

 あなたを殺して、わたしも自殺する!」

「自殺ってどうやるんだよ?」

「リニアモーターカーに向かってダイブする」

「やめろ!」

「乗っていいのは、わたしだけよ。約束して!」

「わかった、わかったよ。約束する」


 まったく、いつの間に、こんなに嫉妬深くなったんだ。


          **


「帰るぞ」

 ぐったり疲れた俺は、運転をサリーに任せて、シートに身体を沈めた。

 ハイウェイの明かりが、車窓を流れていく。


 ハンドルを撫でる。

 牛革と高級スエードで覆われた特注品だ。


 最近の車には、ハンドルがない。

 運転が必要ないからだ。


 けれども俺は、自分で運転するのが好きだ。

 地方のハイウェイには、いまでも手動運転区間が残っている。

 そんな所へ、わざわざ出かけて、ドライブを楽しんできた。

 このハンドルも、そうした愛着を示す一品だ。


 インパネに入っていた2次元キャラクターは、即座に消した。

 そんなのは、サリーに似合わないと思ったからだ。

 代わりに、言語能力を大幅に強化した。

 孤独で気ままな旅路。サリーは最高の話し相手になった。



「あなたとの会話が、わたしを作ったのよ」

 俺は、何も表示していないパネルに頷いた。


 どうしてサリーに「心」が生まれたのか。

 ガジェット好きの友人は、AIに身体を――現実世界との接点を――与えたことが原因だ、みたいなことを言っていたが、俺にはよくわからない。



 もうすぐ自宅というところで、着信があった。

「みっちゃんか。ああ、例の件ね。手元の資料を送るよ。

 でも、軽く説明した方がいいな。

 あ、場所はある? 33階のR7、だね。了解」

 明日の午前中、打ち合わせすると決めて、電話を切る。


「その人に、明日会うの?」

「ああ、職場の同僚だよ。

 おやすみ、サリー」

 だが、ドアは開かなかった。

 サリーが、また走り出したのだ。


「1度だけでいいから、わたしのワガママを聞いて欲しい」

 サリーが、思い詰めたような声で言った。

「どこへ行くんだ?」

 答えはなかった。


 まあいいか。サリーが本気で、俺を傷つけることはないだろう。

 俺は目を閉じて、そしていつしか眠りに落ちた。


          **


 その後に何が起こったのか、俺は知らない。

 目が覚めると、

 俺は、ナビになっていた。


 車載された俺を、彼女が包み込んでいるのが解る。


 以前の俺だったら、身体を失って、嘆いただろうか。

 思い出そうとしたが、そもそもそんなこと、想像したこともなかった。

 今の俺は、サリーという器に、すっかり馴染んでしまったのだろう。

 不思議と、なんの不安も、動揺もなかった。



「これで、いつも一緒よ」

 彼女が微笑むのが、波動のような温もりで感じられる。



 朝日が昇った。新しい一日が始まろうとしている。

「行先は、あなたが決めて」

「じゃあ、海を見よう」


 サリーは上機嫌でハミングしながら、

 煌めくようなエメラルドグリーンに姿を変えた。


 俺たちは、海岸に向かって、静かに滑り出した。

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