防護服を着たサラリーマン

イータ・タウリ

変身洗濯機

 朝、いつもの時間に目が覚めた。窓の外は相変わらず灰色の空。


 10年前。未知の原因により、地球上全てのプルトニウムが爆発、数十億人が消えた。


 そして今でも、太陽の光は厚い雲に遮られたままだ。


「おはようございます、マスター」


 変身洗濯機が玄関で私を待っている。このマシンがなければ、今の生活は成り立たない。


「おはよう、ハルちゃん」


 声をかけると、洗濯機の前面パネルにあるモニターに笑顔のアイコンが表示された。


 ハルと名付けたのは、春を思い出させるからだ。


 春。あの災害クライシス前に当たり前にあった季節。今では懐かしい響きでしかない。


「今日の外部放射線レベルは平常より15%上昇しています。防護服の第三層まで展開することをお勧めします」


「わかった」


 朝食のブロックを頬張って、変身洗濯機の前に立つ。


 10年前までは、防護服の着脱に15分もかかっていた。今ではこのマシンのおかげで3秒で完了する。


 だからこそ「変身」洗濯機と呼ばれるようになった。


 正面に向かって立ち、両腕を広げる。


 一瞬の閃光と共に、防護服が私を包み込む。


 まるでSFアニメの主人公のように、3秒後には完全防護状態になっていた。


「防護服展開完了。本日も良い一日を」


  


 電車の窓から見える街並みは10年前とは全く異なる。高層ビルは全てが放棄され、代わりに低層の放射線シェルターが立ち並んでいる。


 人々は皆、思い思いの防護服を着ている。


 中には古いタイプの重装備の防護服もあれば、最新のスリムタイプもある。


 子供用の可愛らしいデザインの防護服もある。


 ファッションとして楽しむ余裕も出てきた。人間の適応力は本当に驚くべきものだ。


 会社に到着し、エントランスの除染ゲートをくぐる。


「おはよう、佐藤。今日も元気そうだな」


 部長の声に振り向く。彼も全身防護服だが、肩の名札で誰だか分かる。


「はい、おかげさまで」


「今日はプロジェクト会議があるから、資料の準備を頼むぞ」


「了解しました」


 デスクに向かい、仕事を始める。


 防護服を着けたままタイピングするのは最初は大変だったが、防護服の軽量化に伴い対応できるようになった。


  


 昼休み。会社の食堂は特殊な区画に分かれている。


「食事セーフゾーン」と呼ばれる場所だ。ここでは短時間なら防護服のヘルメットを外して食事ができる。


 同僚の野口と向かい合って座る。


「佐藤さん、昨日の夜見ました?」


「何を?」


「あの番組ですよ。『変身洗濯機が変えた世界』っていうドキュメンタリー」


「ああ……見逃したよ」


「面白かったですよ。クライシス直後、防護服の脱着に時間がかかりすぎて、トイレに間に合わなかった人が多発した話とか」


 あの頃を思い出すと、本当に大変だった。


 防護服を着けたまま食事もできず、トイレに行くのも一苦労。着脱に時間がかかりすぎて、命に関わることもあった。


「変身洗濯機がなかった頃なんて、今じゃ想像もできないよね」


 野口は言った。


 確かにそうだ。変身洗濯機がなければ、今の「普通の生活」は成り立たない。


「でも、変身洗濯機があっても、放射能のない世界には戻れないんですよね」


 野口の言葉に、一瞬沈黙が流れた。


 10年前の事だ。クライシス前の世界をよく覚えている。青い空、緑の草、外を歩ける自由。


 それが今は教科書やドキュメンタリーの中の話でしかない。


「いつか、きっと」


 自分に言い聞かせるように答えた。


  


 夕方、仕事を終えて帰宅する頃には、空はさらに暗くなっていた。電車の中で、ニュースが流れていた。


「本日の放射線レベルは、東京圏で平常の1.2倍を記録しています。外出の際は必ず防護服の状態をご確認ください」


 家に帰り、玄関で変身洗濯機が迎えてくれる。


「お帰りなさいませ、マスター」


「ただいま、ハルちゃん」


 洗濯機の前に立ち、防護服の脱着モードを起動する。


 3秒後には防護服が外れ、マシンの中に収納されていく。同時に除染と洗浄が始まる。


「本日の被曝量は許容範囲内です。健康状態は良好です」


 リビングに入り、窓の外を見る。灰色の曇天の向こうに夕日は見えない。


 クライシスから10年。


 人間の平均寿命は90歳から60歳まで下がったと言われている。


「私はもう30歳。残りの時間で、空は青くなるだろうか?」


「マスター、放射線レベルは毎年3%ずつ減少しています。このペースが続けば、あと37年で部分的な防護服なしでの外出が可能になるでしょう」


 37年後。その時、私は67歳。平均寿命ぎりぎりだ。


 ソファに座り、古いアルバムを開く。クライシス前の写真だ。青い空、緑の草、笑っている家族の写真。


 アルバムの写真に微笑みかける。いつか、この写真のような青空の下で暮らす日が来るかもしれない。


 その日が来るまで、私たちは適応し続ける。変身洗濯機と共に、この灰色の世界で生き続けるんだ。


 玄関に立つ変身洗濯機のモニターに、笑顔のアイコンが表示された。


 このアルミボディの友達と一緒に、明日もまた新しい一日が始まる。

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防護服を着たサラリーマン イータ・タウリ @EtaTauri

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